第3話
二人は勉強机を挟んで、仁の正面に陣取った。
教室の雰囲気もあいまって、高校のクラスで三者面談をしているみたいだ。
「えーっと、まず簡単に自己紹介しようか。私の名前は笑喜柚子佳です。笑う喜びって書いて、しょーきって読むんだ。
でも苗字で呼ばれることはあまりなくて、皆からゆずって呼ばれてます。社会学部三年でーす」
ぺこり、と軽く会釈する。首を曲げた際にはらりと耳にかけた髪が揺れ動き、その姿に見とれそうになる。
一挙手一投足が絵になる人だと、改めて惚れ惚れした。
仁も頭を下げると、正面の正宗が口を開いた。
「改めて名乗るぞ。飯酒盃正宗、社会学部の三年だ。飲みゲー文化保存サークルのサークル長を務めている。
というかこのサークルの発起人だな。ちなみに副サー長は、ゆずが務めてるんだ」
名前を呼ばれた柚子佳が、イェーイと隣でお茶目にピースする。
その時、ふと一抹の不安が頭をかすめた。
この二人、先程から距離感が夫婦漫才のようだ。見た目は美女と野獣だが、交際相手という可能性もある。もしそうだとしたら、仁がここにいる意味は無に帰すのではないか。
しかし、善意で自分をもてなしてくれる人達にそんな考えを抱くのも失礼な話だ。
ちゃんと切り替えようと、仁も自己紹介を始める。
「こんにちは、滝吞仁です。文学部の一年生です。十九歳です。よろしくお願いします」
両手を膝に当て、ぎこちなく体を折る。あまりにもつまらない紹介をしてしまったと、謝りたくなってしまった。
その様子を見て二人は慌てたように、もっとラフにいこうとさらにお菓子を皿に盛る。
遠慮をするのも違う気がして、仁は手前のチョコに手を伸ばした。どこにでも売っている英字印刷された一口サイズのチョコだが、甘く感じられた。
「仁君って言うのね、よろしくねぇ。文学部ってことは、古賀と一緒じゃんね」
古賀という新たな名前が登場したが、この教室にいるのは三人だけだ。
仁がポカンとした顔をしているのがわかったのか、正宗が説明を付け足してくれた。
「古賀っていうのは、このサークルにいる二年生のことだ。歴史サークルと兼任してて、今日はそっちに顔を出してるんだよ」
「あともう一人、風磨君っていう二年生もいるよ。二人とも、年齢だけなら仁君とタメだね。うちのサークルはこの四人だけなのよ」
四人というと、随分少ないように聞こえる。
まだ何の説明も受けていないが、公認ではなく非公認サークルなのだろうか。
そもそも、チラシに書いてあった『飲みゲー』というものも、まだよく理解できていない。代表例として挙げられていた山手線ゲームも初めて知った。
このまま訳の分からない状態も居心地が悪いので、おずおずと仁は手を上げる。
「あの、ここに来てから言うことじゃないかもしれないですが……そもそもこのサークルってどんなサークルなんですか?」
その質問を待っていましたとばかりに、正宗が手を叩いた。
立ち上がって再び教壇に向かい、黒板を背にした彼は、まるで大学教授のような貫禄があった。
そのままおもむろにチョークを取ると、ビシリと仁と柚子佳を指さした。
「本当は実演できたらいいんだけど、俺とゆずの二人だとちょっと厳しくてな。
今日は講義形式で、簡単な説明をする形でもいいか?」
「私はさんせーい。他のメンバーもいたらよかったけど、しょうがないよね」
新歓食事会の時に実技は行うから、と柚子佳は仁に目配せした。実技の意味もよく掴めないが、二人の勢いにつられて仁は椅子の角度を黒板に調整する。
「まず、歴史の話をしないといけないんだが……四十年近く前に世界でパンデミックが起こったことは知っているよな?」
正宗の言葉に、強く頷く。世界史の教科書できちんと学び、三か月前に受けた試験でも回答することができたからだ。
風邪の一種がある日突然変異し、世界中を恐怖に陥れたことが二十年代にあったそうだ。このせいで経済や文化の発達が著しく低下し、出生率も激減。
