藍色の月 第八章 傷心の伝播

 心の奥の 何処からともなく湧き出で溢れる悲しみは

 尽きることなく 決して一晩で熟成されることはない

 迎える朝 既にその日一日に見切りをつけ

 自らの悲しみを まずは自分に隠し 今日も家を出る


 逢えない毎日……めぐみさんのいない生活は続く。自分自身がどう解釈しようが、認めようが認めまいが……彼女に逢えないという現実に、なんら変わりはなかった。

 そんな僕の心境とは無関係に、日常生活は繰り返される。少しずつでも、この環境を受け入れていくしかない。既に新学期も始まり……徐々に表面的にだけでも、クラスやサークルでは話したり笑ったり……『高校生の日常』が戻って来たようではあった。


 但し……この頃から僕の周りで『今までには無かった動き』が起き始める。それは……同級生の女子。

 実際、僕はルックスもキャラもたいしたことが無く、いわゆる『女子に人気』だなんて事はあり得ず……モテたの人気者だのでは無い状態は、確かにそれまでとまったく変らなかった。

 ただ……僕自身さえも気付いていない、何らかの『変化』は……あったのかもしれない。


 最初はクラスの女子……夕夏。いつもポニーテールが可愛い、しかも落ち着いた感じの子。

 放課後、地下の購買部兼食堂へ呼び出される。要するに、付き合って欲しいと。


 なにそれ……?


  僕にとっては本当に「なにそれ?」だったんだ。その『コクる』とか言う行為……いわゆる……「付き合って下さい」→「喜んで」とか「ごめんなさい」みたいな順序での『お付き合い』とやらが、いったい何のことなのか……?


 よくわからないんだけど。


 そして、ソンナコトは端から理解する気もなく……

「実は、好きな人がいるんだ」

 と、お断りの台詞のつもりだったのに……


「やっぱりね……そんな影、感じたもん。いいよ、それでも。どうせ片思いなんでしょ? 私と同じじゃん! 一緒に始めようよ!」


 なんだって? 強引というかなんというか……勝手に決めるなよ。

 めぐみさんと何があったかまで、夕夏に説明する必要は無いが、事実上『片思い化』してしまったのは現状では否定できず、反論は出来なかった。

 それを……「ヨロコンデ」だと解釈されたらしい。


 心の隙間というのは弱いもので……はっきりと決められないまま、何となく『付き合う』かのような展開となった。

 一緒に映画を観たり、手を繋いで代々木公園を歩いたり……これが『デート』……なのか? こういうのを『付き合う』……とか呼ぶのか?

 そして、何回目かのデートの後……フラれた。


 最後に彼女は、涙ながらに言っていた。


「れいくんの心には、いつも誰かが住んでいる。その人と私を……比べてさえくれない。私と一緒にいても、心はいつもその人の方を向いている。いつか私を認めてくれると思ってたけど……もう頑張れない!」


 だから言ったじゃん。好きな人がいるって。

 勿論、口には出さなかったが……男として、最低な言い訳の一つだろう。だったら最初から優しいフリなどせずにはっきり断れば、夕夏はこんなにまで傷付かずに済んだのに。

 フラれたのは僕だったが、傷付いてしまったのは夕夏の方だった。


 こうしてこれ以降、僕は人を傷付けてしまうようになる。


 その二週間くらい後だったか。一年生の時に気になっていた、麻里と……放課後、生徒達が疎らになった夕方の廊下で擦れ違う。

 同じクラスになった事はないが、バンド・音楽つながりの……気の強い、カッコいい女子だった。


 一年生の頃は、同じバンドのメンバーでもあった。とは言っても、僕のバンドではなく……一年生の時のサークルの夏の合宿にて結成された「二年生バンド」へ、僕はピアノパートとして結成当時から加入させて頂いており、内容は「佐野春元バンド」……が、秋の学園祭の頃には大所帯バンドへと成長し……彼女はその、女子コーラス三人組の中の一人として参加していた。

 一年生当時は結構アプローチしていたから、僕が麻里を気になっていた事を彼女は当然わかっている。

 一年生の……時までだったが。


 擦れ違いざまに…


「ちょっと待ちなさいよ」

「なに……?」

「キミ……少し痩せたんじゃない?」

「へぇ。そんな心配してくれるんだ。ありがとう」

「そう見えたからそう言っただけ。最近、どう?」

「どうって……別に。じゃあ……」

「待ちなさいってば! ねぇ……ちょっと下まで付き合いなさい!」


『下まで』とは、例の地下の購買部兼食堂の事か?

