第10話

 仁の言いたいことが伝わったのか、柚子佳が体を捻って一階に目を落とす。


「大学生のお客さんて、私たちくらいなんだー。

 若い時にお酒に親しんでいた世代が高齢化して、居酒屋がお年寄りの集会所になってるのが現状なんだよねぇ」


 憂いを含んだ横顔につい意識が吸い寄せられるが、居酒屋の置かれている状況はだいぶ深刻そうだ。


「なんだか、もったいないですね」


 ファジーネーブルのグラスをカラカラと回しながら、ポツリとこぼす。

 今まで全く興味のなかった酒界隈だが、実際に体験してみると案外悪くないと思えた。


 それどころか、心の底から美味しいと感じられたのだ。

 きっと日本のどこかにも、潜在的に酒好きな若者が沢山いるのだろう。それに気がつく機会が無いだけなのだ。


 なぜ熱心に活動をするのか、教室で説明を受けた時に気になっていたが、この現状を知ってしまったら、情熱を燃やそうとする理由も少しわかる。


「そう、本当にもったいないんだ。このサークルは、死にかけてる飲酒文化を少しでも盛り上げるために作ったんだぜ」

「日本の古典芸能は、国が保全活動をしてくれますよね。それと同じように、私たちはお酒、特に飲みゲーをできる限り伝えていこうと思うんです」


 古賀の言葉に頷きかけ、再び別の疑問が湧き上がる。


「そういえば、なんで飲みゲーをメインに置いてるんですか? 居酒屋が盛り上がるためには、別の手段もあるんじゃ?」


 よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、正宗が満面の笑みでグラスを掲げた。

 このまま答えてくれるのかと思いきや、グビグビと酒を飲み干すとカーッと息を吐く。


 そしてこの世で一番大切なことのように、噛み締めるように発声した。


「それはな、飲みゲーで酒を楽しく美味しく飲めるからだぞ」


 登山家に、なぜ山に登るかと聞くと「そこに山があるから」と答えるらしい。

 彼が今返した答えも、登山家理論のようだ。


 とにかく酒を飲んで、楽しみたい。つまりはそういうことなのだろう。


「な、なるほど」


 そう言われると、仁としては相槌を打つしかない。


 いきなり目の前で披露されたときは畏怖の念すら覚えたと彼らに伝えたら『そんなばかな』と倒れてしまうのではないか。


「しかもゲームをすると飲料がなくなるペースも早くなって、店の売り上げに効率よく貢献できるんだぞ」


 どう考えても後付けにしか聞こえず、流石に苦笑を禁じ得ない。


「お話し中のところ、失礼しまーす」


 いつの間に登ってきたのか、ドヤ顔をする正宗の前に、店員が追加の注文を持ってきた。

 手早く空の食器を机の上から下ろしてスペースを作り、テトリスのように設置する。

 新しくきた酒は、黄色かったり赤かったり、はたまた緑だったりと色彩豊かだ。


 仁にはどれが何の酒かわからないが、他の四人はしっかり種類を把握しているようだ。

 自分が頼んだものを手前に引っ張り、最初に注文した酒を下げてもらうように、一気に飲み干している。


「皆さん、すごい飲むの早いですね……」


 呆気に取られていると、古賀がそっとフォローを入れてくれた。


「一緒のペースで飲もうとしなくて大丈夫ですよ。楽しく飲むのがモットーですしね。それに」


 チラリと彼は風磨に視線を投げる。

 仁も目で追うと、先程よりも風磨の顔が赤く見えた。まるで小さい時にかかったりんご病のようだ。


 二人の視線に気がついたのか、風磨がキッと目を吊り上げて威嚇するような声を出す。


「何だよ、俺が酒弱いって言いたいのか〜?」


 先程とは打って変わった声の大きさに、目を丸くする。さっきまで眠っていたのかと思うほどの、声量の違いだ。


 そんな風磨に、古賀が宥めるように柔らかく語りかける。


「そうは言ってないですよ。ただ、今日は仁君もいますし、ほどほどにしましょうね」


 その後に仁にだけ聞こえる大きさで、付け加える。


「彼は苗字の通り、下戸なんですよ。すぐに酔っ払って楽しくなってしまうんです」


 名は体を表すというが、表しすぎやしないか。

 

