藍色の月 第二十二章 記憶は空っぽにして

 広尾へ辿り着くまでに、決めた事が一つあった。それは、諸々の出来事のワケを、決して尋ねないと。


 あの時、なぜ何も告げずにいなくなったのか……なぜ今まで何の連絡もくれなかったのか……知りたいのは山々だが、めぐみさんにだってやむを得ない事情があったに違いない。それをわかっていて尋ねるのは、責め立てるのと同じだから。別に全然恨んでないし、そんな感情は持った事も無い。それにめぐみさん、ちゃんと謝ってくれた。午前中の電話でだけど……「いつも突然でごめんね」って。


 あの頃から、大体の理由はわかっていた。即ち、女優業が忙しくなったら、めったに逢えなくなるかも知れないという『予言』もあり……後にその予言は成就してしまった。

 年始に彼女がいなくなったあと、テレビのバラエティー番組で、超大物お笑い芸人の相手役としてコントに出演していためぐみさんを観た時は……

「ああ……ホントだ……」

 その時はもう「ホントだ」も何も……既に自分なんかの手の届かない世界に行ってしまったんだなぁ……という『トドメ』を刺された実感の方が強かった。


 但し……実際にはまだ生活の為に、副業の通訳を請け負ったり、こんな広尾のオープンカフェで、サングラスを外して男子高校生とお茶を飲んでいてもパパラッチの心配が無い……まだそのレベルなのは、僕でもわかった。

 でも、そんな事は僕にとってはどっちでもいい! とにかく、こちらから訳は訊かない。


 連絡を一度もくれなかったのだって、結果論的には良かったのではないのか?もしも3月辺りで、都子べったりの頃にいきなり……

「撮影、ワンクール終わったから逢えるわよ!」

 なんて連絡が来ていたら?

 そんなパラレルワールドも、あるなら面白いかな……と、些か不謹慎なコトも想像できるくらいの余裕はあったのだろうか。

 余裕? ならば……僕はこの人の前だと、どうして口数が減るんだろう?


 いかにも『久々の再会』じみた会話は、特にまだ無かった。


 アイスティーを飲み終えたのを確かめるように僕の顔を覗き込み……


「さ! お買い物行くわよ!」


 と、立ち上がる彼女は、陽射しの演出だけではなく、一層輝いて見えた。


 先ずは目の前の、ナショナル字布スーパーマーケット。そのあとも数軒。その日どの店で何を買ったのかはほとんど記憶がないが、周りの風景はよく覚えている。外苑西通り……明治通り……首都高の高架下と、結構歩き回った。多分、広尾から白金辺りを掠めて恵比寿方面へ……というお買い物コースだったのだろう。


 相変わらずマイペースなめぐみさん。


「ほら、次行くわよ! ちゃんと持って!」


 次から次へと増えて行く荷物。ステンレス製の鍋まで追加? 重い~!


「このお店で最後だから、しっかりお願いね。もう少しよ!」


 最後に小さなスーパーみたいなお店で、牛肉とピーマンと筍と……これが、夜の絶品メニューになる。


 こうして辿り着いた、めぐみさん宅。上馬のマンションよりは全然小さい……と言うよりも、マンションではなく木造二階建てのアパートメントの、一階の部屋。


 お買い物……増える荷物……と、めぐみさんに言われるままにここまで来て……「着いた」と思った途端に、どこか照れ臭い気持ちになった。

 買った荷物たちは全部、とりあえず玄関先へ降ろしたままでボケっと立っていると……後ろから突っつかれた。


「何してんの? 早く入って!」


 いいのかな……入ってしまって?


 住人が入れと言っているのだから、いいに決まっているが……このまま上がってしまう事がどんな意味なのか? 今更ながらに考えてしまっていた。

 だが、めぐみさんの方へ振り返っても、また何も訊けなかった。もしも訊けたとして……いったい何を確認したかったのだろう?


 そんな僕の戸惑いは、またもすぐに察してくれたのか……半分困った顔、半分笑顔で軽くため息。ここまで結構命令口調だったのが、急に優しい声で……


「荷物……中に運んでね」

「うん……」


 と、返事だけでまだ動けないでいると……


「ああ~! もしかして、エッチなコト考えてるでしょう?」


 当たり……だったのかもしれない。僕にしてみれば奇跡的な再会……またも、貴女の部屋で貴女と二人きりだなんて。だって貴女は僕にとって……。


「もぉ……大丈夫よぉ、襲ったりしないから!」


 その夜……確かにその言葉は『嘘ではなかった』……ということに、なるのだろうか。


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