第三部 心情の夏に

第三部 心情の夏に 1

 特に会話もしないで、ひたすらに自転車を漕いでいたものだから、公園には思いの外、早めに到着してしまった。

本当は、色々な話をしたかっただけに何とも不甲斐ない。

自身の気の弱さに、嫌気がしてくる。

その一方で、今までの道程を考えると街路灯があるとはいえ、女性が一人で帰宅するには危うさが潜んでいるのを感じていた。


「ねえ、一弥君――

送ってくれて、ありがとう。

もし、時間が大丈夫なら少し話さない?」


 背後からの問いかけに、幾らかの緊張と嬉々とした感情が入り乱れる。

自転車を停車させて振り返ると、奈々さんは公園を指差して微笑んでいた。

僕は「ああ、はい」と、なぜか素っ気なく答えてしまった。


 公園というのは、海に隣接している。

日中は、家族連れでピクニックをしたり、散歩、ジョギングする人で、そこそこに賑わいがある。

しかし、夜間ともなれば人気ひとけが殆ど無い。

公園の駐車場には、二、三台の自動車が駐車されているが、車内や周辺にも持ち主の気配が無い。

デートや夜釣りにでも来ているのだろうか。

この場所は、夜間でも照明が多いから、視認性は高いといえる。


 二人で、公園の芝生前に自転車を停車させた。

目の前の煌々としている自動販売機に、お金を入れてから、奈々さんに向けて、

「好きなの、買ってください」と伝えた。

「いいの? ありがとう」と、奈々さんはレモンティーの押しボタンスイッチを押した。

僕もサイダーを一本購入した。


 公園の大きなメイン通りは芝生が綺麗に整えられて、木製のベンチが六個ほど設置されている。

備えられた照明の紫外線に反応して、無数の虫が群がりを楽しんでいた。

一つの物体を多数の物体が取り囲んで、ひたすらに攻撃しているように映る。

照明に高さがあるとはいえ、下部に設置されたベンチに座るのは、虫の落下や飛来の可能性に不安があったけれど、二人で腰を下ろした。


 何を話したらいいか。

気の利いた話や話題を自ら出せないことが歯がゆい。

友達となら話題に事欠かないし、何ら問題無いのだけれど、気心の知れない相手には、どうにも恥ずかしさが滲んでくる。

一方で、大人に対しては、自身の意見のみを押し付ける人物が多く、議論の余地がなく、話をしたくない。


 奈々さんに対しては、どれとも違う。

気恥ずかしさは、もちろんある。

彼女には、好かれたい。

彼女には、嫌われたくない。

それらの感情が、二の足を踏ませる。

口火を切るのは、いつも奈々さんだった。


「飲み物、ありがとう。ご馳走さま。

一弥君って、優しいよね」


不意に投げかけられた言葉に動揺して、

「え? いや、そんなこと……ないですよ」と答えた。


「ううん、優しいよ。

私が……初めて、一弥君に声を掛けた時。

――偶然いた君に、試食を頼んだみたいに思ったかもしれないけど……違うんだ」


 違う。という言葉に不思議さを感じて、

「え? どういう……」と返した。


「うん、店先から、君があの道を通るのを、時々、見かけていたの。

ある時、君が自販機の前でしゃがんだから、

何をしているのかと思ったら、君は野良猫を見ていて……」


 ああ、あの時か。

まだ、ゆっくりと桜が舞う季節。

茶色の毛を纏う野良猫がいたから撫でようとしたら……


「君は、手を引っ掻かれたみたいで、立ち尽くした後に、自転車で走り去っていったけど、

しばらくして戻ってきて、手には猫の餌?

猫のおやつ?を持っていて、それをあげていたの」


 そうだ。その時に時計屋の店主が現れて、

「野良猫に餌をやるな!」と、怒鳴られた。

野良猫も怒号に驚いて逃げてしまって以来、見かけていない。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る