藍色の月 第九章 貞操と誤解

 めぐみさんから贈られたパジャマに身を包み

 いつもの夜に眠り いつもの朝に目覚める

 この東京の どこかに必ず居る貴女の存在と

 この恋を諦めてはいない自分に誇りを持ち

 また今日が始まる


 めぐみさん……最近色々あるけど……今日も僕は、貴女に操を立てます。


 恋と両立できずに崩れてしまったバンド活動を、また再開しようという気持ちにもなっていた。

 めぐみさんの時と同じ、音楽雑誌PMのメンバー募集欄で応募してきたのが……都子(みやこ)ちゃんという同学年の女の子だった。同じ沿線の横浜在住。

 さっそく都立大学の駅前で待ち合わせし、面接。フロントに立つボーカルとしては、背も高いしルックスもバッチリの美人。

 でも、どこかオトナっぽい。ホントに高校生? 年齢ごまかしてないか? 

 ただ……教室・クラス・友人・テスト・先生……話すと確かに高校生。失礼しました。

 残念ながらチャリ距離ではないので、以後電話で話す機会が多くなる。


 当時は……先ずパソコン自体が存在せず、今なら当たり前にできる事が、ほとんどすべてと言っていいほどできなかった。

 スマホも無い。MP3も無い。ダウンロードという概念自体が無い。CDも無い。メールも無い。デジタル家電て何者だ。ヨウツベねぇ! あるわけねぇ! インターネット自体がねぇ!

 オラこんな●ぁいやだ~!

 と……まさか将来ここまでのデジタル社会になるとは想像も及ばなかった当時からすれば……「いやだ~!」と、現状を嫌がる概念すら無かったのである。

 それ故、曲を聴かせようにもカセットテープを渡すしかなく、直ぐに聴かせたければ、電話口で鳴らすしかなかった。


 都子は感受性が人一倍……否、人三倍くらい強い子だった。電話越しに聴かせた初めての曲に感動して、その場で泣いてしまう。

 あの時聴かせたのは……ヴァイオレット・ムーン創設者にしてリーダー、ダグ・ボンドのソロアルバムから、タイトルチューンのビフォア・ユー・リーヴ(邦題:貴女が去り行くままに)で、泣かせてしまった。


「泣いたりしてごめんなさい。次は電話越しじゃなくて……もっといっぱい聴きたい。今度、れいくんのおうちに……行っていい?」


 電話越しでこれじゃあ、直接聴いたらどうなっちゃうんだ?

 ただ、この状況でそう言われて……「だめだ」と言える人がいたら、そのフォローの台詞も教わりたい。


 そしてとある日曜日、都子はウチに来た。

 僕自身が好きな曲を聴いて、泣くほど感動してくれるのが嬉しくて色々聴かせたが……その日に聴かせた曲の一つが、レット・ザップラムのNGKホールでのライブ盤から……ザ・スノー・ソング……遂にその曲で「うぇ~ん……」と抱き付いて来た。


 これは……これはまずいぞ。こんな場合はどうすれば?

 それでも……端整な顔をビショグシャにして胸にうずめてくる都子を、しっかり抱き締めてあげずにはいられなかった。

 だが、その時ふと心に過ぎった気持ちは……


「めぐみさん……ごめんなさい……」


 その瞬間、脳天に走った衝撃? 都子を抱き締めたまま、ほぼ治ったはずのフラッシュバック? そうなるともう訳がわからず……より一層強く、彼女を抱き締めてしまう。


 そこにたまたま助け(?)が……。


「おにいちゃん、紅茶入った……あ……」


 当時中学生の妹が登場。普通なら「てめぇいきなり入ってくんな!」とかいうシーンだが、かえって助かったような? 妹からすれば、見てはいけないシーンを見てしまったのだろうが……もしもあのままだったら、僕も更にパニックになっていたかも知れない。いずれにしても、危ない日曜日だった。


 しかし……本当に危ない予感の一幕は、このあとだったんだ。


 都子を都立大学の駅まで送り……


「じゃあ……またね」


 彼女はじーっと、僕の顔を覗き込んでいる。

 ん? なんか……怒ってる?

 同い年でもオトナっぽくて、魅力的で……結構目ヂカラもある都子。けど……その程度じゃ、僕は捕捉されませんよーだ。


 その時……都子はゆっくりと差し延べた両手で、僕の右手をそっと包み……そして伏し目がちに照れくさそうに……


「さっきぃ、なんで……あんなに?」

「そ……それは、あの……」

「腕と……肩と……痛かったよ」

「あ……ごめん」

「ううん」


 笑顔でそう言いながら首を振ると、半歩近付き……僕の右手を包み直しながらそのまま自分の胸へと持って行き、真ん中に押し当て……笑顔から真剣な眼差しへと切り替えた瞳で真っ直ぐに僕を見つめながら……


「痛いよ……ここも……」


 一度静かに目を閉じ……そして開くと同時にニッコリと笑顔になり手を離すと……


「じゃね! また電話するから! また来ていいでしょ!」


 と、手を振りながら走って改札へ消えて行く都子。

 その時、彼女に対して……「なんて可愛いんだろう……」という『愛しさ』が湧き上がったのは確かだった。

 しかしこの時ばかりは、めぐみさんではなく……夕夏や麻里の表情が浮かんだ。それは、その『愛しさ』が一時的な感情でしかないことに、すぐさま気付いていたから。


 違う……違うんだ。君を……強く抱き締めてしまったのは、そんな……そんな理由じゃないんだ。


 また……都子も傷付けてしまうのか? それが怖かった。


 都立大学駅の改札を後にした僕は……そのまま目黒通りを流れる車達を眺め続け……気が付くと二時間が経っていた。




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