藍色の月 第二十六章 手さぐり…暗闇の中で

 めぐみさんがどうしても話したいこと……それはきっと、12月を最後に僕の前から消えてしまった、あの件なのだろう。やっぱりめぐみさんも、自分を責めているの?


 べつに、もういいのに……。


 しかし、僕は良くても……めぐみさんにとっては良くないのだろう。オトナにはオトナの事情があり、オトナのケジメの付け方がある……そこまでは、まだよくわかっていない僕だった。


 そして、この日ここまでの急激な展開……ダブルミーニングな台詞にとっさに気付いた事についてもまだ、曖昧なままだったし。

「明日からはもう会えないのよ」とは、ヴァイオレット・ムーンではなくてめぐみさん自身の事だと、その時は何となく察しがついてしまったが……まさか……まさかまたそんな……と、無意識に否定していた。

 だから……だからそんな不安を自分自身に隠してしまったという自覚も無く、思わずしてしまう背伸び。

 即ち、許す事が寛容だ……のような真似をしたかったのだろう。先ずは、黙って聞けば良かっただけの事を。


 しかし、もっと奥深くの本当の理由は……怖かったから。『今』より遠い……『明日』の真実を知るのが。

 その根底に、自らは未だ気付かず……黙っていられない17歳。


「めぐみさん……僕、もう全然気にしてないよ。今日、こうして逢えたんだから」


 更に続けた。僕にしては思い切った台詞で。


「さっきのビールの泡の話ね……綺麗な泡の美しさは完璧だったよ。だから、今でも消えてはいない、綺麗な……綺麗なまんまだよ」


 この生意気な台詞に、わざわざ合わせてくれたのであろう……彼女の優しさが火種となった。


「綺麗に見えるのは、表面に残った泡だけよ。その下に隠れたビール……本当は、ぬるまって気が抜けた……美味しくない……」


 その時のめぐみさんの、そんな発言の真意は、翌朝近くになり明らかにされるが……黙っていられなかった僕は、彼女のその返答を遮るように言ってしまった。


「そんなことない! めぐみさん、どうしてそんなことを言うの? 気が抜けて美味しくないって、何の話だよ!」


 初めて……初めて彼女に対してこんなに強く……


「今日だって、さっき広尾で久しぶりに逢っためぐみさんは、僕が知っているあの頃のままの……いや、それ以上に綺麗になってたじゃんか!」


 しかもこんな口のきき方も、初めてだった。


「れい……くん?」


 その時に自覚はなかったが……「またもや今夜限りでお別れ」とも受け取れるダブルミーニングをどうしても否定したくて、ムキになってしまったのだろう。

 それ故か……こんな事まで言い出す自分を、もう止める事ができなかったんだ。


「女優なんでしょ? 逢えなかった間、北田監督と一緒に出てたテレビ、観たよ!とっても綺麗だった!」

「あ……あの番組?」

「ああしたバラエティだけじゃなくて、もっと……もっと上に行くんでしょ? 映画にも出るって言ってたじゃん! ぬるまった、気の抜けた女にできんのかよ!」


 初めての僕の強い口調に、彼女もびっくりした表情を隠せない様子だった。そして僕も、初めて見る彼女のそんな姿に「しまった……」と思った。多分、ワインの酔いも援護射撃?


「あ……あの……ごめんなさい。さっき言われたばかりなのに……生意気……い、言いました」


 何も答えず、固まったように目を見開き、じっとこちらを凝視する彼女。そして……


「やっぱりキミには、きちんと話したい。だから、落ち着いて……ね?」

「うん……大丈夫。反省してます」

「そんなのいい! キミは悪くないから。ちゃんと聞いてくれるなら……こっち」


 一旦立ち上がり、場所を変える彼女。そして……ここに座れ……という目線も、さし示す指先も、素直に従う僕も、あの頃と変わらず。


 しかし、横に座れって、そこ……ベッド……。


 それでも……もうその時は躊躇わずに、彼女の指先通りに動けた。但し、指差すそこは……お揃いのパジャマの上に座ってしまうことになるよ?


 きちんと畳んで置いてあるパジャマを、今度は僕が指差し……


「僕も昨夜、着て寝たよ」

「ほんとに? 大事にしてくれてるんだ」

「うん。これからもね」

「ありがとう。でも、今夜はもう着ないから……向こうへ置いといて」


 この……「今夜はもう着ない」が何を意味したのか……またも聞き流してしまった。


 めぐみさんの指先が、枕元の奥のスペースへと向けられる。


「キミの方が近いでしょ? お願い」


 そんな言葉が終らないうちに、サッと実行。パジャマを持った右手を枕元の奥へ伸ばした、次の瞬間……


「え……?」


 支えていたはずの左腕がフッと宙に浮き……まるで合気道の技のように、いつの間にか崩されていた。


 技の……ように? 思い出した。女優のスキルに必要な、合気道や武道の稽古を受けていると言っていた12月。


 左手を彼女に取られ、半回転した僕の躰は……引力に従いそのまま肩からベッドへ……そして、なんて素早い動きのめぐみさん。

 目の前にはもう、こちらを向いて横になった彼女の……あの夜と同じ……「本気よ……」という声まで聞こえてきそうな眼差し。


 しかしその夜は……そろそろ気付いていたんだ。その目ヂカラが毎回『持続』していない点と、どこかが違う……切なさを湛えた悲しそうな表情に、直ぐに変わってしまっていた点にも。


「話そうとしたわ。さっきから……何度も」

「……」

「その度にキミは……ちゃんと聞くのが……怖いのね」

「……!」



 そう言われて初めて……自分が本当は何を恐れていたのかを、やっと認める事ができた僕。そうか……そうだったのか。


「いいよ。まだ本題は後にしてあげる。お料理美味しく食べてくれたし……それに……」

「それに……?」


 やっと、声が出た。


「それに……初めてね。キミが、あんな風に叱ってくれるなんて」

「あ、あれは……」

「やっぱり今日のキミ、さっきから生意気……でも、素敵だったよ」


 眼差しは徐々に静かな……本当に静かな笑顔へと変って行き……彼女は続ける。


「ありがとう。嬉しかったの。キミに……叱られて」

「それは……良かったけど……」

「ねぇ……今夜だけ、ヘンな日本語の二人でいようね」

「今夜……だけ?」

「うん。いいでしょ?」

「ヘンな……?」

「そう……キミが言ったんじゃない。私はキミの……めぐみさんで……キミは、私の……れいくんよ」


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