第二部 邂逅の夏に 2

 はあ……と、深いような、浅いような曖昧な溜息を吐いた。

自身は一切関わっていないが、友達が起こした件で、僕も指導に呼ばれたことに起因する。

夕方に指導を受けていた時の、取り囲む教職員の顔が浮かんでくる。


 もっとも、関与していない件であるから、真面目に、その場へと行く必要も無いのに参上するというのは、根底の気質が真面目であるからだった。

それらを踏まえた上で、自身が不良とは、あまり思ってはいないが、周囲の大人からは不良に分類されている。


 時刻は、十九時を迎える前。

この地域の夏というと、この時刻の頃合いで、まだ薄暗い状況にある。

黄昏でも闇夜でも無い。

狭間の時間。

そして、この薄暗い状況に似つかわしくない、優しさを孕んだ声が僕の背後から届いた。


「ねえ、君。ちょっといい……かな?」


 いきなり声を掛けられて、僅かながら身体が震える。

元来、臆病な一面を持ち合わせていたが、それらを悟られまいとして、毅然を装い声の主に対して身体を向けた。


 正面には、女性がいた。

もちろん、振り返る前に、声質で若い女性であるという予測はした。

女性は、スラリとした体型で、体の前に黒いエプロンを着用している。

頭には、明るい青色のバンダナを被っていて、そこから覗く美しい黒髪を、街路灯が照らして、煌めいている。

なぜか、彼女は、僕に向けて微笑している。


 とても綺麗な人だ。


 僕は、気恥ずかしさから、彼女のニコニコとした表情に、目を背けて答えた。


「何……ですか?」

 

 そう答えたが、返事は先程の言葉と似ていて「ちょっと来て」と彼女は言って、いきなり僕の手を握ると、足早に歩き始めた。

握ってきた細く白い指先は、柔軟さを持ち合わせた集合体となっている。

とても温かい。


 彼女の行く先は、目と鼻の先だった。

【五十嵐弁当】と掲げられた店先。

設置されたベンチ脇に立つと、彼女に「ごめんね。少し、ここで待っていて」と告げられた。

僕は、彼女の存在と行動を不審がるよりも、手を握られたことで、鼓動が幾らか早くなっている方を気にしていた。


 ベンチに座ると、商店街は、十九時を迎えた陰りにより、辺りに人気ひとけは殆ど無い。

自動車が往来する音と、店内からの声が僕の耳に同時に侵入してくる。


「おじちゃん、おばちゃん。今日も厨房借りるねー」


「ああ、そうかい。火の元と戸締まりは、頼んだよ」


「うん。片付けと戸締まりは、しっかりやるから大丈夫だよ」


 この五十嵐弁当のベンチに座るというのは、初めてだった。

そもそも、商店街の本通りではあるけれど、この場所に弁当屋が店を構えていることを認識していなかった。


 何もない所に、ただ座っているというのは、何とも居心地が悪い。

しっかりと暗くなってきた眼前とは違う、光が放たれている背後から、視線を感じて振り返ると、勘定台から顔を出している彼女がいた。

また、あの微笑を浮かべている。


 そして、再び店内の調理場へと姿を消した。

まるで、僕が立ち去っていないか、確認しているようでもあった。


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