第7話
声を張り上げる正宗の背中から、恐る恐る店内の様子をうかがった。
すると、なんということだろう。
外の状態からは考えられないほどの、人、人、人で店内は大いににぎわっていた。
店に入ってすぐ右手にレジカウンターがあり、正面の突き当たりはオープンキッチンがドンと構えている。出入口からこの厨房まで二十メートル位だろうか。
その空間に、ウェイター用の通路をわずかに残して、机と椅子が乱雑に並べられている。
どの卓もワイワイガヤガヤと、祭りのような大騒ぎだ。性別の垣根を越え、この場にいる全員が神輿を担ぐように酒を飲んでいる。
圧倒的な熱量に仁は目を白黒させるが、ふと違和感を覚えた。
右にも左にも人が溢れているのに、自分と同年代の人が見当たらない。
現役引退したであろう老人と、仕事を早く切り上げたであろう中堅会社員が殆どだ。
壁にベタベタと張られているポスターも、平成や令和の頃に流行った芸能人ばかり起用されている。大学の近くなのに、まるでタイムスリップしたかのようだ。
「いらっしゃい! いつものところ、もうみんな座っとるよ」
キッチンの奥から、店の大将らしき人がこちらに向かって声を張り上げる。右手にフライパンを持ち、左手では天井を指さしている。
上に一体何があるのかと見上げると、どうやらこの店は二段構造になっているらしい。
店の右奥に無理矢理増築したような急な階段があり、そこから屋根裏部屋が広がっている。まるで子供の頃に木の上に作った、秘密基地のようだ。
小さくとも、ロマンあふれる空間に見える。
あんぐりと口を開けてロフト部分を見ていると、転落防止の木枠から誰かがひょっこりと顔を出した。
「仁君久しぶりー! 早くこっちおいで」
天井から降り注ぐ清らかな声は、紛れもなく仁の意中の相手、柚子佳だ。
明かりがロフトまで行き渡らないため、姿はよく見えないが、きっと今日も美しいに違いない。
咄嗟にいい反応ができず、へらりと手を振ると彼女もブンブンと大きく手を振る。
非常に嬉しい。
正宗も軽く手を上に挙げると、隙間を縫うようにして階段へと真っ直ぐ進み始めた。
彼に気がついた店員や客が、簡単な挨拶を正宗に投げかける。どうやら顔見知りらしく、お互い気さくな会話を繰り広げている。
「おぅ、今日も威勢がいいな」
「田中さんこそ、相変わらずめちゃ元気じゃないですか」
「そんなことより、こいつに彼女ができたんだよ!」
「えっ、やっさんにもついに? うわぁ、マジでおめでとうございます!」
「いやはや恐縮です」
「それなら今日はみんなのおごりってことですかね? 楽しんでくださいね」
ニコニコと愛想を振りまきながら、するりと階段までたどり着く。はぐれないように必死に正宗の後を追う仁に対しては、誰も気に留めない。
少し寂しくもあったが、いきなり知らない人と喋るのが苦手なのでホッとする。
スキップするように駆け上る正宗に続いて、仁も屋根裏に躍り出た。
うっかりすると頭をぶつけそうなほど天井が近く、腰を屈めて前に進む。
横を見ると壁に小さな棚が取り付けられている。ここで靴を脱ぐシステムなのだろう。
「正宗はこっち、仁君はそっちの壁にもたれかけられる方に座ろうか」
柚子佳の声が聞こえるのを頼りに、左の壁側に移動する。
一階に落ちないか不安で下ばかり見ていた顔を上げると、眼鏡をかけた男性が手招きをしていた。
彼の横には紫色の座布団が用意されている。ここに座れということだろう。
頷くように礼をして、胡坐をかく。
すると絶妙なタイミングでメニュー表を彼から差し出された。
「こんばんは。今日は飲み食べ放題コースだから、この太枠の中なら何を頼んでも大丈夫です。どれにしますか?」
眼鏡の男性は店員のように、流暢に説明をする。
ここに座っているということは、サークルの一員なのだろう。だが彼の穏やかな雰囲気と、折れそうなほど細い体と眼鏡のフレームは、正宗や柚子佳と正反対な人種のようだ。
戸惑いつつも、知っている名前の飲み物と食べ物を探す。だがメニューは見慣れない文字ばかりで、眉間に皺を寄せてしまう。
その様子をじっと眺めていた眼鏡の彼は、そっと微笑んで助け舟を出してくれた。
「あまりお酒を飲まないと聞いています。ソフトドリンクもあるけど、どうしますか?」
「あ、ソフドリあるんですね」
針金のような指でスッと示したのは、麦茶やオレンジジュース。どれもメニューの下にちょこんとまとめられており、あまり目立たない。
そういえば、今日の会は無料なのだと思い出す。
タダにあやかって、身近な存在ではないものに挑戦してみたい気持ちも、ある。
「うーん。よくわからないんですけど、お酒でお勧めとかってあります?」
かなりざっくりした質問をすると、彼は首を傾げて真剣に悩んでくれた。
「甘いものが好きなら、このファジーネーブル。オレンジジュースみたいなものです。爽やかな飲み物が飲みたいなら、レモンサワーとかですかね。
苦いのが大丈夫なら、ビールも意外とアルコール度数が低くて飲みやすいですよ」
