第二話 元悪役令息と助けた少女
教会に保護された子どもたちは、外出するときは万が一のときのためにブレスレットを渡されている。
このブレスレットは教会側に位置を送る役割と、結界を張って子どもを守る役割がある。
これさえつけていれば、保護されている者たちでも門限さえ守れば教会の敷地外に出ることは比較的自由だった。
中には監視されてる、と文句を言う物もいたが、教会側としてはずっと位置情報を把握してるわけではなく、本当に何かあったときだけ探る代物だ。
表立っての発案者はウォレスであるが、このことについて尋ねれば「本当の発案者は精霊王だから、私もよくわからないんだ」と返ってくるだろう。
(…精霊王って、どんな精霊なんだろう)
この話を聞いたときから、リオルは頭の片隅で常にそう思っていた。
精霊のことは精霊に聞けばいい、とメディフェルアに尋ねたこともある。「教会にある精霊王像は初代精霊王。今は七代目」とメディフェルアは答えたが、当然、自分が精霊王であるとは答えない。
だからリオルは気にはなりつつ、いつかお会いできたらいいなとのんびり思っていたのだ。目の前どころか、物心ついた頃から一緒にいたメディフェルアがまさか精霊王だなんて、思いも寄らないだろう。
リオルが十歳頃にそのブレスレットをつけて、母エリーからの買い出しをしに市場に出かけたときだった。
教会への帰路の途中、通りかかった路地裏から争うような声が耳に入ったのだ。
ブレスレットを持たされた子どもたちには総じて「辛いだろうが争い事には見てみぬふりをし、誰か大人に頼りなさい」と言い聞かされている。リオルもはじめはそうしようと、誰か大人に声をかけようとして ―― 聞こえてきた同じぐらいの年の子の声に思わず、覗き込んでしまったのだ。
そこにいたのは深緑の髪を持つ、可愛らしい少女。
少女の前には、リオルや少女少し年上ぐらいの少女が庇うように立っている。
ふたりともリオルから見てもそれなりに良い質の服を着ていることから、良いところのお嬢さんたちであることは察せられた。
彼女らの前には、お世辞にも良い身なりと言えない男たちが三人ほど立っている。
「わたくしを誰だと?わたくしはカリスタ公爵家長女、ジェーン。わたくしに手出しをすればどうなるか、想像できるでしょう?」
「へぇ、公爵家のお嬢さんねぇ」
ニヤニヤと下品な笑みを浮かべている男たちは信じていない様だ。
まあ、たしかにそうだろうとリオルも思う。周囲を見ても護衛は見当たらないため、ハッタリの可能性がある。
それに公爵家の娘を騙ること自体重罪となるからこの場では悪手だ。
ちなみに、メディフェルアは現在リオルの傍にはいない。メディフェルア自身、精霊王としての役割もあるし、愛し子にばかりかかりきりになるというのも教育上よろしくないと分かっているからである。その辺りは、人間としての常識が働いているのだろう。通常の精霊は人間の都合等考えず構い倒すのだから。
そんなメディフェルアから、リオルは「なるべく危ないことはしないでね?」と言われてる。そう、なるべくだ。
リオルは魔力量が常人よりも遥かに多い。
そのため、メディフェルア直々に魔力操作の方法を教わっていた。闇属性特有の魔法についても。
時々暴走することもあるが「人に危害を加える魔法じゃなけりゃ大丈夫」とメディフェルアは寛容だった。寛容というか、精霊の考えとして述べていただけに過ぎないが。
(「人に危害を加える魔法」さえ使わなければ大丈夫。終わったら、すぐに逃げればいい…かな)
リオルは魔力を使って周囲を探る。誰もいない。野良精霊がたまにいるぐらい。
表通りからここに入ってくる人もいなさそうだ。
「きゃああ!!ヴァネッサ!!」
「うるせェ!とっとと来やがれ!!」
「ああ、くそ!いてェな!」
リオルが周囲を探っている間に、ジェーンを庇っていた年上の少女 ―― ヴァネッサは反撃して隙を作ろうとしたものの、多勢に無勢ということもあって殴られて意識を失った。
ジェーンは腕を強く掴まれて、引きずられるように連れて行かれようとしている。
(良かった。担ぎ上げられてる状態じゃなくて)
魔力を練り上げる。やりたいことをイメージして、男たちに向けて手を突き出した。魔法陣が展開される。
(やりたいこと。相手の影から縄のように影が飛び出して、相手の体が縛り上げられる)
「うお!?」
「な、なんだァ!?」
(やりたいこと。倒れ込んだところで自分の影が大きくなって、飲み込まれていく。)
術式が変化し、魔法陣の文様が変わった。
男たちの影から伸びてきた縄が、太く、大きくなっていく。
「ぎゃあああ!!助けて!!」
「来るな、来るなァ!!」
(やりたいこと。影に飲み込まれたら、数時間ほど眠り込む)
術式が変化し、魔法陣の文様が変わった。
すっかり男たちは自身の影に飲み込まれた。なんとかしようと叫び、暴れるもすぐにその動きはなくなっていく。
―― しん、とした空気が辺りを包んだ。
やがて影に飲み込まれていた男たちは徐々に姿を表す。地面に倒れ込んだ形となっていた男たちは、いびきをかいて眠っていた。
それを見たリオルは「うまくいった」と魔法陣を消しながら安堵の息を吐いた。
これはメディフェルアから教わった闇魔法のうちのひとつ《眠りへの誘い》である。
通常、この魔法は眼前に広がった闇を見ると眠りへと落ちるという、至ってシンプルな魔法だ。主に不眠に悩む相手に使われる魔法で、暗くした部屋で行われる。
