番外編

第一話 元悪役令息リオルとメディフェルア

 リオルの遊び相手は、物心ついた頃から、たまに来るふくよかな女性だった。

 リオルよりも暗く、真っ黒な髪を持つ女性は遊びに来るとリオルを構い倒した。ぷっくりとした頬に、抱きしめられると柔らかい感触。

 世間一般から見れば「太っている」と言われる彼女だが、今も昔も、リオルからしてみれば「可愛い」と思うだけだった。


 リオルは精霊が視えやすい体質だった。そのせいか、時折精霊と人との境目が分からず普通に話しかけてしまうことがある。

 そんなリオルは、幼い頃から世話になっている神父ウォレスから「彼女に従って、目を鍛えなさい」と告げられた。彼女とは、リオルの幼い頃から遊び相手になってくれているあの黒髪の精霊だ。

 彼女は「メディフェルア、メディでいいよ。フルネームはもうヤバい!ってときに呼んでね」と言っていたので、リオルは素直に「メディ」と呼んでいた。


 ―― 精霊は元から名を持たない、とリオルが知ったのは、ずいぶんと後の話だ。



 彼女 ―― メディフェルアは、漆黒の髪を持つ闇の精霊である。

 リオルよりも濃い色合いを持つメディは喋り方も下級精霊や中級精霊よりしっかりとしており、振る舞いも人間に近いことから上級精霊なのだろう。本人から聞いたことはないが、明らかに扱う闇魔法も上級レベルなのだから、とリオルは納得していた。


 なぜ上級精霊であるメディフェルアがリオルを気に入ったのかは、リオル本人は知らない。

 だが、リオルは母であるエリーから「あなたが赤ちゃんの頃から来てくれているのよ」と聞かされていた。どうしてそんなに好かれているのか理由はわからないが、まあ、リオル本人も第二の母や姉のようなこの精霊のことが好きだ。


 そんなある日、ふとメディフェルアが笑ってリオルに言った。


『リオル、可愛いリオル。大丈夫だよ、どうしてもってときは私が蹴散らしてやるからね』


 言葉のとおり彼女は、リオルが心底耐えられないと思ったものは



 総じて、闇属性は迫害に遭いやすい。

 リオルの闇属性は母からの遺伝である。魔力量は個人差が大きいため、母エリーの魔力量は多くないためかグレーの髪を持っていたが、リオルは漆黒に近い色だった。


 この世界では髪の色は属性の色と呼ばれている。

 光はブロンドまたはプラチナ、火は真紅、水はコバルトブルー、土はブラウン、風はエメラルドグリーン、闇は黒とされており、魔力量に応じて光と闇以外の属性については色は濃く、明るくなる。

 光と闇属性は魔力量が多ければ多いほど、光は輝くほどのブロンド・プラチナとなり、闇は漆黒に近くなる。


 リオルが参加した神父の説教では、はるか昔は闇属性も忌避されることなく暮らせていたとされる。

 だが、幾度かの人間同士の戦争、モンスターたちへの攻撃で闇魔法は忌避されていった。

 闇魔法は主に精神系に対して効果があるものが多い。それが自分に向けられたら対処できるのは光魔法しかない。

 光魔法も同様に精神系に効果がある魔法はあるが、どちらかというと回復系だ。印象としては光魔法の方が良いとなり、闇魔法を扱える闇属性の人間たちも忌避されたという流れになる。


 それが、リオルたち闇属性の現状だ。


 教会の子どもたちの保護施策によって保護されたリオルとて例外ではない。

 教会内にいる数多くの神父・シスターの中でもリオルに対して嫌悪感をあらわにする者もいる。良くて愛想笑いを浮かべ、最低限の接触しかしない。唯一の例外はウォレスだけである。



 リオルが七歳のときのことだ。


「返して!!」


 木陰で、ウォレスから借りた子ども向けの教材を読んでいたリオルに近寄ってきた施設内のガキ大将とも呼べる、リオルより二つ上の少年とその取り巻き二名がリオルの手から本を奪った。

 本は別に問題ない。破損させれば責任は少年たちになる。野良精霊がその辺にいるから証言者となる。

 問題は、ガキ大将の手に握られた栞だった。

 取り返そうにも、取り巻きの少年らに押さえつけられて動けない。


 その栞はリオルがメディフェルアからもらった、きれいな花を押し花にして作ったものだ。

 図鑑で調べれば、精霊の森にのみ生息しており、採取も精霊しかできないという希少な花でリオルは驚いたが、メディフェルアは「勉強がんばってるからご褒美だよ~」と。メディフェルア本人からすれば、取るに足らない花だがきれいなので贈っただけである。

