藍色の月 第二章 存在

 めぐみさんの部屋へはその後も頻繁に勉強を教わりに行くようになったが、数学の宿題が終わってしまえばそれで勉強タイムも終わり。

 そのうち、宿題など無くても、彼女からのお誘いが無くても、頻繁に部屋へ行くようになり……めぐみさんは『家庭教師的存在』としての色を薄くして行く。さりとて、バンドの打ち合わせが進むわけでもなかった。


 行くといつも彼氏はいなくて、その度に「ケンカした」とか「追い出した」とかの話をする。

 僕に話してどうなるんだろう? まだ17歳の僕には、彼女の気持ちを慮る事ができずにいた。


「彼とは……もうダメかな」


 そう言う割には、ベッドに「しんちゃん(彼氏)」とか貼り付けてあるお揃いのクッション枕が二つ並んでいるし……僕は、高校2年生なりに複雑な気持ちだった。

 部屋へ行く度にそんな話を聞かされるのが当たり前になった頃には……


「この人とはもう、バンドは組めないんだな……」


 と、すっかり諦めの気持ちになっていた。しかしそれについてはお互い、口に出さず仕舞い。


 それなら……家庭教師でもない、バンドのメンバーでもない……僕にとって、この人はいったいなんなんだ? クラスの同学年の女の子達とは明らかに違う、オトナの女の人。でも、友達と呼ぶにはどこか抵抗がある。

 その答は出ないまま、それでも僕は彼女の部屋へといつの間にか……『通って』いた。自分の奥底に潜む本当の気持ちに、未だ気付く事なく。


 学校が冬休みに入ると、めぐみさんの部屋へ行く頻度は断然アップした。日中仕事なら当然かもしれないが、あの日以来彼氏には会わない。

 そして相変わらず……


「昨日は鍵しめて、ウチに入れなかった」

「でも寒さで凍えて可哀相だったから、最後は入れてあげた」


 と、話してくれる。以前「彼とはもうダメ」と言っていた件? 彼氏と暮らすってそんなものなのかな? そんなにいつもケンカして、なぜ一緒にいるんだろう? 

「愛だ恋だじゃ無くなっても、情で繋がっているケースもある」……と、そこまでは想像もできずに、単純に短絡的に考えていた僕。


 そこに、電話が来る。彼氏のお母さんからだった。何やらクレームじみた話らしく、めぐみさんは終始平謝りモード。横でやり取りを聞いていて……「助けてあげたい」なんて気持ちがこみ上げたのを覚えている。


 クレーム対応は終わったらしく、少し憔悴気味のめぐみさんの姿。17歳の少年に「愛おしさ」を込み上げさせるには、めぐみさんにその意図は無くとも、最高の舞台装置だったのかもしれない。

 そして、僕はついに言ってしまう。


「もう、別れればいいのに」


 その時の、僕を見つめるめぐみさんの切なそうな表情……僕はすぐに「しまった」と思い……


「あ……ごめんなさい。余計なことを……言いました……」


 と謝ると、彼女は目を伏せながら……


「そう。余計なことよ。キミにとっては……まだね」


 まだ? 「まだ」ってどういう意味? 


 そんな僕の戸惑いは、既にわかっていたかのように……そして、まるで考える余地を与えないかのように、より切ない表情で見つめ返しながら……


「でも……私にとっては避けて通れない、逃げちゃいけないことなの」


 それ以上は言葉には表さない、しかし切なさは隠さない表情が……


「キミには、それが片付いてからね……」


 と、訴えかけているように思えてならなかった。そして僕は……何も出来ない……何も言ってあげられない自分自身が、もどかしくて仕方なかった。

 更に、何も出来ないくせに……「いっそのこと、巻き込んで欲しい」なんて、今言われたばかりの「余計な」気持ちまで、湧き出でて来るのを否定出来なかった。

 抑えられない気持ちが更に自分を混乱させた。


 巻き込まれたところで、このどろどろドラマにどんなキャラで出演する? どろどろドラマ? そもそも、どろどろになったのは僕にも責任がある? いや、正にそんなのが「余計なこと」なのではないのか? 


 そんな葛藤に混乱しつつも……きっと、きっとこの時だったんだ。この時この瞬間、自分にかかっていた鍵が開いて、自分の心の中が見えたような……そんな気がしたんだ。

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