饒舌になった彼の言葉に、仁は顎に手をやる。こんなに酒に種類があることも、初めて知った。それにアルコール度数も、随分と幅広いらしい。
「それなら最初におっしゃっていた、ファジーネーブルにします。食べ物は、外に書いてあった鰆が気になるな……」
「承知しました。笑喜先輩、ファジーネーブルと鰆の煮付けが新入生の希望です」
「はーい。そしたら私のスマホで皆の分、オーダーしちゃうね」
元気よく柚子佳が返事をして、ポチポチとスマホを触る。
この店の見た目はオンボロなのに、モバイルオーダーにも適応しているのかと面食らう。
そこでふと、斜め正面に座る柚子佳の左隣にもう一人男性がいるのに気が付いた。
たしかこのサークルは全員で四人と、最初に説明された覚えがある。隣の眼鏡の男性、正面にいる正宗と、彼の隣に座る柚子佳に端の男性。数はぴったりと合う。
彼は仁の視線に気が付いたようで、男がつと顔を上げた。若者の間で流行っている、どこかダウナーな雰囲気を醸し出している。
「じゃあ飲み物と食べ物が来るまでに、自己紹介するか。俺とゆずのことはもう知ってるし、風磨からいけるか?」
端の男が、ハッと姿勢を正した。茶色く染めた髪の毛の隙間から、鈍く光るピアスが覗いている。
彼は掠れて少し聞き取りにくい声を響かせた。
「
続きを待つ。
が、どうやらそれだけで自己紹介が終わったらしい。出番は終わったと言わんばかりに、机の上に置いたスマホに手を伸ばした。
「えー、風磨君そっけなさすぎない? なんでこのサークル入ったとか話してよ」
柚子佳の声に、風磨がチベットスナギツネみたいな表情を浮かべる。
あそこまで露骨に嫌な顔ができるのも、なかなか凄い。
それに肩が触れ合いそうな距離にいる美女にからかわれても、あたふたしないなんて、仁には絶対無理だ。
東京の男はやはり格が違うと感心したところに、正宗が割って入る。
「初めての後輩だから風磨も緊張してるんだよな? それでも、もうちょっと喋ってくれたら嬉しいんだが」
「……正宗さんがそう言うなら、ちょっとだけですよ」
大きく手を合わせた正宗に対して、風磨は顔の強張りを若干解いたようだ。
絶妙に目線が合わないけれど、改めて仁の方へ顔を向けた。
「正宗さんとは選択体育の授業で会ったんだ。そこでペアを組んで助けてもらって、そのよしみでサークルに入った」
「ペアって、一体何のペアだったんですか?」
思わず尋ねると、風磨の代わりに正宗が胸を張って答えてくれた。
「古武術! 槍とか棒を使って相手と組みあうんだぞ」
「……随分難しそうなもの選びましたね」
正宗が槍で戦うのは、何となくイメージが付く。
というよりも違和感が全くない。
だが斜め前に座った風磨は、槍どころか卓球のラケットすら持つのを面倒くさがりそうだ。
そんな仁の気持ちが伝わったのか、彼はピアスをいじりながらぼそぼそと訳を話してくれた。
「もっと楽なのやりたかったのに、抽選で外れたんだよ。だから一人で本当に困ってたんだ。そしたら急に大声で話しかけられて」
あの時はありがとうございました、と礼儀正しく腰から体を折る。正宗は楽しそうに大きく首をブンブンと振って、風磨の気持ちを受け取ったようだ。
「きっかけは何であれ、仲良くなれてよかったぞ。それじゃあ次は古賀、自己紹介いこうか」
「はい、
趣味は散歩をしながら見つけたカフェやバーで、ご飯やお酒を嗜むことです。
今日はよろしくお願いいたします」
眼鏡をかけた男性、古賀が名乗り上げた。先程ドリンクについて語った時と同じく、滔々とした声はロボットのようにも感じる。
彼は仁の方に改めて正座すると、深々と頭を下げた。慌てて仁も指をついて頭を下げ、古賀と近距離で見つめあう。
「古賀はお酒が好きで、しかもかなりアルコール耐性があるのよ。この細い体のどこに入ってるのか不思議なくらい、よく飲むんだよねぇ」
身を乗り出して古賀にちょっかいを出す柚子佳に、彼は咳払いする。
「笑喜先輩、過度な煽りは良くないですよ。先輩だって沢山飲むでしょう」
「そんな謙遜しないでよ。あ、あとね、眼鏡外すとすっごい格好いいんだよ」
目を輝かせる柚子佳と、困ったように眉を顰める古賀。顔を隠すように、少し眼鏡を手でずらしてしまった。
ただ、分厚いレンズの下には、確かに切長の涼しげな瞳が隠れているようだ。コンタクトにすれば、イケメンと騒がれる風貌をしているに違いない。
柚子佳に古賀に、随分と美形揃いのサークルだ。
「古賀は確かにすごい飲むが、酔っ払うとどうなるんだろうな? いつか見てみたいものだな」
「たまにサシ飲み行きますけど、俺も古賀が酔っているところ、見たことないですよ」
腕を組んでうんうん唸る正宗に、風磨も同調する。
そんな様子を、古賀は静かにニコニコと見守っていた。
その時、奥からトントンと軽快に階段を登る音が聞こえてきた。
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