重心(イドラ)

式根風座

下書き 1章

 時刻は午前3時、日の出はまだ訪れず、影を内包する景色に縫い合わされた。視界は暗く、靴の先もまだ見通せない。まず最初に違和感を感じ取ったのは嗅覚だった。

 鉄から油が滲んだような異臭が漂う。

 団地の裏側と建築会社のオフィスビルの狭間、人気の少ないゴミ捨て場があると俺は知っている。

 一度違和感を感じてしまうと、現実が妄想へと傾いていく。見通せない暗い世界で一つ一つの情報が書き換わっていく。触覚が鋭敏になり、聴覚が鋭敏になり、息をつく事すら忘れる。

 暗闇の中でも更に、ある一点がドス黒く変色していた。

 その下にあるのは赤。赤と黒が混じった濃密な闇が点々と。

 花開くかのように飛び散っているのが、見えづらいのに分かってしまう。

 ーー認識してしまえば、目は自然と濃い黒の軌跡を追った。

 壁を背にしてずり落ちた、項垂れたままの1人の死体。

 %自覚した途端、自分の背中に悪寒が強烈に叩きつけられる。

 そして、俺は反射的に手を叩いた。%


 %死体を見つけた前後の描写が不足か?%


ーーー

 目を覚ますと親しみ深いベッドと薄手の毛布の感触に包まれている。倦怠感が尾を引くような、眠りの浅さが脳を引っ張って悪い具合に目が覚めた。

 毎朝の決まった動作に従って、枕の近くにあるリモコンに手をかける。明かりを点ければ確かにそこは自分の部屋で、午前3時の暗い裏道とは違っている。

 スマホが7時を示す。もうそろそろ朝食を食べていないとという時間帯だった。

 「倫毅?さっさと降りてきなさい」

 扉の向こう側から母さんの声が聞こえる。

 「分かってる!」

 鞄の中身なんてほとんどが学校のロッカーに預けていて、ペラペラだ。後は着替えるだけ。黒いジャージの上下は嫌な汗をじっとりとかいて気持ちが悪い。

 

 季節は五月中旬、花粉が無くなってきたような実感と共に、梅雨が顔を出し始めた時期。ジメジメした暑さで周りは夏服への移行を済ませている。黒い詰め襟なんてもっての他だ。

 階段を下りていた所にインターホンの音が鳴った。洗濯機の動く音の中で、合間を縫う幻聴のように聞こえた。

 %てっきり父さんが忘れ物をしたのだと思い、扉まで駆ける。

 けれど、扉を開けるとそこに立っていたのは全くの見当違いだった。%

 「あれ?ゆ、結奥?」

 「うん。おはよう、倫毅」

 小学3年生からの幼なじみで、同じ学校のセーラー服を着ている。

 その髪は明るめのブラウンなミディアムヘア、一見すると活発な・・・・・・いわゆる「おしゃれ好きのギャル」といったイメージだが本人にそれを指摘すると嫌な顔をする。彼女のそれが地毛である事が中々信じてもらえないらしい。


 %起きてから結奥がインターホンを押すまでの流れが描き切れていない%


 俺にとっては結奥とは家族ぐるみの付き合いだから、母親の甘木おばさんも含めてそれが地毛である事は理解しているのだけど。

 俺の背中ごしに母さんが声を少し張る。

 「あら、結奥ちゃん。おはよう、随分早いわね」

 「おはようございます。今日は一緒に登校しようと思って」

 「その方がいいわ。ちょっと物騒だし」

 「・・・・・・なんかあったの?」

 「今朝、殺傷事件がここであったのよ。ちょっと見なさい」

 そう言われて俺と結奥は母さんに連れられ、リビングに来た。

 テレビの画面右上のテロップには「梳太市で連続殺傷事件」と書いている。

 アナウンサーがマイクを片手にしゃべるその現場は見慣れた光景の場所だった。団地と建築会社のオフィスの間、ここから歩いて10分かかるかどうかという近場。


 カメラが映す事故現場は規制線で仕切られ、ブルーシートの囲いに関係者がまたひとり入っていく。

 「・・・・・・」

 麦茶だけでも飲もうとしていたその手が止まる。

 忘れるはずもない、午前三時。あのブルーシートの囲いの正体を俺は知っている。首も腕も痛々しい方向に捻れていた死体。

 「連続殺傷事件って言われているのよ」

 「同一犯の犯行って事?」

 「それが全く分からないの。でも梳太市で8件が立て続けに起こったんですって」

 あの時に感じた悪寒がぶり返す。もしかしたら俺もあのブルーシートの中にいたかもしれないのだ。

 「お父さんはバスで行ったけどね・・・・・・結奥ちゃん、せっかくだし駅まで送りましょうか?」

 「いえ、大丈夫です。私はいてもたってもいられなくなってここに来ただけですから」


 %物騒な事件が起きたことを知るその描写、細かな説明が為されていない%

  

