わんだーわんだーどりぃみんぐ ⅰ
リビングにある妹の生首が急に喋りだした。
なんの気無しに今日の天気を尋ねてきたその声に、オレは「極彩色の悪夢みたいだな」と思った。
心底、夢であってほしかった。
☆
「ねえねえおにいちゃん」
「なんだい妹」
「私、海に行きたい」
「そうか、おやすみ」
「ちょっとー!」
即座に話を終わらせて妹の前から去ろうとしたのだが、彼女は口をとがらせこちらを引き止めてきた。
「可愛い妹のお願いだよ?ちょっとくらい聞く気はないの?」
「寝言は寝て言え」
ひどい、などと言うがそれはこっちの台詞だ。今現在生首である妹と外出すれば、まず間違いなくオレは通報される。だいたい、海に行ってどうするというのだ。その体・・・体?ではまともに泳げもしないだろうに。
目の前の双子の妹_____アリスは、はあとわざとらしく溜息を吐いた。
「あーあ。イジワルなおにいちゃんのせいでこっちはずぅーっと退屈だよ。この体じゃあ、彼氏君たちとも遊べないし」
憎たらしいその口調に、思わずイラッとする。毎日リビングに赴く度、妹の生首と遭遇しなければならないこっちの気持ちをもう少し慮って欲しい。
「彼氏君”たち”って。相変わらず性悪だな、おまえ。女って怖ぇーわ」
「とっかえひっかえしてるラビに言われたくない。最長1ヶ月のクズ男のくせに」
「アリスよりはマシだろ」
少なくともオレは浮気はしない。来るもの拒まず去るもの追わずのスタンスで、ちょっとだけ人よりお付き合いのスパンが短いだけだ。それにオレからフッたことは一度もないのだ。一度に堂々と5人以上の男性と交際している目の前の妹よりかは遥かに誠実だと思う。
だというのに、その不誠実の権化のようなアリスは自身になんの過誤もないように堂々たる口調で言い返してくる。
「私はダーリンたちを平等に愛してるんですー。一ヶ月で5人のカノジョにフラれる甲斐性なしな誰かさんとは違って、アリスの愛は大きいもんね」
それに彼君たちもアリスが好きだからそれでいいって言ってくれてるもん、と目の前で世迷い言を募る妹にまたも溜息を追加。
「それは愛が深いんじゃなくて、多情っていうんだよ」
まったく、コイツと付き合っているボーイフレンドたちの気がしれない。
会話の切れ目に時計を見ると、すでに午前1時を差していた。そろそろ夢寐(むび)に浸らなければ、明日の講義で昼寝を満喫してしまうことになる。
「じゃあ、明日は早いから。おやすみ」
アリスのおしゃべりに付き合っているといつまで経っても眠れないので、未だにわーわー言っている何かは全部無視。妹と呼ばれる存在とのコミュニケーションにおいては、適切な既聞無視がときに極めて重要なのだ。
リビングを出る前に、ちらりと気づかれないよう妹の方を振り返る。ほんの一刹那見えた頭には、やはり首から下がなかった。
この悪夢的光景が現実である不条理を呪いながら、これよりはマシな悪夢を見るために自身のベッドへと向かった。
☆
ラビとアリスは双子の兄妹だ。親はいない。ほんの数年前に死んでしまった____わけではなく、両親ともに海外赴任なだけだ。「もう大学生なんだからふたりで助け合って自炊できるわよね?仕送りは毎月送るから。それじゃあいってきます」というやけに軽めのいとまごいの挨拶で玄関を去っていった母を思い出す。母は父の海外出張に付いていく形で家を出た。ほぼ即決だった。即断だった。迷う素振りすらなかった。まあ母が父についていかないわけがないのだ。あの人の優先順位の一位は自身の産んだ子供ではなく父であることを、ラビもアリスも知っている。そして父は母の言葉には絶対に反対しない。母がもし人を殺したいのだと言い出したら、父は眉一つ変えることなく「何をすればいい?」と尋ねるだろう。誰かを殺してほしいと頼まれたら、寸分も迷わずそうするだろう。それが例え誰であっても。その時の彼の思考に、自身の子供のことなんて露ほども存在しない。
別に両親が、ラビとアリスを愛していないというわけではない。ここまで育てて貰ったのだ。大学の学費もしっかり払って貰っておいて、さすがにそんな恩知らずなことを主張する気は毛頭ない。ただあのふたりは、お互いに対する愛情のバイアスに偏りがありすぎるのだ。普通の人に向ければその人の人生がぶっ壊れるような重く粘ついた情念を余すことなく互いに向けている。こんな関係を世間では、破れ鍋に綴蓋というらしい。言い得て妙だ。歪で破滅的な純情。もし明日片方が死んだなら、もう片方も一秒も迷うことなく後を負うだろう。なのでラビとアリスは、葬式代は一気に二人分払わなきゃ、と至極どうでもいいことでげんなりしたこともあった。
閑話休題。
ともかく、そんなおかしな両親から生まれた双子のラビとアリスは、とても整った容姿をしていた。