 希少な花ではあるが、リオルにとってはメディフェルアからはじめてもらった大切なもの。だから、大事にしようと押し花にして栞として使っていたのに取り上げられたのだ。


「へっ、闇属性のくせしていっちょまえに勉強なんてしやがって!お前なんかどんなに勉強してもエラくなんてなれねーよ!」


 ガキ大将の少年が言う通り、闇属性であるだけで出世の道は閉ざされている。

 王立ソリューズ魔法学園は門戸が広く、試験さえ突破できれば平民も闇属性も受け入れているが、闇属性の卒業生たちは最初から立身出世街道からは外れているとされていた。

 成績優秀で卒業しても、せいぜい下級文官、下級武官止まりなのだ。他属性の者が同じような成績をとれば、中級以上で推薦される。


 そんなこと、リオルだって知っていた。学園に入ったって、ここと同じように忌避の目、侮蔑の目を向けられることも。

 けれどもここにいられるのは十五歳まで、十六歳からは学園に入るか、働きに出るかしかない。

 働きに出たってまともな職業はない。それなら学園に入れるように努力するしかない。

 幸いにもリオルは勉強が好きだった。知らないことを学ぶのが面白いと感じた、だからこそ学園を目指そうと考えた。

 学園出身者であるだけで「実力あり」のお墨付きであるので、リオルも含めた魔力量が多めの闇属性の子どもたちは入学を目指す。将来、少しでも食いっぱぐれることがないように。


「それ、返して!」

「ふん!へったくそな押し花じゃん。不器用なおれのねえちゃんですらもっとうまく作るぜ」


 ガキ大将の少年が、栞を横に両手で持つ。

 その動作で何をするか分かったリオルは暴れるが、存外、リオルを押さえつける少年たちの力の方が強かった。


 びり、と音が立つ。


「やめて!!やめろ!!」


 びり、びり、と。

 栞が真っ二つになる。

 さらに重ねて、びりびりと引き裂かれていく。

 細かくなっていく栞に暴れるのも忘れて呆然とするリオルに、ガキ大将の少年はとても楽しそうに、笑った。


(メディの)


 リオルの脳裏にメディフェルアの笑顔が過ぎる。

 花を受け取って、喜んだリオルにメディフェルアは自分のことのように嬉しそうに笑った。


(メディが、せっかくくれたのに)


 メディフェルアははじめて花を贈った。

 精霊が人間に物を与える、ということはほとんどない。祝い事は基本魔法で祝う。メディフェルア自身も「そういえば物は贈っていなかったな」と最近気づいて贈った代物だった。

 そう。メディフェルアが人間リオルに贈った物だったのだ。


 それがバラバラと地面に落ちていく。

 風に吹かれて、どこかへ飛んでいく。


 じわりとリオルの目に涙が浮かんだ。

 今まで幾度か嫌がらせを受けてきてはいたが、これは耐えられなかったのだ。

 次々と涙がこぼれている。その様子をガキ大将の少年はニヤニヤと笑って眺めていたが、リオルを押さえつけていた少年ふたりは少し戸惑ったようでリオルを押さえつける力を抜いた。


「うわぁあああ~~!!メディッ、メディフェルア~~!!」


 わあんわあんと大声でリオルは泣き叫んだ。

 さすがに泣き叫ばれると困る、とガキ大将の少年がリオルに手を伸ばした瞬間。



「わたしの愛し子リオルを泣かせたな」



 低く、冷淡な声が少年たちの耳に届いた。

 それは幼い彼らでも分かるほど、本能的に逆らってはいけないもの。


 少年たちがなにかに強制されるかのように声のした方を見れば、そこには大柄の女性が浮かんでいた。

 漆黒の髪、漆黒の瞳。まるで闇を体現したかのような。


 リオルは泣いていたから気づかない。

 リオルにとっては一瞬だったから気づかない。

 少年たちは恐怖で悲鳴をあげることすらできぬまま、気づけば服になにかに引っかかった状態でぶらりとぶら下がっていた。

 地面ははるか遠く。


「え」


 取り巻きの少年のひとりがかけていたメガネが落ちた。

 それは、地面に落ちた瞬間レンズがパリンと音を立てて粉々になる。


 ―― お前が破いた栞のように、落ちたあのメガネのようにお前らもそうなればいい、とあの女性に言われた気がして、少年たちは悲鳴を上げた。



 彼らがぶら下げられたのは、礼拝堂上部にある神と精霊王の像にある突起部分。

 ちょうど礼拝堂で集会をしていた大人たちは、落下したメガネの壊れる音と子どもの悲鳴に驚いて天井を見上げ、次々に悲鳴が上がった。



 一方、リオルは一瞬のうちに誰もいなくなっているのに驚いて目を瞬かせていた。

 そして礼拝堂の方が騒がしいことに気づいて、そこに向かいこっそり窺う。


「神父様!なんでうちの子が!!」

「うわああああん!!」

「誰か!上層階へ行ける神父様を呼んできてくれ!!」

「だめだ、暴れるんじゃない!落ちるぞ!!」


(…え。なんで、あそこに)


