第三部 心情の夏に 3
このような話をした場合、
『お前が悪いことをしたのだから、殴られて当然だ』というような言葉を耳にするが、暴力という行為は教育上の筆頭ではない。
指導内容が喧嘩である場合、対象となる人物に暴力で屈服させるというのは、本末転倒ではないだろうか。
喧嘩というものは、自身と相手を傷付けて、傷付けられる行為であり、大人達が生み出す一方的な暴力とは、まったく違う。
僕がしていた煙草、酒、喧嘩などは、もちろん悪いことではあるし、自身の行いに非があることも当然に理解している。
しかし、一方的な暴力に訴えて、矯正するものなのだろうか。
もちろん、どうしようもない程に凶悪な人間というのは世の中に存在していて、暴力で対処することや刑法で抑制することは、絶対的に必要である。
成長過程で色々なことを学び、物事の是非を自らの判断で決めるようになって現在に至る。
暴力的指導の
映画、ドラマ、巷などでも『お前を、愛しているから殴る』という台詞が、昔の作品や現実にもあるわけだが、どうにも一方的に相手を傷付けているようにしか映らない。
指導側、殴る側も心が痛いという戯言まで飛び出す始末である。
結局のところ、どんなに綺麗事を並べてみたとして、僕の周りにいる大人というものは、一方的な暴力が生み出す一種の愉悦や快楽に浸っているだけの醜悪な人物達であると認識している。
数人の教職員に囲まれて、投げ飛ばされたり、足蹴にされても、仕返しをしたことが無かった。
相手は、数人いるわけだから、勝ち負けは別としても一矢報いることは可能だ。
普段、生意気にしていても、長幼の序を重んじる性格であったから、屈するほかなかった。
これらの話は、教育の場において過剰な暴力、体罰を批判しているだけで、指導範囲内と思われる、頭を軽く叩く行為や頬を一発叩く程度なら許容している。
奈々さんは、細い指先で、膝上に置いていた僕の右手を優しく握ってくれた。
僕は、胸が高鳴ると同時に、不思議と目に水分が集まってくるのを感じた。
人前で泣くなど、あってはならない。
「一弥君は、傷みを……苦しみを知っているから、優しいんだね。
自分では気付いていないかもしれないけど、
君は、色々な場面で相手に気遣いができる、優しい人だよ。
出会って間もない、私が言うのも変だけど」
僕は、この時に気付いた。
一方的な暴力に支配されることも辛かったが、
はたして暴力より辛いものというのは、自身の発言を一切信じてもらえないことだ。
つまりは、自我同一性を全て否定されている感覚になるのだ。
「ちょっと……歩かない?」
不意に、奈々さんは、握っていた僕の手を持ち上げて歩き始めた。
彼女に進路を任せて進んでいくと、海が近いから波の音が近付いてくる。
二人の歩幅が、同様になりつつある中で、砂浜への入り口に二つ設置された車止めを超えていく。
奈々さんの肩越しに、波の音と夜の海が、意識を変えるように飛び込んできた。
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