 確かに地元の、しかもすぐ近くで殺人事件が起きたとあっては1人でいるのは怖い。本当は第一発見者だったかもしれないなど相談したい気持ちで一杯だが、それをすると絶対に母さんに怒られる。

 正直学校に「休ませてくれ」と連絡をいれたいくらいだ。

 「気をつけて行ってくるのよ、帰りも直ぐに帰ってこないと」

 「分かってる、寄り道なんてしないって」

 「・・・・・・はい」

 俺は午前中にほっつき歩いていたことをこれで言えなくなったなと思った。

 少し気になったのは結奥も少し答えに窮するような違和感がある。

 「じゃあ、行ってきます」

 

 ・会話 一緒に登校 


 俺と結奥の通う静森学園高等部に向かうには、まず家から徒歩20分以上の距離を歩いて最寄り駅に着かないといけない。おかげで歩く事には慣れているのだが、あくまで帰りの話であって、行きの憂鬱な気分のまま20分歩くのは苦痛なものだ。

 ??普段はそれでも何とか行くのだが、今回は母さんからバス代を渡されている。今朝の連続殺傷事件が心配だからだ。

ーーー

 この事は結奥だって納得しているはずで、あの時は不承不承といった具合で頷いていたが現実は懸念していた通り。

 「・・・・・・うわ」

 結奥は目の前の光景を見て、いかにも辟易したような声音で呟いた。

 「まあ、そりゃ並んでるよな」

 同じ梳太市内で立て続けに8件、そのうち一件が殺人事件ともなれば誰だって不安になる。最寄り駅行きのバスは今までに類を見ないほどの行列で曲がり角の前から人が並んでいた。

 そして結奥は人混みが嫌いだ。同じ1年A組のクラスメイトではあるものの結奥は通勤ラッシュを避ける為、学園最速のスピードで到着しているらしい。下校が一緒になる事はあっても登校が一緒になる事は無かった。

 「どうする、やっぱり歩くか?」

ーーー

 「・・・・・・そうする」

 そうなると今度はちょっとした遅刻ペースという事になるのだが、それでも結奥は乗り物酔いならぬ人酔いする体質らしいから仕方がない。

 ??それに、遅刻しそうで動悸が上がっていくのが少し心地良かったりする。小さな禁忌を味わっているような気分になれた。

 ちょっとくらい学園側が俺たちに融通を利かせてくれるんじゃないかと思わなくも無いが、結奥は根が真面目なのでしっかりと急ぐ。

 バス停に見切りを付け、俺たちはいつものルートに戻った。最寄りの梳太駅へ行くには地元の小学校を通り過ぎて直進を続け、見えてくる国道の向こう側にある。

 歩道に行ったら行ったで、大量の親子が集団を作っていた。今朝の事件を受けて小学生たちの集団登校の人数が増えたのだろう。

ーーー 

 保護者の視線はいかにも周囲を警戒していて、目が合うとつい会釈をするように頭を下げたくなる。

 歩行者信号が赤になる中、流石に小学生たちの目の前で信号無視という訳にもいかず、ジッと待つ羽目になった。

 ぼんやりと結奥の横顔を伺っていると、逆に視線がこっちに来た。

 「何か聞きたい事でもあるの?」

 「え、いや。そういう訳じゃないけど」

 「けど?」

 子供達は事件があったことなど何処吹く風でギャアギャアと騒いでいる。もう少し声のボリュームを上げた。

 「なんでわざわざ俺の事待っててくれたんだ?」

 俺の事を待たなければ本人的には快適に登校できたはずだ。

 「普段ならもう着席してるくらいなんだろ」

ーーー

 「それは言い過ぎ」

 結奥は腰に手を当て、ムッとした表情になる。

 「こっちは心配したのに」

 「有り難いけどさ。別にメッセージで連絡してくれれば」

 「その通りだけど・・・・・・」

 歩行者信号が青に切り替わり、子供が雪崩のように横を通り過ぎた。スイミーの如く左へ歩き去っていく彼らを後目に、倫毅は歩くスピードを少し速めた。隣に気を配りながら若干の大股で。

 ついでに、ちょっと意地を張りすぎたかもしれないと後悔する。

 「ごめん、変な事言った。缶コーヒー奢る」

 「今はいいよ。せめて昼食の時に買って」

 やっぱり目の前で遺体を見てしまったそのショックは大きいらしい。

ーーー

 憂鬱な気分になったり、瞼を閉じれば鮮明に思い出せる・・・・・・そういうのとは違う。あえて言うなら妙に昂揚していた。スプラッター映画の趣味は俺に無いけど、現実として受け止められていないのかもしれない。