 相変わらず気の強いこと。こうして上から目線で言われても、めぐみさんであれば当たり前のように素直に聞けたな。

 麻里には……勿論いちいち逆らわなかったが、正直言って半分……否、ほとんど投げやりな気持ちで、その時は下まで付いて行った。


「ここに来てもらった意味……わかるよね」


 夕夏の事があり、クラスメイトに訊いてみたら……放課後の購買部でコクるのは、どうやらこの高校の昔からの伝統だったらしい。


「わかるよね⁉」


 押しの強い女……なんだろうけど……この程度の圧力、何でもなかった。それにこの子、こんなに子供っぽかったか? もっとカッコよくなかったっけ?

 めぐみさんならこんな時、どう迫って来るかな? いや……いきなりこんな高圧的な態度ではなく、もっと優しく……。


「聞いてんの⁉」

「え? あ……わりぃわりぃ……」


 夕夏が言っていた『心はいつもその人の方を向いている』とは、こうした態度のことだったのか。


 はい、すいません。

 えーと……深呼吸……よし! ちゃんと言うぞ。


「わかると言えばわかるけど……一年ん時、僕は散々アプローチしたんだ。今度は君の番だって言うの?」


 と、言ってから……(しまったぁ! 台詞、そうじゃないだろ!)と思ったが、時すでに遅し。はっきりコクられたところで、今度こそ断るのは決まっているのに。

 すると麻里からは…


「もぉ……意地悪しないでよぉ」


 と、どこか嬉しそうに照れている。普段から強気でも、こんな時はやはり女の子なんだな。ただ、これは……完全に勘違いしているぞ。まずいな……。

 ドラマとかだとこんな時、普段は強がっている子の隠れた可愛い一面を見てフラッとなったりするシーンがあるが……全然ならない。


「僕には好きな人がいるんだ」


 と、そこまでは夕夏にだって言ったんだ。


「え? だって……夕夏ちゃんとは、別れたんじゃないの?」


 よく知ってんな、女ってのは。2年だけで14クラスもあるのに、全部ゴシップ把握ってか! そして把握しているのは……『その程度』か。


「別れたっつーか……その人がいることは、夕夏にも最初から伝えたし、夕夏ともホントは付き合う気はなかった。……君ともね」

「えっ⁉」


 そこまで言うと、もう止まらなかった。自分の言葉が目の前の女の子を傷付けるかどうかなんて……考えている余裕はなかった。


「誰? まさか、愛果ちゃん?」


 愛果ちゃんとは……その大所帯となった「佐野春元バンド」の学園祭でのステージを観て気に入り、麻里がサークルへ連れて来た同級の女子。


「愛果ちゃんとはなんでもないよ。その人は、学校とは関係ない人で……君みたいな……子供じゃない」


 失言なのはすぐに気付いたが、謝る気にはならなかった。彼女としては、言葉の意味は理解できても、内容は認めたくなかった様子で……


「なに……言ってんの……アンタだって……タメじゃない……」


 あの気の強い麻里が、泣きそうになっているのがわかった。それでも僕の心は動かなかった。凍り付いて、思いやりなど無かった。


「そう……僕はタメだよ。だからその人は、学校とはなんの関係もない人。その人じゃないと……ダメなんだ……」


 謝ろうとしないどころか『トドメを刺している』ことに、自分でも気付いてはいたが……もう、止まらなかった。わかっていたのは、また一人傷付けてしまった……という事実。


 心の中で、エンドレスで繰り返されるつぶやきは……麻里の告白を断るための言い訳などでは、決してなかった。


 ……その人じゃないと……ダメなんだ。

 ……その人じゃないと……。

 ……その人じゃないと……。

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