藍色の月 第三十四章 月に秘められた…

「最後にね……」

「……?」

「でも……どうしようかなぁ……?」


 めぐみさんに、言いかけてやめる癖はないはず。きっと、まだ話したいことがあるのだろうけど……


「あの……言いにくい話なら、無理に言わなくてもいいよ」

「ううん……そんな優柔不断じゃダメね。やっぱり聞いて」

「うん……」

「ありがとう。あのね……これ、ついさっき判明したんだけどね……」

「さっき?」

「そう……ホントは言わないでおこうと思っていたんだけど……」

「うん」

「あまりに簡単に結論が出たんで、やっぱり最後に……聞いてもらおうかなって」

「なぁに?」


 めぐみさんにしては、躊躇いがちな間を置いて、目を伏せながら……


「全部……流れちゃった」


 流れた……? それだけでは、直ぐには理解できなかった僕は……


「流れたって……なんのこと?」

「さっきトイレに行ったでしょ?」

「うん」

「残念ながら……月から降りて来ちゃった。わかる?」

「月から……?」

「今月のが……来ちゃったの!」

「え? それって……」

「だから私いま、ヴァイオレット・ムーンならぬ、ブラッディ・ムーンなの。それでよろしければって、さっき最後のチャンスだったんだけど……もう襲っちゃだめよ。アハハ!」

「さっきって? …………あ!」

「ね? はしたない女でしょ? クスッ」

「そんなこと……ないけど……でも……」


 まさか……それってもしかして……この夜も、そして12月のあの夜も……「安全日だから大丈夫よ」と……そんなめぐみさんの言葉を鵜呑みにして、特に何もしなかった僕だったけど……まさか違ったの?


「あんなにいっぱいもらったのに……ごめんね」

「いや……だってそれ、万が一……」


 どこか悔しそうに俯く彼女。


「12月のあの夜……あのあともそうだった。キミが帰ったあと……すぐにお月さま……」


 少し顔を上げ……


「私たち……縁があるような無いような……どっちなんだろうね? フフッ!」


 訊けなかった……「もしもその『万が一』だったらどうするつもりだったのか?」なんて……訊けなかったんだ。


「ごめんね。『もしも』のことは……キミは考えなくてもいいからね」


 また……読まれてる。


「12月の時も……今回も同じ。やっぱり運命はロス行きを示しているんだと思いましょうね」


 考えるなと言われても……じゃあもしも『万が一』だったとしたら、ロス行きはなくなっていた? いや……12月の時点でその万が一になっていた場合、その後の女優活動はどうするつもりだったの?


「もぉ……考えないでってば。一晩かけて、二人で辿り着いた結論と……不整合が出なくて良かったじゃない」

「それは……そうだけど。でも……」


 まだ、今ひとつ納得していなさそうな僕へ……少し困った顔を向けるめぐみさん。


「わかった。ここまで明かしちゃったんだし……白状する」

「……?」

「賭け……だったのよ。安全日とか言って、ごめんなさい」

「ううん。それは結果的に大丈夫だったから、もういいけど……賭け?」

「そう。私、本当は……どっちへ進むべきなんだろうなって。ね? ばかでしょ、私も」


 そんな……だって……「待ってるなんて絶対にダメ!」って、あんなに強く言っていたのは、ロス行きが確定していたからじゃなかったの? じゃあ、その万が一になっていた場合……今度は僕からめぐみさんに、僕の高卒、大卒、就職が決まるまで……「待ってて」とお願いする展開になっていたの?


「矛盾してる……って顔ね」


 全部……読まれてる?