それにリオルはアレンジを加え、男たちの影から拘束する縄を伸ばし、動かさないようにしてから足掻いても闇を見ざるを得ず、強制的に眠らせるという形にした。
戦場で展開されれば厄介な魔法となり得ただろう。
どんなに影がない場所を選んでも、自身の影は常に付きまとうのだから。
「な、なに…?なにが、」
地面に尻もちをついて座り込んでいたジェーンの声にリオルはハッと我に返った。
このままここにいてもまた新しい破落戸が来るかもしれない。
表通りには正義感あふれる八百屋の主人がいた。彼を呼んでくれば大丈夫だろう、と体の向きを表通りに向けたときだった。
「待って!」
思わず、リオルは足を止めて振り向いてしまった。
ジェーンが立ち上がり、真っ直ぐリオルを見つめている。リオルが驚きで目を瞬かせていると、ジェーンはにこりと微笑んだ。
「…助けてくれたの、あなたでしょう?ありがとう。素晴らしい魔法ね」
「…すばらしい?」
「ええ。素晴らしいわ。闇属性のことはよく知らないけど…でも、人を傷つけずに捕まえることってそうかんたんにできないもの」
今まで、闇魔法を見た人たちは無遠慮に「恐ろしい」「やはり黒髪は」と言って忌避するだけだった。
まさか見ず知らずであるはずのジェーンに褒められるとは。リオルは照れくさくなって、頬をかいた。
「ねえ、あなた、そのブレスレットは教会に保護されている子ね。お名前は?」
「…リオル」
「リオルね。わたくしはジェーン・カリスタ。カリスタ公爵の娘よ」
ジェーンの胸元からチェーンをたどって取り出されたネックレスには、リオルも見たことがある公爵家の家紋が彫り込まれていた。
この国では、まず高位貴族階級の家紋は基本として平民でも教わる。高位貴族に対して失礼な態度を取らせないためだ。
下位貴族については数も多いため省略されているものの、承認であれば特に自分が住んでいる領地やその周辺辺りは覚える必要がある。
本物のお嬢様だったのか、とリオルがちょっと呆然としてると、ジェーンはにこりと笑う。
「どなたか助けを呼んできてくださる?」
「…でも、ふたりだけだとまた何かあるかもしれないよね?」
さっきは助けを呼ぼうとすぐ戻ろうとしたリオルだったが、よくよく考えれば路地裏は基本、治安が悪い。
ここで少女ふたり、しかもひとりは気絶してる中で置いていくのは良くないんじゃないだろうか。と、考えたリオルはそう口にした。
ジェーンも思っていたのか、苦笑いを浮かべている。
「そうね。わたくしがヴァネッサを運べるのが良いのでしょうけど、でも、わたくし、まだ魔力の扱いがうまくいかなくて…」
「それなら僕が運ぶよ」
リオルはメディフェルアから「魔力は身体を強くするのにも使えるよ!」ってやり方を教わったことがある。これはメディフェルアが人間として生きていた前世にあった
なので事実上、リオルはこの身体強化魔法の初めての使い手となる。
一応、とリオルは魔法で周囲の暗がりの中に誰もいないことを確認した。
リオルがさらっと先ほどもやってのけたが、これはメディフェルアがポロッと溢した前世の
メディフェルアが「影の中をシュシュっと確認できたいいのになぁ」という一言でリオルは偵察魔法を作り上げた。影や闇が必要となるし範囲も限られるが、非常に重宝する魔法が出来上がってしまったのだ。
後々、リオルはこの魔法を創り上げた自分を自画自賛することになる。自身の身を守る術になったのだから。
リオルは深呼吸すると、意図的に魔力の流れを加速させ、両手足に多く流れ込むように意識を向けてぐったりするヴァネッサを背負う。
意識を失った人というのは重い。それでも動けない、倒れるほどでもないと分かったリオルは一歩一歩踏みしめながら表通りに向かった。ジェーンも隣に立ち、歩く。
表通りに出れば、リオルよりも上背の大きい少女を背負っているのを見た皆がギョッとして、慌てて駆け寄ってきた。
ヴァネッサを大人に引き渡したリオルは、これだけ人が集まれば大丈夫だろうと安堵した。それにジェーンが身分を証明したから、慌ててここらの偉い人間を呼びに走った者もいた。
市場で買い物できるものの、闇属性だからと忌避する人間はやはり多い。フードを被り直して、リオルはこの場を離れようと近くにいた八百屋の夫人に声をかけた。本来ならジェーンに一声かけた方が良いのだろうが、人だかりで近づけそうにもない。
「あのお嬢様に、お付きの人は金物屋のおばさんたちに預けたって伝えてくれる?」
「いいよ」
大人に対して、臆することなく振る舞うリオルと同年代の少女。
きっと小さい頃からたくさん勉強してきたんだろう、とリオルは思う。
少女は魔力がうまく操れないと言っていた。
だからきっと、リオルが六年後に入学するであろう王立ソリューズ魔法学園でも会う機会があるかもしれない。だがその頃には少女はリオルのことは忘れてるだろう。
リオルは、その場を離れた。
予想以上に時間がかかってしまったため、母エリーが心配している可能性が高いから。
案の定、戻ればエリーは「怪我はなかったか」と心配していた。
戻ってきたメディフェルアはリオルが魔力を使ってなにかをしたかは気付いたようで「うまくできた?」と聞いてきたのにリオルが頷けば、メディフェルアは嬉しそうに笑った。
愛し子の成長は、メディフェルアにとってはとても嬉しいものだから当然である。
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