第4話
そんな空気を入れ替えようとしたのか、正宗は窓際へ歩いてがらりと窓を大きく開いた。
フワリと春の陽気を感じられる風とともに、桜の花びらも室内に舞ってくる。
「暗い感じになってしまったけど、サークルの活動自体はすごく楽しいぞ」
柚子佳も彼に続いてフォローを入れるように、立ち上がって仁に向き合った。フワフワと舞う桜のように、彼女の顔も明るい。
「そうそう! そんなにかしこまった感じにならなくても大丈夫だよ。
私たちが主に活動しているのは、その居酒屋で起こっていた『飲みゲー』についてだし」
彼女の言葉に、仁は改めてチラシの文言を思い返す。
紙面を長々と飲みゲーというものの説明に使っていたが、結局どういうものなのかを具体的に掴むことはできなかった。おそらく酔った人間が考えたゲームなのだろうが、それをわざわざサークルとして活動する趣旨もいまいち理解できない。
窓辺に腰かけた正宗に対し、仁はその疑問を口にする。
「酒についてそんな経緯があるのは知らなかったです。でも正直、だから何? って話にも聞こえて……」
少しキツイ言い方だったかもしれない、と彼は途中で口をつぐむ。
恐る恐る二人の顔を交互に見ると、彼らは傷ついた様子もなく、静かに仁の顔をじっと見つめていた。
まるで何回もそのセリフを聞いたかのように、彼らの反応は驚くほど平坦だった。
「そう思うのも、もっともだと思うよ。ただ、俺たちは居酒屋やその中で行われていた飲みゲーを、真剣に立派な文化だと思っているんだ」
正宗の言葉を引き継いで、柚子佳が赤子に言い聞かせるように、ゆっくり一音一音発音をしていく。
「人と人が一堂に会して本音で語ってゲームして、絆を深められる場所なのよ。居酒屋って。
そんな社交場を、私たちはまた全国に復活させたいと思っているの」
そのためにも、と彼女は言葉を区切って正宗の方を向く。つられて仁も顔を向けると、彼は青空のもと真っ白な歯を見せて豪快に笑っていた。
「そのためにはまず、人々の関心を引くことが大事だよな。
それで俺たちは、インパクトが強くて面白い、飲みゲーを広めるためサークルを作ったんだ」
グッと拳を握り、彼は真っ直ぐに前を見つめる。
そのあまりにも堂々とした立ち姿に、仁は圧倒されそうになった。それと同時に、体の底からむくむくと再度疑問が湧いてくる。
「素晴らしい熱意だと思います……
けど、どうしてそんなに熱心になれるんです? それに、具体的にどうやって飲みゲー文化を広めていこうとしているんですか?」
仁の反応に、正宗の太い眉がピクリと動いた。先程まで大きく開けていた口も、キュッと引き締まる。
「突っ込んだ質問をされると嬉しいものだな。具体的には、近所の居酒屋で飲みゲーを開催する告知をして、集まった人たちと一緒に楽しく酒を飲むってとこかな。活動頻度はまちまちだが、週に一度やれればいい方かな」
「この大学に限らず、他大でも一般の人でもいいのよ。それで楽しいって思ってもらえたら、周りの友人にも勧めてねって話して解散するの」
部員以外の人が足を運んでくれるのはまれだけどね、と柚子佳は苦笑する。
お菓子の袋が大量にあり、今も誰かがこの教室を訪ねてくる気配はない。入学式でこの状況ということは、実際はほぼ身内だけでの開催になっているのだろう。
「もう一つの質問に関しては、今度の新歓に来てくれたら話そうか。新入生は無料だし、来てくれると嬉しいぞ」
正宗の言葉に仁は思わず頬を緩める。一人暮らしの大学生にとって、タダ飯ほどありがたいものはない。
この歳で親からの仕送りを当てにするのも恥ずかしいし、まだバイト先も決まっていないのだ。
依然としてこのサークルに対する疑問は残るものの、夜ご飯を共にしてくれる友達もいない。彼はカレンダーにメモを残そうと、スマホをポケットから取り出した。
「ご飯って確か六日ですよね。当日どこ集合ですか?」
問いかけると、正宗は窓の外を指さした。目を向けると、遠くの方に先程までもみくちゃにされていた正門前の広場が見えた。
よく見ると大方の人は撤収したようで、道端を清掃員が掃除している。
「正門から大学に入ると両脇にでかい木が植えてあるんだが、わかるかな?
