第6話
「……頑張ろう」
ぽつり、と呟き拳を固める。
その途端、右手の植え込みから正宗が飛び出してきた。
「……はぁ?」
あまりにも突然の出来事に二の句が継げず、仁は口を大きく開いた。
なぜか飛び出してきた正宗も、つぶらな瞳で驚いたように仁を見つめる。
「おや、仁じゃないか。こんな道端で会うなんて奇遇だな」
「いやこっちのセリフですって!」
動揺して大きな声を出すと、正宗の後ろからガサガサと何かがうごめく音がした。
この期に及んでサプライズが仕掛けられているのかと身構えると、白くて可愛らしい子猫がひょっこりと正宗の足の隙間から顔を出してきた。そのまま子猫はこちらを振り向くこともせず、仁が歩いてきた道を一直線に駆けていく。
その様子を眺めていた正宗は、少し寂しそうだが満足気に大きく頷いた。
「元気で何より!」
「いやだから何なんですか⁉ ツッコミどころ満載すぎません?」
なんでやねん、とバシッと肩を叩きたい気持ちをグッとこらえ、なんとか状況を捉えようと試みる。
しかし正宗は現状について特に違和感を覚えていないのか、そのまま正門の方にくるりと体の向きを変えてしまった。
まさかこのまま説明なしに、待ち合わせ場所に向かうつもりじゃあるまいしと、仁も慌てて彼の隣に並んで歩く。すると唐突に正宗が口を開いた。
「六時まで、図書館でレポートを書こうと思ったんだがな。集中していたら小腹が空いてきたんだよ。で、大学の近くの家系ラーメンで、軽く一杯食べようと思ったんだ」
仁にとって家系ラーメンは決して軽い食べ物ではない。というよりも、なんでこんな話をしてきたのかがさっぱりわからない。
はぁ、とため息のような相槌のような声を漏らすと、正宗はズンズンと歩きながら話を続ける。
「それから大学に戻ろうと思ったら、さっきの道端でやたらカラスが鳴いててさ。何かと思って近寄ってみたらさっきの猫が攻撃されているみたいで。
こりゃあマズいぞ、とカラスを追っ払って猫の具合を確かめようと草に体を突っ込んでいたら」
たまたま仁が通りかかった、と顔をポリポリと人差し指でかく。
小声で、あんなに走れるなら問題ないな、とか、猫より犬派なんだけどな、と続ける。
その間も彼の眼は真っ直ぐ前を向き、足はセカセカと動くため仁とのテンポが合わない。
「……もしかして、さっきの見られて恥ずかしがってます?」
仁の言葉が図星だったのか、正宗の喉がグゥッと鳴った。見上げる顔も心なしか赤く見受けられる。
「こっちはターミナル駅側ではないし、まさか知り合いに会うなんて思ってもいなかったんだよ。
善行なんて、人に見せつけるものでもないしな」
サラリと彼が放ったセリフに仁は虚をつかれた。
きっと彼はいつもこうやって、困っているものがいたらすぐに助けの手を差し伸べるのだろう。しかもそれをひけらかすのではなく、純粋な善意で行っている。
見た目は大きな熊のようだが、中身は本当に優しい馬のような人なのかもしれない。
だが、仁が感動したということを口にしたら、ますます彼は恐縮してしまうだろう。これ以上は猫のことに触れるのは辞めようと、別の話題を探す。
「そういえば、今日ってサークルのメンバー、全員来られるんですか?」
「あぁ、もちろん全員参加だぞ。俺が仁を迎えに行く役割だったから、他の人は先に店に行ってるが……あ。ここで合流できたから、このまま直接店に行くか」
正宗はシャツの内側に掛けていたサコッシュからスマホを取り出し、指を滑らせた。
このまま真っ直ぐ行くと正門だが、どうやら目的の店は斜め左側にあるらしい。何世帯が暮らせるのだろうかという大きなマンションと、雑居ビル群に挟まれた路地に方向転換した。
仁はまだ土地勘がないので、大人しく正宗の広い背中についていく。
隊列を組んで歩くと、横並びの時と比べてなかなか話しかけにくい。
