#08『吸血』

はい。


はい。


……はいッ!?


「だから、血だよ血。西洋だと吸血鬼に代表されるソレさ。私の傷跡を、ペロペロ舐める。そうすれば、少しは怖くなくなるだろう?」


いや。


いやいやいや。


いやいやいやいやそれはどうなんだろうか。


「な……ッ、なぜに、血、を、吸うんですか⁉ へ……変態さんじゃないのにッ!」


「いや変態さんではないだろう。女の子同士だから、お腹見られても問題ないし」


いやそれ以前に行為そのものに重大な問題を抱えてる気が⁉


「さぁ、早く舐めなよ。じゃないと血を見てまた吐いちゃうだろう?」


「そ……それはそうですけど……」


いや、何が『そう』なのか。


仮に彼女の血を舐めとった所で、私の恐怖が拭える保証は無いわけで。


そもそも、そんなアブノーマルなプレイに興じる程、事態は楽観視できなくて。


というかというか、私、まだモーゼとソンナコトできるほど仲良くできてなくて……


ってか、あれ?


なんでそもそも、私はモーゼと出会ったんだっけ。


――彼女に似てたから。


此処に迷い込んで、キョウコと見間違えて、彼女と出会って、そして迷惑をかけた。


そうだ。私は、一度も謝ってない。


謝るという発想も無かったのだ。


それなのに。


彼女、モーゼは、私の恐怖を受け止めてくれて、こうして分からないなりに解決しようとしてくれている。


なら、私は――


これに応えるべきなんじゃないのか?


***

「……やる」


膝立ちになって、彼女の腹部を改めて直視した。


見えたのは、血の滲んだ皮膚。


へその周りを中心として、細かな傷が見られる。


「よっしゃ。それじゃあ、頑張って」


モーゼの言葉を合図に、私は彼女のお腹へ唇を近づけた。


近づいていく傷跡。


心臓は疾く、破裂しそうなほど辛かった。


傷は、少しだけ癒えている。


恐らく、モーゼが先ほど使用していた回復薬の影響だろう。


だが、傷口が大方塞がっても。


傷跡だけは、消えずにそこにあった。


――はじめてのキスは、鉄の味でした。


なんて言葉と共に、ちゅ、と彼女の傷跡へ口づけした。


「……れぉ」


舌を出す。彼女の傷跡に触れるまでは、一秒もかからなかった。


結果。鉄みたいな匂いと味が、私の感覚を塗りつぶす。


不快感はマックスだった。


けど。


不安感は、どこにもない。


それはおそらく。


『彼女』に……キョウコによく似た、モーゼだったからだろう。


唾液が、舌を伝って傷跡に至る。


「……っん」


すこし、染みるようだ。


私はぴちゃりと唾液を垂らしながら、彼女の傷跡を舐めまわす。


足元が、少し濡れた。


「はぁ……」


息をする。


息を忘れていた。


息をする。


息をするのを忘れいていた。


息をする。


恐怖感を、忘れていた。


気が付けば、モーゼのお腹を舐めまわすことに夢中になっていた。


……反省。


「――おえっ」


暫くして。


弱い吐き気と共に、モーゼから離れることに成功した。


「よし。これでもう、血は怖くないだろう?」


以前の私は、傷跡をぐちゃぐちゃにして、無かったことにした。


でも、今の私は。


彼女の……モーゼの傷を認められたのだ。


彼女の傷跡に口づけし、彼女の痛みを認識することができたのだ。


そうだ――痛みは、あるものだ。


無かったことになんて、ならない。


怖くても、辛くても、見なきゃいけない。


――ずいぶん昔に、誰かが言っていたことを、この土壇場で思い出した。


「いやぁ、しかし。なんか変な雰囲気になっちゃったね。――大丈夫? 体調、悪くなってない?」


「…………ほぁ?」


ポーっとしていた。


ぼーっとしていた。


彼女の血の味を、何度も推敲して脳髄に書き出しても、まだ恍惚は止まらなかった。


「ごめんね。私も疲れてたみたいだし。……迷惑、だったかな?」


覗き込むように謝罪するモーゼに、私は呆けたまま笑って答えた。


「いや――むしろ、ごちそうさま」


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