藍色の月 第二十三章 月を追い越して

 せっかく再会できたというのに、それらしい会話もほとんど無く……目まぐるしくお買い物で増える荷物。そしてやっと……めぐみさんの部屋へ辿り着いて、いきなり強調された『二人きり』という状況に戸惑ってしまった僕。


 だってこの人……僕の初めての……。


 とにかく上がった。

 そして……玄関から左に入ったダイニングキッチンの、シンクの真上の壁に設置されていたのは……壁掛け式フォルダに並んだ、数十種類に及ぶスパイスセット! さすが、料理が得意なめぐみさん!


「ミコーマックのフルセットだぁ! 上馬の部屋にはなかったよね」

「わかる? こっちに越して来てから揃えたのよ。いいでしょ」

「うん! めぐみさん、お料理上手だもんね!」

「ありがと。でも食べてもらえる人はいなかったから、今夜は張り切って作るね!」


 お買い物途中「後で美味しい物作ってあげるからね!」と励まされていたので、これから二人で晩餐なのは決まっていた。しかし続いてめぐみさんからは……


「と、言いたいトコなんだけど……ひとつ、訊きたいの」

「……?」

「ヴァイオレット・ムーン……東京にいる間は、赤坂プリンスなのよ。武道館ツアーは明日からだから、今夜は彼ら、赤プリよ。予定ではどこにも出掛けないはず」


 そうだった。めぐみさんの通訳のお仕事、今回は正に、来日中のヴァイオレット・ムーン。電話でも、ちらっと言っていた。

 このあとに聞かされた話によると、正確には……サンコーミュージックとの契約で、そこのメタル雑誌【ブルルン】がヴァイオレット・ムーンの特集記事を組む為に、日本側が用意した通訳という事らしい。

 しかし赤プリって、そんな予定まで知っているなんて、この人……。


「キミさぁ、ダグ・ボンド好きだったよね?」

「うん!」

「ヒューは……まぁあんなだからわからないけど、ダグや他のメンバーなら、今から行けば会えるかもね」

「えっ! ホント⁉」

「予定通りであれば、たぶんね。メンバーの都合もあるから、もし行くなら今すぐよ」

「そりゃあヴァイオレット・ムーンに……会えるものなら……」

 余りに突拍子の無いお話に、正直、現実味が湧かなかった。


「じゃあ……これから赤プリ行きたい? それともここで、私と……お料理食べてもらえる?」

「訊きたいことって、それ?」

「そう。両立させようなんてしてたら、多分夜中になっちゃうからね」


 しかしなんて日だ。突然の電話……再会……その再会の歓びを言葉で交わし合う間も無いまま、あたふたとお買い物。やっと部屋で落ち着いて……と、思ったら、ヴァイオレット・ムーンのメンバーに会える?

 だが、気付いてしまったんだ。(夜中になったって、結果的に両立できるならいいじゃないか)と、思ったその時。


 違う……めぐみさんが訊いているのは、そんなことじゃない。ヴァイオレット・ムーンに会うか、彼女の料理を食べるか、どちらかを選べと言っているのでも……ない。

 このままこの、再会の儀式を続行する気があるのか……それとも、それよりもヴァイオレット・ムーンに目移りして、そっちの方が大事なのか……それを確かめたいんだ。

 証を……? 証を求めていたのか……。


「どうするぅ?」


 唇をとんがらせて、うつむき気味に上目使いで……肩を揺らしながら尋ねてくるめぐみさん。あの頃の……目ヂカラで捕捉して圧倒してくる彼女は、そこにはいなかった。

 そんな可愛い一面を見せるなんて『反則技』を使わなくたって、僕がどう反応するか、始めから判っているくせに。


 約4か月半の間に培養されてしまった愛しさに、心はすっかり占拠され……例に拠って、ちゃんと喋れない。


「あの! ……僕の……めぐみさんが……いい」


 パッと顔を上げ、潤んだ大きな瞳をこちらへ輝かせる彼女。


「れいくん……なに……言ってるの? 日本語がヘンよ」


 そう言って微笑むと、僕の左の手首をそっと握りしめた。手首を握られてドキドキしてしまい、更にヘンなセリフを……


「そ……そう? 日本語、ヘンかなあ? アハハ……さすが、通訳……」

「ばか。通訳関係ないし……なにそれ? おっかしー!」


 めぐみさん得意のこの台詞に、二人して暫くクスクス笑ってしまい、お陰で落ち着きを取り戻し、今度はヘンではない日本語で答える事ができた。


「ヴァイオレット・ムーンには会えなくてもいい。だから、赤プリには行かないよ。このままめぐみさんと一緒なら、夜中になってもいい。朝になっても……いい」

「本当にいいの? 今夜じゃないと、明日からはもう、会えないのよ」


 この時点ではまだわからなかった、僕に訴えかける彼女の表情の真意。嬉しそうな……そして限りなく切なそうな……。


 しかし、約4ヶ月半のブランクがあった割には、僕もあの頃より察しが良くなったのか……「明日からはもう逢えない」のはヴァイオレット・ムーンだけではなく、めぐみさん自身を指して言っているような気がしてならなかった。12月までにも何度もあった、いわゆるダブルミーニング?


 ならば、僕だって初挑戦。


「いいよ。だから、今夜はヴァイオレット・ムーンよりめぐみさんと……料理が食べたい」


 伝わったかな?

 こんな受け返しができるなんて、しかも手を握られたドキドキの状態で……12月までの僕からすれば、信じられない進歩。


 急に真剣な表情に戻る彼女。握った手を、手首から手の甲へと……指先をなまめかしくスライドさせ、再びより強く握る。相変わらず、僕には眼をそらす事を許さない目ヂカラで……


「明日のインタビューで、ヒューとダグにそう言ってやる。ヴァイオレット・ムーンを捨てて私を選んだファンの男の子がいましたって」


 そんなジョークに、見つめ合うシリアスな空気は限界……本当に久しぶり、二人での大爆笑タイムだった。その勢いで、つい調子に乗って考え無しのツッコミを入れてしまう。


「その男の子って、ヴァイオレット・ムーンのファン? それとも、めぐみさんの?」

「私のよ!」


 と、即答しつつ……握った左手を強く引っ張り寄せる。


 爆笑を一瞬にして凍り付かせるのも、また得意なめぐみさん。決して離さなかった左手から、今度は腕へとスライド……肩……首へと手を進めそして……開いている親指で、僕の顎を下からグイっと押し上げる。彼女自身も顎を突き上げ、わざと下目使いの目ヂカラ捕捉。親指の銃口を突きつけられ……もう、僕は動けない。


 今日の僕の、少し余裕な態度が……気に入らないの?


「ダグ達には黙っててあげる。キミは……私の……れいくんよ!」

「……!」

「キミの、ヘンな日本語で言うとね!」


 12月よりも乱暴な誘惑だと思ったら、また……冗談だったの?

 まだ震えが止まらない僕をよそに……一人で笑っているめぐみさんだった。


 但し、この親指の銃口……めぐみさんのこの行動の、本当の理由が明かされるのは……明け方近くになってからなのだった。


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