 礼拝堂には神と精霊王の像が設置されているが、崇拝のためふたりの像は礼拝堂のステンドグラスがある上層階にあった。

 普段、上層階は危険だということと、神と精霊王の像に容易に近づけないようにふたりの神父にしか鍵を開けられないようになっていた。


 もちろん、像がある部分には床がある。

 だがそこは非常に狭く、像自体のデザインとして手を伸ばしたり杖を持っていたりしており、その先端の下は一階の教壇まで床はない。


 上部からきらきらと、なにか輝いて落ちてくる。

 恐怖のあまり漏らしてしまっているようだった。


(……ざまあみろ。メディの、メディからもらった花をボロボロにした罰だ)


 でも、一歩間違えれば死ぬ状態であることは違いない。

 それを喜んでいいものかどうか、リオルは迷った。


「リオル?どうしたの?」


 ふと、リオルの背後から声がかかりびくりとリオルは体を震わせる。

 けれどこの声色はリオルにとって安心して良い人だった。


「ウォレス神父さま」

「なんか騒々しいなと思って来てみたら…あらら。ずいぶんと派手に…」

「…ぼ、僕のせいかも、しれないです」

「え?」


 リオルは失念していた。

 メディフェルアが精霊であることを。


 メディフェルアは前世が人間であったことから、どちらかというと人間のような素振りを見せるし、人間の常識も理解する。

 だがこの世界で生まれたメディフェルアの本質は精霊。

 ”精霊の常識は、人間の非常識である”とは幼い頃から言い聞かされるもの。


 少年らが上層の像に吊り下げられる直前の行動をリオルから聞いたウォレスは、ふふ、と笑う。


「これはリオルのせいじゃないよ」

「で、でも」

「きっかけは君だけど、原因は彼らだ。人が大切にしているものを壊してはいけません、というのは当然のこと。いくら君が彼らにとって忌々しい存在であったとしても、そういうことはしてはいけないんだよ。どうしてもやりたいなら人の世の法に則った方法じゃないと」

「…たぶん、やったのはメディじゃないかなって、思うんですが。メディは怒られませんか?」


 リオルのことで怒りをあらわにするとすれば、リオルの両親とメディフェルアだけである。

 だが母エリーは教会の買い出しの手伝いに出かけており、父ギュンターは騎士の任務で遠征中。

 となると、消去法的にあの場の出来事を把握し、これだけのことをやってのけるのはメディフェルアしかいない。


 すると突然ウォレスはカラカラと笑った。

 きょとん、と見上げたリオルにウォレスは微笑む。


「彼女を叱れるのは神ぐらいだと思うけど、リオルがやられたことの内容を考えたら叱られるはずがないよ。愛し子を守る精霊は基本見守るだけ、愛し子が助けを求めたときや泣き叫んだときしか動かないから。彼女だってそうだったでしょう?」


 リオルは闇属性だから、嫌がらせはいくつか受けていた。

 だがメディフェルアは動かなかった。

 メディフェルアが動いたのはリオルが泣き叫んだから。

 

「いいかいリオル」


 ウォレスはリオルと目線を合わせるように屈む。

 覗き込んできたウォレスの瞳は美しく、思わずそちらに意識に取られそうになったがリオルは何度か瞬きすることで集中した。


「彼女に助けを求めるときは、具体的にどう助けてほしいか言いなさい。大体の精霊がそうなんだけど、ちゃんと伝えないと君が想像していなかった形で進めてしまう。今回のようにね」


 泣き叫ぶだけではメディフェルアはメディフェルアの常識で動いてしまう。

 きちんと言葉で述べなければ、今回以上のことが起こるかもしれない。

 リオルはゾッとするとともに、小さく頷いた。

 

 ふと、ウォレスの視線が別の方向に向いた。

 リオルもつられてそちらを見れば、メディフェルアがふわふわと浮いていた。目を丸くして、両手で口元を覆っていた。


『うそ…やり過ぎ?』

「うん…」

『だって、わざわざ人がいる場所でやったんだよ?十分優しくない?』


(あれで)


 思わずリオルは中の礼拝堂へと視線を向けた。

 鍵を持っていた神父は風魔法を持っていたようだ。上層階に上がり、彼らを風で助けようとしている。

 だが一歩間違えれば落ちそうで、下では落ちてもいいようにマット等が準備されていた。

 少年たちはもう憔悴しきっており、叫ぶことすらできなくなったようだ。



 メディフェルアからの仕打ちに畏れたのか、数日後には「リオルを泣かせると闇の精霊が怒る」と周知されていた。

 泣かされたのは事実だけど…と少し恥ずかしさを感じつつも、リオルへのちょっかいはほぼなくなったので、リオルは勉強に集中することができるようになったのを嬉しく思う。

 勉強するリオルを、メディフェルアは優しく見守っていた。

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