 とにかく俺としてはそれを話す訳にいかなかった。誰が朝っぱらから首の捻れた死体の話を聞きたいと思うだろうか。

 だから結奥がなんとなくで会いに来てくれたのは正直とても助かっていた。俺と結奥は同じ1年A組だから、結局すぐに会えはするのだけれど。

 それで十分だと思っていたら、我が幼なじみは一つ上を行っていて。

 「倫毅さ、もしかしてあの現場にいた?」

 それは突拍子もなく、今までの会話の流れをぶった斬るような指摘。

 結奥の視線は惜しげもなく俺に向けて注がれている。

 「・・・・・・何で?」

 「なんとなく。強いて言うなら気分が悪そう」

ーーー

 二人は国道に差し掛かった。遠くの方で青信号が点滅しはじめたのを見て、歩道橋でのルートに切り替える。

 歩道橋なんてどれも年季が入ったものであることは違いないが、それにしても一段一段の継ぎ目が錆び付き過ぎてチョコクランチの断面のようだ。お陰で毎回崩れやしないだろうかと冷や冷やしながら上っている。

 「正解だよ。早朝に散歩してた時、あの死体を偶然見ちゃってさ」

 「私に何ができることある?」

 「今のままで助かってるよ。サンキュー、結奥」

 足の下を多数のトラックが通り過ぎていく。

 ??歩道橋の横幅は狭く、子連れの三人家族ですら縦一列に歩かされる具合。

 最初こそ二人して横並びに歩いていたが、反対側から階段を上っていく人影が見えて結奥はスッと後ろに下がる。

ーーー

 ちょうど歩道橋の半分程度を渡り終えた頃に、その人影が上にまで来ていた。

 まだ表情もハッキリと見えないほど遠くではあるが、正面に相対した瞬間に妙な違和感を覚えた。

 制服こそ着ていないが、その見た目も背丈も高校生程度。パジャマにも使えそうな私服といった感じのラフな服装で、鞄などは持っておらず、常に手をブラブラさせている。

 少々急いでいるかのように、足早に寄ってくる。そこで初めて顔つきは女性だと分かる。

 しかも少女がやって来たのは梳太駅の方面から。総じて未成年が平日に朝帰りしたという印象がその雰囲気に漂っていた。あるいはそれ以上の。

 「倫毅、戻ろう」

 結奥に腰の辺りを引っ張られる。その声音は緊張していて、俺が抱いた違和感以上の何かを、結奥は感じ取ったらしい。

ーーー

 少女が迫ってくる。

 その表情は虚ろだった。

 ただこっちを見つめるようにして、スニーカーの足音をかき鳴らす。

 倫毅は手を横に伸ばし、身を挺するようにして徐々に後ろに下がる。

 やがて新たな音が増えた。少女の口が微かに絶えず動き続けていた。信号が赤になって歩道橋下の車列の動きが止まる。すきま風がカーテンレースを震わす程度の囁き声が、かえって少女のおぞましさを際立たせる。

 その目だけが、大きく見開かれていた。

 倫毅はもはや、目の前の少女が危うい事を確信する。

 二人は通路の端まで下がり、視界の右に階段が見える。

 幸いにも他に上ってこようとする人はいない。

 「結奥、先に階段降りろ」

ーーー

 「逃げるなッ!」

 突如、少女は弾けるように声を張り上げた。

 動物のような叫びが木霊し、周囲の人々が反射的に少女の方を向く。

 「あんたを連れてきたら戻してくれるって」

 大声の反動か、少女には嗚咽がこみ上げているらしい。

 「そしたら、もう終わりだからって」

 無表情だった少女の顔は、何の感情を抱いたのか・・・・・・微かに歪む。

 そして、それは結奥も同じだった。

 「・・・・・・嘘」

 結奥は階段に足をかけた所で止まり、少女の顔から目が逸らせないでいた。

 「貴方って、」

 「結奥!」

ーーー

 倫毅は結奥の腰に手を回し、促すように階段を駆け下りた。

 突然、背中にヒヤリとした空気が当たる。

 倫毅が後ろを振り向く頃には、既に足が振り上げられていた。

 「邪魔すんな!」

 右肩のあたりに鈍い痛みが走った。

 足下がグラつく。浮遊感が踵から腰にまで纏わりつく。

 そこで初めて、蹴飛ばされたのだと理解が追いついた。

 「っ」

 倫毅はそのまま結奥を抱き抱えるような体勢で落ちてしまう。

 右腕できつく抱きしめ、左手を合わせるようにそっちへ手を伸ばす。

 二人の世界が90度に傾いていく。

 手を、叩く。

ーーー

 パン、という渇いた音が鳴り、一瞬の静寂が訪れる。

 そこから人が転げ落ちていくような音は続かなかった。

 少女は橋の上から、その不可解な光景を目の当たりにしていた。

 さっきまでそこにいたはずの二人が、まるで瞬間移動したかのように消えたのだ。


ーーー



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