藍色の月 第二十九章 帰る道を探してる

 それは、めぐみさんにしてはボソボソと……はっきりしない感じでの活舌だった。


「ねぇ……何も訊いてくれないのね。あの時の……ワケ……とか、その間のこととか」


 それって……僕から訊いて欲しかったのか、やっぱり。

 反省……12月のあの頃だって、言われてから気付いたのに……

「シャイなのは……キミだけじゃないのよ」

 と言われてから。


 それでも……詮索はしないと決めていた事も、説明しようとは思わなかった。

 しかし……代わりにスラスラと言葉が出始める。これより度合いを増して行く……詮索するよりも寧ろ、残酷であろう言葉が。


「ねぇ……めぐみさんも、明日が怖いの?」


 そう言った瞬間、彼女の躰が固まりそして……今まで腕の中にいた僕の事を、数秒間強く抱きしめ直し……そのまま躰を滑らし、僕の胸に……腕の中に入って来た。まるで、僕に「同じことをして……」との手本を示したかのように。


「僕は……怖いよ」


 そう正直に打ち明けはしたが……その言葉が、実は彼女を責めている事になるであろうとは想像もできずに、彼女を胸に強く抱きしめ……その時に思った。


 そうか……めぐみさんも、きちんと話すのが怖いんだね。


 もう……だいたいわかってしまった。ヴァイオレット・ムーンのメンバーと会えるのを蹴り、めぐみさんを選んだあの時のダブルミーニング……

「今夜じゃないと、明日からはもう……会えないのよ」も……

「今夜だけ、ヘンな日本語の二人でいようね」と……藍色の月への逃避行を決めたあの言葉も……。

 そして……再びこんな風になってしまったのもすべて……


 すべて……『今夜だけ』……。


 これまでの彼女の一連の台詞の、真意を裏付ける刹那が……僕の胸に抱きしめられたまま、動揺を始めていた。


 今夜も、あの時と同じように……また明日でお別れなのか。理由はまた、女優の仕事関係の?


 確かに理由の一つとして、その推測は間違いでは無かった。しかし、更に深いところに位置する彼女の心の『葛藤……苦しみ』までは……この時点ではまだ、思いが及ばない17歳。

 なぜなら僕は、今回の事、即ち……『永遠のこの夜』と『不安な明日』への『儚い希望』……それらの事しか考えていなかったんだ。年明け、彼女が何も告げずにいなくなった件には何の恨み言も無く、既に終わった事としていたから。


 この時既に、逃避行の操縦桿は……めぐみさんから僕へと渡されていた。

 そして……彼女の物悲しげな瞳の奥に、僕は気付いた。彼女もまた、深い傷を追っていたに違いないと。そして僕にはその事をひた隠しにして僕を癒し、ここまで飛んで来たという事にも。


 ついに、17歳の『男』の、不慣れにして残酷な操縦で……不時着の為の旋回が始まる。


「今夜叶った全部って……朝になったらみんな……消えちゃうんでしょ? シンデレラの童話の、馬車みたいに」


 驚いたように、大きく見開いた瞳で見上げてくる彼女。まさか、僕の方からそんな事を言い出すとは予想外だったのか。


 構わず続ける僕。


「一番大切なめぐみさんの夢を活かす為に、他のすべては……カボチャに戻そうね」


 腕の中から縋るように見上げ……何かに怯えるように震える唇。切なく見つめる彼女の瞳から零れたそれは……童話を否定しない、その『解答』だったのか……。


「心配しないで、めぐみさん。僕、めぐみさんが大好き。今、一番大切なのは、めぐみさん。朝になっても、変わらない」

「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 堰を切ったように泣きながら謝る彼女の、白い肌が心に眩しく突き刺さり、痛かった。それでも僕にはまだ、彼女の心の中の『12月』が見えていない。


「めぐみさんの一番大切な夢は、僕も一番大切。もう、そんなに謝らないでいいから」

「よくない! ちゃんと……ちゃんと謝らせて……お願い……」


 そう言いながらも泣き崩れる彼女……その胸の痛みは、僕の何倍も……張り裂けんばかりだったのだろう。


 それでも、肝心な事に気付かず、更に続ける無神経な17歳。それが、どれだけ残酷な追い討ちをかける事になるとも意識せず。


「もう、わかっちゃった。明日からどうなるか……だいたい。結果が見えて、覚悟もできたつもり」


 まだ泣き止まぬまま、半ば強引に話し出す彼女。


「一つだけ……」

「……?」

「一つだけ、叶っていないことがあるの」


 一つだけ? ……あ! 確かに……そうだった。

 それまでめぐみさんは、何回も……本当に何回も謝罪の言葉を口にし、きちんと謝ろうとしていた。なのに僕は、自分が全然恨んでいないからって……彼女の背負ってしまった『罪悪感』にまったくの無頓着で……一層追い詰めてしまったのか。


 何ということをしてしまったんだ……めぐみさん、ごめんなさい!


 そうと気付けば一刻も早く、彼女を縛りつけるその『罪悪感』から解放してあげたい。朝になって、魔法が解ける前に……叶えてあげたかった。


 いずれにせよ、一晩中二人して続けた逃避行。ここまで逃げて来てしまった以上、帰投すべき母艦は既に航続圏外……この不時着、絶対に失敗できない。


 この時、更に生まれた覚悟……即ち……あの頃、彼女に言われた『余計なこと』は言わずに黙って聞くんだ。


 こうして始まるめぐみさんの、長い長い……懺悔録。


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