「キミの思っている通りよ。私なんて、矛盾だらけなんだから」

「……」

「さっきの話……今後ね、私よりもっと悪い女に騙されないように、ひとつ覚えておいてね」

「ひとつ……?」

「そう……。女に……整合性なんて求めてはダメ」

「だって……めぐみさん、さっき不整合が出なくて良かったって……」

「そ・れ・は・そ・れ! 万が一のことに、ならなくて良かったでしょ? 計画犯の私が言うのもヘンだけど、キミの人生……変えちゃうところだったんだよ」


 めぐみさん……それは違うよ。11月、貴女と初めて出逢ったあの日から……あの時、最初は自分の気持ちに気付けなかっただけで……僕の人生は既に、今……この瞬間に向かって、大きく舵を切っていたのだから。

 と……口には出さなかったが、またも心を読まれたのか……


「だから言ったでしょ……『これ以上穢せない』って」


 それって……さっき泣きながら言っていた……?


「それは……わかったけど……僕はめぐみさんの夢を、妨げてしまうところだったの?」

「れいくん……キミに罪は無いんだから、そんな言い方しないで。私だって……自分で決められない時くらいあるのよ」

「それで……運命に委ねたの?」

「そう。その委ねた結果が、またもこんなに早く出るとはね」

「……」

「あともうひとつ、覚えておいて欲しいのはね……」

「うん」

「キミは私のこと、相当買い被っているみたいだけど……」

「……」

「年上だからって、そんなに……あんまり期待しちゃダメよ」

「期待……?」

「そう。そろそろ、私の本性に気付いたかな?」

「本性?」

「ここまで白状したんだし……もう、わかったでしょ? 矛盾だらけで身勝手で、自己中でわがままで……そのくせ肝心なところで優柔不断。挙句に乱暴な賭けに……しかも二回も出て……しつこいけど、キミの人生を変えてしまうところだったのよ」


 めぐみさんの言う「本性」……そこまで酷くは思っていないものの、反論は出来なかった。


「でも……運命は、その二回とも……ね? だから残念だけどやっぱり、私はロス行き……れいくんは卒業よ。いいわね!」

「めぐみさん……僕は……」

「ほらぁ……そんな顔しないの。ん~、やっぱ言わなきゃよかったかなぁ……ごめんね」

「ううん……めぐみさん、最後になにもかも話してくれて、本当にありがとう!」


 なにも言わずに僕を見つめてくれる彼女から溢れ出る、優しさと切なさが……愛おしくて堪らなかった。でも……もう……。


 「最後に……」なんて理由をつけて、話したいことは幾らでもあったのだろう。

 そんな言い訳をして話せば話すほど、お互いの刹那を何度も見せ合ってしまう。この時の僕とめぐみさんはきっと……言葉を交わすたびに、傷付いていたんだ。


 そろそろ……限界か。


 泣いても笑っても、いよいよお開き。彼女が一瞬、隠しそびれて垣間見えてしまう刹那が、またも二人を暴走させやしないか……そんな不安が、僕はすぐに顔に出るらしい。

 最後の最後まで、察して先手を打ってくれるめぐみさん。


「れいくん……学校へ……行く時間よ」


 この一晩の中で最も真っすぐな視線……隙のない表情だった。

 切なげでもない……嬉しそうでもない……威嚇してもいない……冷たくもない……ただただ優しい、凜とした姿のめぐみさん。

 これが……僕の見ためぐみさんの、最後の姿であり……僕が聞いためぐみさんの、最後の台詞だった。


 正確には……記憶の中にある最後。と言うのも、この言葉以降の記憶が曖昧。

 このあと当然、靴を履いて玄関から帰ったのだろうが……そのクダリの記憶もほぼほぼ無い。

 「ほぼほぼ」とは、去り際に……

「今夜の武道館、席は南東スタンドだから、もしバックステージからでも見つけたら……ううん、見つからなくても、手を振ってね」

 とだけ、伝えた記憶。


 こうして僕は部屋を出る。彼女の中へ、二度と戻ることのない17歳は……

「二人の未来が……どこかで繋がっていたらいいのに……」

 なんて、あり得ない想いを胸に閉じ込めたまま……惠比寿の街へと自らを放り出した。

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