第二部 邂逅の夏に

第二部 邂逅の夏に 1

 中学三年生。仲夏の終わり頃。

帰宅というものは、方向が同じ友人達と自転車を漕いで家路につく。

その日にあった出来事や部活の話や様々な話題で談話して、自転車でと帰ることが好きだ。


 しかし、一人で帰りたい時もある。

日々の生活において、何らかの事象に嫌気がさすことは多くあって、そのような時は一人になりたい。

自身の中で整理ができなくとも、感傷的な気持ちを携えて帰路に着きたいのだ。

それらを、真っ直ぐに友人達に伝えるのは、気が引けるし、格好が悪いと思うから

「今日は、ちょっと買い物して帰るから、俺はこっちに行くよ。じゃあな」


 そう言って、中学校の裏門から出て行くことが度々にある。

町の中心部には、中学校の裏門からの方が近い。

皆の帰宅方向からすれば、正門から出ていかないと遠回りになるわけだ。

それらを考慮した上で、駐輪場で別れるようにしていた。


 友人達のことは、好きだ。

教室にいる時も、部活をしている時も、ちょっとしたワルさをしている時も。

共にいれば、理由などなくとも日々は楽しいのである。

それでも、日々の中に息苦しさを感じる時が多い。

それは言い様のない、言語化できない、何かが僕の身体や思考を鈍らせる。

灰色の雲が粘ったような感情。

墨汁を和紙に垂らすような感情。

渦になって、巻き込まれそうになる。


 主に原因というものは、大人との関係に由来しているのだと思う。

教職員や親。その他に関わる大人。

何かと目を付けられて、指導されることが多々あるし、やってもいないことで、度々に呼び出しされることもある。

彼等からすれば、所謂、不良の部類だ。


 不良といっても、やっていることは煙草、酒、喧嘩ぐらいだ。

窃盗や恐喝の類は、絶対にやらないと決めていた。

人様からしたら、煙草、酒、喧嘩も同様の法律違反だと思われるかもしれない。

『自身が格好悪いと思うことはやらない』

というものが根底に存在しているわけで、自身の信念でもある。


 僕が経験する指導や説教というものは、釈明すらさせてもらえない状態にあった。

こちらの主張などは、一切聞かないものだから、いつからか全ての問い対して、肯定ばかりしていた。

彼等には、義がない肯定が答えなのだ。


 指導という名の下に、暴力行為も受けていた。

後に全貌が明らかになり、僕が関与していなかったとしても、謝罪は皆無だった。

それは、教職員も親も同様だ。

そうあった時に、彼等は、まるで口裏を合わせるかの如く同じ言葉を口にする。


『普段の行いが、悪いからだ』


 倫理観から逸脱しているとしか思えない。

普段の行いが悪いからだというのは、自身が関与していない問題で、指導を受ける理由にはならない。

何事も事実に基づいて判断することが、一般常識ではないだろうか。

結局は、事実の確証は無くとも、捏造で犯人を仕立て上げる方が楽なのだ。

それらの中に身を置いて、心が曇り、暗くなり、沈んでいくのは、当然のような気がする。


 時刻は、夕暮れ時を迎えていた。

夏の夕暮れ時とはいっても、幾らか蒸し暑い。

自転車に乗って、生温い風に吹かれていれば、暑さは徐々に和らいでいく。


 商店街を自転車で走り抜けていく中で、時計屋の隣に設置された自動販売機が視界に入った。

自動販売機で、グレープ味の炭酸飲料を購入して、一口飲む。

ねっとりと熱が纏わりついていた身体に、爽やかな炭酸の刺激が突き刺さる。

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