第9話

「思い返すとあのチラシ、相当異質だったんですけど、なんであのデザインなんですか?」


 そのチラシがきっかけでこの場にいることは、棚に上げる。

 すると四人は一瞬顔を見合わせ、困ったように答えてくれた。


「察してるかもしれないけど、私達のサークルって非公認なのよね。公認だと学校が印刷所とか紹介して、予算もいくらか回してくれるんだけど」


「自分達でゼロから全部準備しないといけないから、時間がなくて」


「そしたら正宗さんが、絵が得意な人がいないから、活動内容を伝えるのに特化したものを作ろうって言ったんです。

『とっつきにくいから文字だけのはやめよう』と話し合いもされたのですが」


「俺はとにかく自分の情熱で人が呼べると驕っていたんだよな。改めて周りのサークルを見ると、カラフルだったり活動場所とか書いてあって頭を抱えたよ」


 照れ笑いを浮かべながら、四人が声をそろえて説明してくれた。

 正宗の独断で作ったチラシは全く新入生に響かず、最終的に仁だけが食事会に訪れたという訳だ。

 もしも仁が捕まらなかったら、この四人は一体今頃どうしていたのだろうか。


 チラシの謎は解けたが、他にも聞きたいことは山ほどある。


「あの、失礼な質問になってしまうかもしれないんですが……なんでこの店ってこんなに混雑してるんですか?」


 階下の店員たちに聞こえないようにこっそりと伺った仁に、彼らは納得したよう

に頷いた。


「もっともな質問だな……食べる邪魔して悪かったが、届いた料理や飲み物にまだ手を付けてないよな?」


 正宗に言われて、確かにまだ何も口にしていないことに思い当たる。

 机の上では餃子やポテトなどのあたたかい料理から湯気がもうもうと出ており、サラダや刺身の冷たい料理からは、ピリリと引き締まった静謐な雰囲気が漂う。

 普段の仁なら喜んで飛びつくほど、美味しそうな見た目と匂いをしている。


 それなのに箸が進まなかったのは、知らない人がいる緊張と、乾杯と同時に始まった突飛なゲームのせいだろう。


 飲みゲーをすることで料理が食べられないのは本末転倒では、と思うものの、どうやら仁以外は隙を見て食べ物もつまんでいたらしい。


 いつの間に食べたのか、柚子佳の前に置いてあるエビマヨは一部が欠けているし、風磨の酒も胡瓜の塩漬けも減っている。

 先程ビールを飲み干した古賀は、さらに追加注文をしているところだ。

 正面の正宗もボリボリと枝豆を口にしているので、仁も軽く手を合わせて箸を持つ。


 最初に手が伸びたのは、やはり自身が注文をお願いした鰆の煮付けだった。


 黄金色に輝く汁にひたひたに浸かった鰆は柔らかく、箸でつつくと簡単に身がほぐれた。

 そのまま一口サイズに取り分けると、ふんわりと春の香りが仁の鼻孔をくすぐる。

 一人暮らしではなかなか煮物を作る機会がないので、期待に胸が膨らんだ。


 そろそろと運んでパクリと口を閉じると、今まで感じたことのない幸福感に体全体が包まれた。

 凝縮された鰆本体の旨味と、隠し味に入れられている生姜の絡み具合が絶妙に混ざり、口内で化学反応を起こしている。


「……! すごい、美味しいです」


 感動しすぎて小学生の感想のような言葉しか出てこないが、全員コクコクと首を振って同意してくれた。


「だよな。こんだけ人がいる理由がわかるだろ?」


 まるで自分が褒められたかのように、風磨が胸を張って鼻息荒くする。


「ここに来るとき、人通りが少なくて不安だなって思ったりしたでしょ? 嘘みたいな話なんだけど、たつきやが通行人を店内に飲みこんじゃうから、通りが閑散としてるって言われてるのよ」