人類は進歩するどころか退化したとまで言われ、終息から何十年経った今も、科学技術などはパンデミック時から変化が全く起こらないらしい。
しかもこの疫病は仁達の世代にも影響を与えた。
彼らが生まれたのはパニックが落ち着いたころだったのだが、病に対して過剰反応した親の世代が子供にも徹底的な防疫を施したのだ。
子供の命を守ろうと、親は必死に殺菌や消毒、外出や行事の自粛をした。こうして幼少期に抑圧された結果、周りにすぐ迎合し、自分の意志を放り投げる『あきらめ世代』と呼ばれる世代が生まれたのだ。
何をしても無意味で成長をしない世の中を作ったのは大人たちなのに、若者を勝手にラベリングするのは変な話なのだが。
ただ実際問題、そういう大人しくて諦めの早い人が多いのは認めざるを得ない。
仁だって自分がそういう性格をしていると、自覚している。
「この前の試験でも取り上げられてましたよ。病気そのものよりも、それに対する人々の反応が文化や経済に大打撃を与えたって」
仁の返答に、彼は満足そうに微笑んだ。
「まさにその通り! 色々な文化が廃れたんだが、特に酒に関する文化が急激に失われていったんだ。今では信じられないが、昔は個人経営の居酒屋も沢山街にあったんだぞ」
正宗の言葉に仁は目を丸くする。
居酒屋経営と言えば、ファミレスが税金対策として片手間で行うものだと思っていたのだ。というよりも、大手外食チェーンの役員たちの趣味の事業レベルだ。
そもそも、この国では飲酒をする人が極端に少ない。老人が道端で飲んでいるのをたまに目にするが、若者がしているのは見たことがない。仁達若者にとって、酒というものは老後をイメージさせるものなのだ。
「個人経営の居酒屋って儲かるんですか? そんなのやるなんて、とんだもの好きじゃないですか」
仁の疑問も最もだというように、正宗は言葉を続ける。
「今では考えられないほど、かつての日本は飲酒がブームとなっていたんだぜ。
誰もが酒を飲んでいた時代があったんだ。
大学生サークルの集まりは決まって近所の居酒屋、サラリーマンだって接待に居酒屋って感じでな」
「え、じゃあなんでブームが終わっちゃったんですか?」
さすがに一つの事象を歴史の授業では深堀りしなかったため、これ以上の知識は彼になかった。
とにかく色々な面、特に経済の面で疫病は不都合をもたらしたと記憶したが、酒に関しての記述はなかったと思う。
正宗は悲しそうに眉を寄せると、ぽつりとぼやいた。
「当時、居酒屋が病原体のようにマスコミに取り上げられたのがきっかけなんだ。人から人に感染したのは事実なんだが、なぜか満員電車などは叩かれず、居酒屋だけが目の敵にされたらしい。
——国が強制的に営業を中止させ、廃業に追い込んだんだぜ」
肩を下げながら正宗が紡ぐ歴史に、仁は絶句する。
そんなことをなぜ国が行ったのか、彼には理解できなかった。そもそも強制的に仕事を取り上げるなんて、基本的人権の侵害ではないのか。
驚きのあまり声が出せない彼に代わって、横に座っていた柚子佳が口を開いた、
「酒が悪者にされたのって、大声で喚いて感染リスクが上がるって懸念かららしいよ。
そんなこと言ったら、カラオケもスポーツ観戦も、とにかく人が集まる場所は全部ダメよね」
彼女も正宗同様、この状況に憤っているようだ。先程までの朗らかな声とは打って変わった、語気の強さにびくりとする。
だが、確かに彼女の言う通りだ。そもそも人が少しでも集まっていれば、感染した病だと仁は記憶している。
とどのつまり、スケープゴートを作り出して怒りや恐怖の矛先を、一集めにしたかったのだろう。そうすれば他の業界は守られるし、国も国民からの糾弾を真っ向に受けなくて済む。
「とにかく酒業界は、こうして二十年代に一気に廃れてしまったんだ」
ため息交じりに頭をかく正宗に、仁もつられてため息を吐く。
教室に入った時には感じられなかった、重苦しい空気が漂った。
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