向かって右側の木の下に六時集合で、そこから店に向かうぞ」
高さ十メートルはあるだろう、大きなもみの木がそびえ立っていたのを、確かに仁は見ていた。
この木はクリスマスの時期になると、全身金ぴかの装飾を施されることで有名らしい。
『その時期までに恋人ができなかった一年生は、在学中は独り身確定!』という恐ろしいジンクスもあるそうだ。
先程の入学式でもらったパンフレットに、ご丁寧に説明が載っていて彼は恐怖で身震いしていたのだった。
そんなことを思い出したからか、ポロリと口から言葉が転び出た。
「恋人ができなくなるジンクスだか呪いだかかかってる木ですよね」
正宗と柚子佳は一瞬虚をつかれた顔をしたが、すぐに腹を抱えて笑い声をあげる。あまりに幼稚なことを口走ってしまったと仁は顔を赤くするが、その反応も彼らの笑いを増長させるようだ。
「あったねぇ、そんなジンクス! 一年生の頃は皆必死になって恋人作ろうとするんだよね」
今考えると盛った猫みたいでちょっとウケる、という柚子佳の声にドキリと心臓が刎ねる。自分の言動も彼女にそう見えているのかと思うと、弁解したい気持ちが湧いてきた。
しかしその決意を打ち砕くかのように、正宗が豪快に笑いながらとんでもないことを言い放った。
「ゆずも色んな男から言い寄られてたよな。そいつらをばっさばっさと切り捨てていく様、武士みたいだったな。
正宗の足元にも及ばないってセリフは嬉しかったけど、周囲からの恨み妬みがしんどかったのなんの」
サラリと耳に入ってきた衝撃の事実に思考がショートしかけた。
なんとか正宗から柚子佳の方へ視線だけ移動させると、不服そうに口をチョンと尖らせる可愛らしい姿が。
「正宗一筋なのは今でも変わらないよ。まぁ、相変わらず私を選んでくれる気配ないけど」
照れたように口元を手で覆い、表情を隠そうとする彼女に再び頭を殴られたようなインパクトを感じた。この短時間で、何度も百万ボルトの電流を体に流されているみたいだ。
二人の言葉を要約すると、どうやら柚子佳が正宗に片思いをしているのは確実である。
でもこんなスタイリッシュな美女が、こんな前時代的な男性に恋している気持ちが仁には全く理解できなかった。むしろ、理解したくないというのが正しいかもしれない。
空腹の鯉のように口をパクパクとする仁に対し、二人は春の陽気を感じさせる笑みを浮かべて首をかしげる。
「どうしたんだ? 何か聞きたいことでもあるのか?」
なんでこんな可憐な女性の好意を受け取らないんですか⁉ と聞きたい気持ちをぐっと抑え、穏やかに首を振る。
初対面の相手からそんなことを言われたら不快だということくらい、仁にも想像ができた。
「いや……仲が良くて何よりですって思って……待ち合わせ場所、了解しました」
「あ、ごめんね! 私らの身の上話なんて聞いても楽しくないし、興味ないよね」
顔の前で両手を合わせる柚子佳にも首を振り、仁はゆっくりと立ち上がった。
彼女も慌てて立ち上がり、正宗と二人でスマホを手にして彼の前に立つ。どうやら連絡先を交換しておきたいらしい。
自分のスマホを取り出して連絡先のコードを差し出すと、二人は喜んで受け取った。これでひとまず今日は終わりのようだ。
「それじゃあ、また六日に会おうね! 食事会前も、いつでも連絡してくれて大丈夫だからね」
教室の出口まで見送ってくれた二人に対して、力なく腕を上げて答える。
十五分前まで喉から手が出るほど欲しかった彼女の連絡先を手に入れたのに、むなしさしか感じない。
廊下に出て戸をパタリと閉めると、途端に静寂が訪れた。
仁の手元には、意中の人がいる美女の連絡先、その意中の相手、そして美女に釣られてへんてこなサークルに足を踏み込んでしまったという事実だけが残っていた。
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