 愉快そうにコロコロと都市伝説を披露する柚子佳に、へぇと相槌を打つ。

 そう言われて信じてしまうほど、ここの料理は絶品だった。


 想像を超える味のショックに身をゆだねていると、横からスッと飲み物が差し出された。

 古賀が、仁の頼んだファジーネーブルを目の前に設置してくれたのだ。


「料理を楽しんだら、こちらもどうぞ。本当は日本酒との相性の方がいいとは思いますが」

「あ、ありがとうございます」


 つい勢いでグラスを掴み、ググっと一気に体にファジーネーブルを注ぎ込む。

 すぐにこれがジュースではなく酒だと思い出したが、時すでに遅し。

 あっという間に仁の喉を流れ、胃袋に酒が辿り着く。


 ここまで生きてきた中で、仁が飲んだことのある酒はビールだけだった。

 それもあまり美味しいと思えず、何がいいのか正直わからなかった。


 だが、たった今仁の体に流れ込んだこのオレンジ色の酒は、彼の頭に本日二度目の衝撃を与えた。昔飲んだビールと違って、全く苦みを感じない。

 舌が感じているのは、永遠に続くかのような甘さと、垣間見える酸っぱさ。


 高校生の時、夕暮れの校舎の中で好きな女の子と進路について話したことを、ふと思い出した。

 この時間がずっと続けばいいのにと願うけれど、それが無理だとわかっていたあの時。それを想起させる味だった。


 あまりの驚きに声が出せず、仁はもう一口飲んでみる。

 するとまた体に甘酸っぱく、どこか懐かしい味が広がった。

 癖になり、さらに追加で飲む。自制するのが難しいほど、ファジーネーブルは仁の好みにストライクした。


「おうおう、そんなにいっぺんにあおって大丈夫か? あまり酒飲まないんだろ?」

「確かに全然今まで飲んだことなかったんですけど、すごい美味しくて」


 ゴクゴクと喉を鳴らしながら、鰆にも再度手を伸ばす。


 ご飯を食べて、酒を飲む。

 その繰り返しをすることで、両者が各々の長所を高め合い、さらに美味しさを伸ばすように感じられた。


 正宗は一度仁を制止したものの、彼の感激ぶりに満足したのか、腕を組むと大らかに笑い声をあげた。


「気に入ってくれたようで何よりだぜ。だけど沢山飲んだら、その分同じ量の水を飲むようにしてくれよな」

「そうしないと、二日酔いっていう怖い病になっちゃうよ~」


 ゲロゲロとカエルのような真似をする柚子佳に、首を傾げる。


「二日酔いって何ですか?」

「そっか、仁君は二日酔いもわからないよね。お酒を飲みすぎると、次の日に頭が痛くなる現象のことよ。水を飲んだら防げるから、ちゃんと飲もうねー」


 そんな恐ろしいことが起きるということを、初めて知った。彼らの忠告通り、し

っかりと水分を取ろうと仁は頭の片隅にメモをする。


「でも、本当に何から何まで美味しいですね。そりゃこれだけ人が入りますよ。なんであんなに見た目に気を使ってないかは謎ですけど」

「あー、それはですね」


 隣から古賀が、ずいっと会話に割って入ってきた。


「ひとえに、外観にかけるためのお金がないからですよ。家が近いので頻繁にここら辺を歩きますけど、昔からずっとこんな感じです」

「え、だってこんなに人いるんですよ?」


 階下でガヤガヤと騒ぐ人々は、自分の欲望に従ってオーダーをしているように見える。全テーブルの会計を合わせたら、そこそこの金額になるのではないか。


 不思議そうに下を覗き込もうとする仁に、古賀はさらに説明を続ける。ピンと人差し指を立てて、まるで教師のようだ。


「これだけ人が来ても、個人経営の飲食店は収益の大部分を、税金として国に取られているんですよ。

 というのも、二十年代に小規模事業者向けの免税制度が廃止され、莫大な割合の消費税を払わないといけない制度ができたからです」


 高校の政経で習ったような記憶があるが、制度名はさすがに思い出せない。

 ただぼんやりと、随分個人事業主に厳しい話だと思ったことだけ、思い出す。


 すると経済学部の風磨が、苦虫を踏み潰したような顔でボソボソと話し出した。


「しかもその制度、令和のパンデミックと施行時期が被ってんだ。ただでさえ客が遠のいたところに、増税が重なって泣きっ面に蜂状態だよな」

「うわぁ、当時の政府何考えてるんですかね」


 今の政府も毎日ウダウダと無駄な会議に励んでいるが、その時に比べるとかわいいものだ。


「たつきやはその時代を乗り越えて、今も経営している居酒屋の一つなんだぞ。ただ、店を続ける為に借りてた金の返済もあって……」


 肩を落として尻すぼみになる正宗に、仁もつられてため息をつく。


 軽く聞いただけで、この店の台所事情が芳しくないことは容易に想像できた。

 しかも最初にメニューを見た時に感じたが、料理や飲み物の値段は決して高くない。顧客ファーストを貫き、その他のところは後回しなのだろう。


 だがそうすると、新規顧客の獲得が難しいのではないか。


 正直、最初に店を見た時は古びた印象を受けて、入店を躊躇った。


 そういう若者が大勢いるから、年齢層が高めになってしまっているのだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る