 だが酒を飲んだ彼は、確かに嬉しそうだ。

 面倒臭そうに話していた柚子佳にも、今ではゲラゲラと笑いながら話しかけている。一体どちらが彼の本性なのか、少し不思議に感じた。


「そんな古賀から始まる何ゲーム?」


 突然風磨がこちらを指差し、叫ぶ。どうやら飲みゲーの開始を要求したらしい。

 顔は赤く、言葉も若干舌足らずに聞こえるが、それでも彼は酒を飲むつもりらしい。


 あまり詳しくないが、確か一気にアルコールを摂取すると、体に良くないことが起こるはずだ。酒を飲める年齢になった時、母親が十分気をつけるようにと言っていた気がする。


 きっと古賀が彼を制止するだろうと思っていると、なんと予想を裏切って彼はスッと片手を挙げ、高らかに宣言した。


「リベンジ、山手線ゲーム」


 先程古賀が負けた飲みゲーだ。

 柚子佳も正宗も、楽しそうに両手を挙げて今回のお題を聞いてくる。


 仁は古賀と風磨を交互に見つめるが、どちらもやる気満々というように、腕をブンブンと振り回している。


「お題はこの大学にある学部の名前。先程と同じく、反時計回りでお願いします」


 古賀がお題を言った瞬間、素早く三人が両手を構える。仁もそれに倣って両手を差し出すが、やはり風磨の様子が気にかかる。


 だが仁の心配を打ち消すように、すぐに手拍子が始まってしまった。


「文学部」


 仁が言おうとしていた学部を先回りされ、一瞬だけ焦る。

 すぐにここにいる他のメンバーの自己紹介を思い出し、二回手を打ち鳴らした後に唱えた。


「経済学部」


 パンパンと、小気味良い音が響き、正宗と柚子佳がそれに続く。


「経営学部」

「社会学部」


 次は風磨の番だ。

 一体どうなるのだろうと見守っていると、彼は顎に手を当て、首を傾げながらつぶやいた。


「教育学部」


 語尾がわずかに上がった疑問形に近い発音に、仁は「あ」と思わず声を漏らした。

 すかさず古賀が机の上の透明の液体を差し出し、してやったりとほくそ笑む。


「残念! 今年度から教育学部は廃止されて、今あるのは総合教育学部です」


 新入生の仁だからピンときたが、既に在籍している生徒からすると、名称変更はあまり馴染みのないものらしい。

 古賀がそう言っても、風磨は信じられないという顔で目の前のグラスを見ている。


「え、四月から変わったんだっけ? 俺聞いてないんだけど」

「いやいや、若干自信なさそうに言ってたよ。言い訳はいいから、はいじゃんじゃん飲む」


 柚子佳がニコニコとジョッキを風磨に持たせ、無理矢理口をつけさせた。

 重力に従って、中身の液体がどんどん風磨に注がれる。


 ゲームに負けたのは確かに本人のせいだが、そんな風に飲酒を強要するのはいかがなものか。ハラスメントやいじめに該当するのではないかと、ひやひやする。


 だが仁の心とは裏腹に、他のメンバーは全員大はしゃぎしている。

 隣の古賀も例外ではない。


 ストッパーの役目を果たしてくれそうだったのにと仰ぎ見ると、彼は内緒話をするように片目を瞑った。


「安心してください。今彼が飲んでるのは、ただの水ですよ」

「えっ、そうなんですか? てっきりお酒を飲まされているのかと思って」


「ふふ。このサークルではキャパを超えて飲酒をさせることなんて、決してありませんよ。

 一人一人がきちんと体調管理をして、お酒を飲んだ分はきちんと水を飲むようにしているのです」


 誇らしげに解説する古賀に、正宗も補足してくれる。


「チラシにも書いたが、俺たちのしている飲みゲーは決してアルコールに限らないんだぞ。お酒が得意じゃない人にも、居酒屋に来て仲間と楽しく騒ぐという経験をしてほしいしな」


「そこで得られた経験が楽しければ、また別の友人を誘って居酒屋にその人は行くかもしれない。そうして居酒屋を巡る環境が良くなっていけば、ハッピーだと思わない?」


 風磨にぐびぐびと水を飲ませながら、柚子佳も会話に混ざってくる。


 今日見てきた限り、きっと風磨以外の三人はアルコール耐性があるのだろう。

 それでもそういった垣根を越えて、彼らは四人で一緒に活動をしているのだ。


 ただひたすら、居酒屋や飲みゲーを絶やさないために。真剣に酒業界について考えつつ、だが楽しむということを忘れずに。


 __ここまでの熱量で物事に打ち込むことが、仁には何もなかった。

 ただ母親の言うことを大人しく聞き、勉強をして大学入学までこぎつけただけだ。


 せっかく大人になりかけているのに、全く趣味がないというのも寂しい。

 ここらで、新しい世界に足を踏み入れていくのもいい経験になるかもしれない。

 

 仁の脳内で沸々と、彼らとサークルへの想いが沸き起こり始めた。

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