藍色の月 第十九章 霞む花…ひとひら

 ブラック・ナイトに着いて、まずはマスターへお詫びの挨拶。席に座らされ、コーヒーまで出して頂けた。

 ここは終わり……いよいよ次が問題。


 日吉の駅前まで戻り、さあ……。

「お父さん、今日家にいるんでしょ? 今から行こうよ!」

「……」

「なぁに? どうしたの?」


 俯いたまま何も言わずに、また泣き出してしまった都子。抱き寄せようと、両手を肩にかけた、そこへ……彼女の背景に一台の車がフレームイン……そして停車する。

 運転席の顔は角度的に隠れて見えなかったが……一瞬振り返り、車を確認し終えた都子が、首を振りながら絶望的な表情をこちらへ向けたその時……運転席が誰なのかを理解してしまったんだ。


「ごめん……なさい。キミが、きっとそう言い出すだろうって……お父さん、わかってた……みたい……」


 お見通しの上で、先手を打たれたか。またも自分の……無力さを思い知った。

 ただ、状況的に……わざわざ行かずとも自ら目の前に現れてくれたのだから、さっそく伝えたい事は伝えれば良かったのか? しかしその時の心境は、僕も都子の表情と同じく絶望的なものだったのを、よく覚えている。


 もう……交渉の余地など無い事を、彼女と僕の間に立ちはだかるまでもなく、背景として現れるだけで誇示し得てしまった、圧倒的存在感。完全に、僕の負けだった。

 そもそも、正義は我に無し……という以前に、元よりこちらが詫びる立場。始めから勝負にもならなかった。

 勝者の余裕か……その車から降り立つ事もなく続ける沈黙はまるで、最後の別れを早く済ませるよう無言で促しているようも思えた。


 この時……逃れられない絶望感を共有していた二人の心は、同じ未来を予感し始めていた。

 これは……許可が下りるまでの一時的な別れでは決してない? これで……これで本当に最後?


 もう誰が見ていようが関係無く……いつの間にか、二人は両手を握り締め合っていた。


「約束……」

「うん……」

「私……れいくんに約束……した……」

「うん……」

「守れなかった……かも……」

「そんなこと……ないよ……。突然いなくなったり……してないから……都子は約束を……守ったんだよ」

「ごめんなさい……許して……」

「そんな……都子は……悪くない」

「離れたく……ないよ……」

「守って……あげられなかったのは……僕の方だから……謝らなきゃ……いけないのも……」


 その時、背景で運転席側のドアが開き……もういいだろう、という顔の男が現れる。

 確かに……放っておいたら二人は、いつまででも離れなかったろう。


 軽く会釈だけをした。そして……義によって、姫はお返し致します。

 自らの意思で送りたかった。何も言わせない……取り上げられるのだけは、御免だ。


「後ろの鍵、開けて下さい」

 運転席へと戻り、鍵を開け……そのまま再び車内へと消えるお父さん。そして僕は、彼女を車の方へと促した。


「い……いやっ!」


 拒絶する彼女に、なぜか僕は言い聞かせていた。

「今この場から逃げたところで、どうせ連れ戻される。ここは一旦従おう……ね?」


 都子を後部座席に座らせ…

「キミとまた、ちゃんと……逢えるよね?」

 それに対しては何も答えてあげられなかった。もうこれで最後のような、絶望感で満ちていたから。


 頭だけ車内へ突っ込んでいるので、お父さんへ丸聞こえなのは判っていたが……

「都子……新しい約束、いい?」

「うん……」

「今後、例えどんな展開になったとしても、絶対に不良少女には戻らないって約束して」

「迎えに……来てくれる? れいくん……」

「迎えに行く……約束するよ」

「じゃ、私も約束する……必ずよ」

「わかった……必ず」

 これが……二人が直接交わした、最後の会話となってしまった。


 後部座席のドアを閉め、走り去る車を見送り終えると……それまで堪えていた涙が一気に、まるで漫画の描写かと思うくらい流れ出した。

 そのあと、どうやって家に帰ったのかは覚えていない。覚えていないが……家に到着してからもその夜は、部屋でずっと泣き続けていたこと……そして、毎晩寝る前の洗顔をしなかったことは、覚えている。

 都子の為に溢れた涙を……自分の顔から失いたくなかったんだ。


 その後……結局、許可が下りる事は二度となかった。予感していた通りだった。電話までは禁じられなかったが、後に禁止同様にされた。

 それは一度……禁止が解かれる前、密かに逢う約束ができた。しかし、日吉の駅前で待っていても、都子は現れなかった。後に電話で聞いたが、バレて拘束されたらしい。

 それ以降の電話は、彼女本人が出た時以外、取り次いでくれなくなった。そのうち、本人も出る事が一切なくなった。


 終わった。

 都子との恋が……完全に幕を閉じた。


 春……満開の桜が一気に散るが如く終わってしまった恋。諦めてはいけない……という考え方もあろうが、自分自身がもう「終わった」と実感した時、恋は終わるものだと思う。そう……始まった時と同じように。

 そして、終わったにも拘わらず苦しむのは……『恋』が終わっても『恋心』は、同時に終わってはくれないから。

 その『苦しみ』を熟成させ……『強さと優しさ』へと変えて行かねばならないのは、毎度毎度変わらない。

 そのように頭ではわかっているものの……都子を失った悲しみは、春の間中……僕の心を苛み続けた。


 しかし……そんな傷だらけの恋心が癒え始めた、春の終わりを告げる5月を迎えた頃、更に新たな変化が起こる。

 それは……目の前に置かれたチケット。奇しくも……都子が取ってくれた、ヴァイオレット・ムーン来日武道館公演の。

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