そういえば、入学式の時もこうやって正宗の背中を追いかけて歩いていたと思い出す。
あの時はファッションに無頓着なように見えたが、今の正宗は随分スタイリッシュな格好をしている。
適当にポケットに必要な物を突っ込んできた仁は、これが田舎と都会の差かと肩を落とした。
自分には、あんなに小さくて実用的でないバッグを買うという発想がない。
とにかくでかくて重くてごつくて、頑丈なものがいいのだ。
「さっき裏門側から歩いてきてたけど、家ってこの辺なのか?」
首を捻った正宗が話しかけてきた。
黙々と歩くのも気詰まりと思っていたところに、丁度いい塩梅だ。見た目と裏腹に、やはり彼は空気を読む熟練のスキルを備えているのかもしれない。
「ここら辺から、ちょっと歩いたところですね。第二公園って大きい公園、わかります? 真ん中にでっかい噴水があるんですけど」
「あぁ、地下鉄の方に住んでるのか。あそこら辺住んでるってことは、一人暮らし?」
「そうです。地方から上京してきてて」
「一人暮らしかぁ。慣れない土地で、慣れないことをするのって大変だろう? 俺はずっと実家から通っているから尊敬するよ」
料理は食べる専門で全く作れん、と言い張る姿に苦笑する。すると正宗は悪ガキのように舌をチラッとのぞかせた。
「でも酒を混ぜたりするのは得意だぜ」
ふふんと鼻を鳴らす様子に対して、はぁと気の抜けた返事しかできない。
酒を混ぜるとは、具体的にどういうことなのだろう。
ビールとジンジャエールを混ぜ合わせたり、ワインとオレンジジュースを混ぜたりするのだろうか。
そう想像して、すぐに否定する。
そんな飲み物の調合なんてことをやっているのは、イキのいい中学生だけだ。仁も体育祭の打ち上げで訪れたファミレスのドリンクバーで、級友と盛り上がった記憶がある。
そうこう話しているうちに、路地に終わりが見えてきた。
出口から、春の柔らかな夕日が差し込む。正宗を日除け代わりにしても、少しまぶしく視界がかすんだ。
思わずつぶった目を再び開けた時、『たつきや』と看板を掲げる、こじんまりとした店が現れた。
両隣には、場末感満載の個人経営カラオケと、見るからに閑古鳥の鳴いている香辛料セレクトショップ。
三軒とも同時期に建てられたのか、似たような平屋になっている。だが壁は何年も塗り替えられていないようで、元の色が白なのかグレーなのかわからない。
しかも大都会の中心にいるはずなのに、やけに周囲は静かだった。
「……今日の店ってここですか?」
縋るように言葉を絞り出すと、正宗がこっくりと頷いた。そして仁を振り返ると、ニッコリと太陽のような笑みを浮かべた。
「ここが俺たちの行きつけの店、たつきさんがやってる『たつきや』だ!」
「あ、なるほど」
最適な返答が微塵も思いつかず、仁も釣られて笑ってごまかす。
タダ飯なのだから、期待外れなど決して言ってはいけない。
そう頭ではわかっていても、心が追い付かなかった。なにせ明らかに儲かっていないだろう外観をしている。
だがよくよく観察してみると、確かに営業はしているようで、すりガラスの引き戸からは明かりが漏れている。
その上に設置されている名前が書かれた看板も、定期的に磨かれてはいるようだ。
店のメニューについても、扉の近くに手書きのものが貼ってある。
どうやら今週は、鰆の煮付けを頼めるらしい。けれどその下にある室外機の音が、ゴウンゴウンとあまりにうるさく、そちらに意識が向いてしまう。
本当に大丈夫ななのかと不安になっている仁をよそに、正宗は勢いよく引き戸に手をかけ、ガラリと開け放った。
「ごめんくださーい! 飯酒盃です!」
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