白磁の肌。透き通った空色の瞳。くるんとなる巻き毛は優しい黄金の光を放って、まさに天使と呼ぶに相応しい容貌を持っていた。当然、そんなふたりだから、それはもう幼児のころから異性にモテた。ときたま同性にもモテた。恋愛関係の揉め事なんか、家族間での喧嘩より知れたものだった。だからふたりの恋愛観が破綻しているのだと言えば、世の美女・美男が風評被害だと言うのだろうが。
アリスは中学辺りの頃から、数人の男性と付き合うようになった。とっかえひっかえをした、という意味ではない。同時進行で、複数人と付き合うようになったのだ。告白してきた人間、好意を向けてきた人間、あるいは行為を仕掛けてきた人間全員と付き合った。乱獲だった。やりたい放題だった。なんでもアリスの中では、「なんでアリスを好きって言ってくれた人達を、一人に絞らなきゃいけないの?そんなのかわいそうでしょ」らしい。兄ながら、妹の思考回路がまったく理解できない。
アイツが中学当時付き合っていた男の中には子持ち成人男性も学校教師も含まれていたことを知った日には、さすがに頭を抱えた。社会倫理の限界が垣間見えた瞬間だった。法律と警察は何をしているんだ。いやうちの妹が一番何をしているんだ。
ともかく、アリスのハーレムはそういうふうに成り立っている。アリスに告白した人間は、まずアリスハーレムを受け入れるか拒否するかの洗礼ならぬ選別を受けるのだ。そしてその後に来るのは、いつまでアリスハーレムに耐えられるか、即ち好きな人複数人とシェア状態をどれだけ耐えられるかのチキンレースだ。まともな感性を持っていれば持っているほどアリスとは付き合えないようになっていく。この現代社会でいつまでもアリスの価値観に付き合っていられるやつは稀だろう。なので、ラビほどではないがアリスのハーレムメンバー回転数も一般的な恋人期間よりは割増高いのだ。まあなかにはいつまでもアリスハーレムに属し続ける古参もいるが。シャムなんかは、アリスが高校一年生の時に加入して5年経った今もハーレムメンバーでい続けている。なんで最年少で博士号まで取った期待の心理学者がアリスハーレムの一員をしているのか、ラビは今でも分からない。
そんなおよそ現代ではなく中世の世界観で生きているとしか思えない妹とは違って、ラビは至って真面目なお付き合いをしている。・・・つもりだ。少なくとも、自分の中では。
そりゃあ回転率は人よりちょっっと早いかも知れないけど、それだってラビが望んでそうしているわけではない。好きでとっかえひっかえなんてしていない。ラビだって、できれば誰かひとりの女性と長く深く付き合いたい。でもうまくいかない。ラビは天使もかくやのごとくの美青年であり、人当たりもいい性格なので、それはもう告白なんかされまくりだが、長続きしたことが一度もない。告白を受け入れてから、最長で1ヶ月、最短で3日。必ず相手側からフってくるのだ。ラビからではなく。ラビに告白してきた筈の、彼女達の方から。そしてその時に言われる言葉も、言い回しやニュアンスの違いがあれど、だいたいは同じ趣旨の言葉だ。あまりにも言われ慣れ、飽きてしまったあの言葉。
『_____あなた、私のことがちっとも好きじゃないんでしょう?』
そんなこと言われてもな、とラビは思う。そんなことを言われても、困る。こっちは好きでいるための努力も、好きでいてもらえるための努力も欠かしたことは無いつもりなのに。
女性が好みそうな記念日も、プレゼントも、デートにおけるエスコートも、一度だって怠らなかった。出来る限り恋人としての時間を第一優先にしたし、彼女の好みだっていち早く覚えてきた。行為だって無理強いしたことはない。いつも相手が気持ちよくなれるよう、気遣っていた。これでダメだというのなら、もうラビにはどうしようもない。そりゃあ、告白を受け入れてからの交際なんだから、気持ちの熱量に差があるのは当然だろう。でもラビは恋人のために全力を尽くしてきたし、そもそもお互いがお互い熱烈な好き同士で始まるお付き合いの方が、世の中では少ないんじゃないだろうか。なんとなくとか、好きだと言われたからとか、恋愛を楽しみたいからとか、そんな理由で皆付き合っているんじゃないのか。
少なくともアリスの周りのカップルは皆そんな感じのテンションだった。なのに、彼らではなくいつもアリスの方が恋人関係を破綻させる。
世界は理不尽だと嘆きつつ、それでも告白されれば性懲りもなく女性と付き合い始めるのだから____それこそ、3日前に彼女と別れたばかりでも____薄情と言われるのは、確かにそうかも知れなかった。
結果として、ラビはアリスと同じように、世間一般でいうまともな恋愛をやれていない。
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