藍色の月 第四章 津波とハードル

 徐々にかたまりつつある二人の心

 寄せては返す波のように

 同じことの繰り返しには見えても

 砂浜は少しずつ浸食され

 彼女は僕の心をむき出しにして行く

 やがて突然訪れるであろう津波は

 まだその兆候も見せない


 めぐみさんから贈られた、めぐみさんとお揃いのパジャマ。洗濯には出すので毎晩は着られないから、そのパジャマで眠れる夜はとても嬉しかった。


『津波』が兆候を見せ始めたのは、そのパジャマ以降だった。「ケンカした」とか「締め出した」という『一過性』の表現は鳴りを潜め、代わりに使われるようになったのは……

「あの人は別れたくないとか言ってるけど、もう決めた」

「もう別の部屋を借りる準備をしている」といった、かなり具体的な言葉だった。

 それは僕に対する、もう『まだ』ではないというゴーサイン? で、あったかどうかをまたも見逃してしまう高校2年生の鈍感さ。


 ただこの頃には、自分の気持ちにもきちんと気付いていた。そしてその気持ちを、先ずは自分自身が落ち着いて認めるというところにまでは辿り着いていた。


 そう……もう、はっきりと「好き」だった。

「おとうと」と言われたからって「おねえさん」ではなかった。彼女のことが、一人の女性として「大好き」になっていた。

 めぐみさんの言っていた「余計なこと」の意味もわかってきた。即ち……僕ごときが口を挟まなくても、別れる時は別れるのだ。「まだ」と言われてはいたが、特に待たされた感は無かった。正に『なるようになりつつ』あった。


 自分の規範意識……巻き込まれたいという願望? めぐみさんの気遣い……「おとうと」から始めてくれた優しさ。

 二人のすべてがありのままの姿で、新しい恋が始まる……否、既に始まっていたのだろう。


 ドラマ等でありがちなのは、この辺でまた難関や修羅場を迎えたりなのだが……その系の事態は一切無かった。完全に出て行ったはずの元彼が乗り込んで来るとか……年上の女性の部屋に入り浸っている事は把握していているウチの親が、極度に干渉してくるとか……まったく無かった。


 にも拘わらず、それでも考え込んでしまうのが僕の悪い癖? お互いに気持ちは固まっているはずなのに、ここへ至るまでの経緯を気にしての自問自答……


「不倫と言う事にならないのか?」

「いや、あの彼氏とはもう別れたんだからいいんだ」

「それって『略奪愛』とか呼ばれる……?」

「いやだから、まだ何もしてないでしょうに」


 等々を頭では考えてしまい、尚且つ結論は出ないまま。


「めぐみさんが大好き」と言う自分の気持ちはハッキリした。めぐみさんからも同じく「好き好き光線」は強く感じる。だからこそ「好きだ」と言いたくて、口に出して伝えたいのに……どこかまだ、めぐみさんに対して『遠慮』していたのかも知れない。

 二人の関係は、明らかに彼女の方が精神的にも優位にあった。だから……? 彼女は彼女なりに、せっかく始まったこの関係を大切にしてくれていたのだと……勝手に思いこんでいた僕だった。


 だが……ある日僕は、17歳である事を理由に、いつまでもそんな言い逃れは出来ない事を思い知る。



「ねぇねぇ、キミはさぁ……」


 背中越しに聞いてくるめぐみさんの声。僕の背中を座椅子にしての床座り生活が好きらしい。


「キミはいつまで、おとうとでいるの?」

「えっ⁉」


 めぐみさん、それって……やはりこのままでは不満だったのかな。それは僕にだって、夢や希望くらいはあるんですけど……。


「ふ~ん。脈が速くなったわね。背中から……わかりやす過ぎ」


 どうしよう……今が……ハッキリと「好きです」と言う、チャンスなのか……? と、またも躊躇っている内に……更に追撃……クルっと僕の前に周り込み、まるで威圧するかのように……


「ねぇ! いつまでも『おとうと』ではいられないのよ!」

「……‼」


 じ~っと覗き込むように……眼をそらすのは許さないと、無言で語りかける、このまま吸い込まれそうな凄い目ヂカラ。

 この「いられない」の意味がダブルミーニングであると、この時点の僕には気付けるはずもなかった。


「もぉ~、ロックの事は生意気なくらい、いっぱい話してくれるじゃない! 何か思っていることがあるならちゃんと言いなさい!」

(わー、なんとか答えないと。えーとえーと……)

「あのぉそれは……そうだけど、その……」


 結局ちゃんと答えられない僕。すると「真剣な表情」を保ってきためぐみさんは「もう我慢できない」という様子で……


「あっはー! おっかしい、なにそれ!」


 と、ケラケラ笑い出す。


 僕だってきちんと「好きです」と言葉で伝えたい。キスだってしたいし、その先だって……そんなのまだ誰ともしたことないのだから、だから当然、こんなに大好きなめぐみさんとしたいに決まっているじゃないか。


 ただ、その『したことない』を……『する』方向へと持って行くノウハウが分からない。

 学校のクラスを見れば、クラス公認のカップルも数組。彼らはどうしているんだろう?

 いや、人のことはいいんだ。知ったところでクラスのカップルが果たして参考になるか? 彼らには少なくとも『遠慮がある』ような理由はないはずだ。

 いけない……また歳の差を言い訳にしている。

 乗り越えるべきハードルが、クラスのカップルより高くて多いだけじゃないか。

 そもそもそんなハードルなんかあるのか? 自分で置いてしまっただけじゃないのか? 彼女がそんなもの置けと言ったか? 

 自分で勝手にそんなものを並べておいて、彼女がどけてくれるまで何もできないなんて……ヘタレじゃないか。


 めぐみさんはまだ、ケラケラ笑っている。


「おっかしい、なにそれ!」


 そんなヘタレな僕の葛藤を既にわかっていためぐみさんはその後……「笑われて終わり」では済まされないシナリオへと、ついに舞台を移すのだった。


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