暁の監視者

しらす丼

暁の監視者

 まもなく夜が明けることを、その空は教えてくれていた。


 走行する車のフロントガラスの向こう側。コバルトブルーの背景が、下から少しずつオレンジに侵食されている。


「へえ……」


 昼の晴天や夜の星空とは違ったその幻想的な眺めに、思わず感嘆の声を漏らす。すると、視界にわずかな白いモヤが広がった。


「見慣れない景色に感動できるのは、老いてきたってことなのかな」


 もしかしたら、若干ぼやけている視界と頭が理由かもしれない。そんなことを悪びれもなく考える。


「それにしても」と大きく口を開け、逃げ出そうとしていた酸素を体外へ吐き出した。


「眠い……今回はちょっとはっちゃけすぎたな」


 ビール瓶二本。赤ワインをグラスで三杯。

 ほんの二時間ほど前のことを思い出した。


 数年ぶり解禁された職場の親睦会。いつも一人で晩酌していた時とは違って、つい浮かれすぎてしまい三次会まで参加してしまった。


 本来であれば一次会のみの参加でビールもジョッキ一杯の予定だったのだが、予定は未定である。


 ぼうっとしてくる頭を覚ますように首を振った。


「前も平気だったし、家に着くくらいまでならなんとかなるだろ」


 水分は沢山とった。それに仮眠も。あれから二時間も経過しているのだから大丈夫に決まっている――。


 アルコールの匂いが僅かに残る息を小さく吐き、再び視線をフロントガラスの方へ向ける。そこには相変わらず美しい暁の空が広がっていた。


 しばらくその景色に見惚れながら運転していると、正面にある信号機が黄色から赤色に変わり、やむなく車を停止させる。


【――イ】


 ふと何かに呼ばれた気がして、視線を左に向けた。するとその先に、暁の空を背景に立つ黒い影を見つける。


 そのすぐ真下。自分と黒い影とを分断するように設置されている柵に、長方形型の看板がかかっており、見るとそこにはこのように書かれていた。


「南無阿弥寺――」


 なるほど。ということはあそこに立つ影は仏像か。


 しっかりとその姿を見たわけではないが、そうだと思える確信はあった。


 墓地の真ん中に建てられた仏像は、その場からいくつもの墓を見下ろしているのだろう。その姿に、墓地の支配者然とした風格がありそうだ。


 そしてその支配は墓地の外にも広がっている、ようにも感じられた。


「なんだか不気味な影だな」


 見えないはずの目から鋭い視線を感じ、なぜか生ぬるい風がまとわりついてくるような気持ち悪さがある。


 きっと全て自分の思い込みだ――そう言い聞かせ、頭を振る。


 ふっと息を吐いてから前を向くと、信号は既に青色に変わっていた。


 クラッチを踏む足をおもむろに緩め、右足でアクセルを入れていく。すると、車はゆっくりと動き出した。


「そういや、今朝はなんだか静かだな」小さく呟き、周囲に目を走らせる。


 ここは夜勤の帰宅時に通る道で、いつもなら後続車はもちろん反対車線からも車は多い。


 しかし今朝は後続車や反対車線の車も無く、人っこひとりいなかった。


 週末だからだろうか――。


 それでも、誰もいない県道は時間の流れが停止したように感じられる。


 その動きのない空間はあり得ない世界を連想させた。


 先ほどの仏像は黄泉の国の門番か何かで、自分はいつの間にかそこに紛れ込んでしまったのではないか、と。


 顔のわからない黒い仏像が、こちらに笑いかけている気がした。それに思わずぶるっと身震いし、視線を正面に戻す。


「何を馬鹿なことを」


 まだ酔いが残っているのかな――。


 不気味に感じていたのも束の間、再び眠気が襲ってくる。ドアに右肘を置き、頬をつくと思わずあくびが出た。


 すると、なぜか助手席側の窓が自然に開く。


「ん? パワーウインドウには触れていないはずなのに?」


 途中まで開いた窓を、運転席側のパワーウインドウで遠隔閉鎖した。


「なんなんだよ」


 ため息をつき視線を進行方向へと戻した瞬間――背後から刺すような視線を感じた。


 瞬間的に振り返るも、そこには誰の姿もない。


「あんな影を見たから、ビビってるだけだよな……」


 大きく息を吸い、進行方向へと視線を戻す。


 その時――首に絡みつく何かがあった。


 そこには何も存在しないはずなのに、生ぬるい何かがその首を強く絞め上げる。


 咄嗟にブレーキを踏み込むも、車は停止どころか加速していった。


「な、なんだよ、これ……」


 ハンドルから手を離し、首を絞める何かを両手でとり払おうと試みるが、それに触れることすら出来なかった。


 息が荒くなり、意識が朦朧としていく。


 このままどうなってしまうのだろうという恐怖で、鼓動が早くなった。



   【――ナイ】

              【――サナイ】




      【ユルサ――】




 頭の中でこだまする、聞きなれない声。


 それに返答するよりも先に、真っ黒な仏像が突として目の前に現れた。そして三日月を横にしたような双眸が、こちらを見つめていることに気づく。


【――ユルサナイ】


 その言葉と共に真っ黒な仏像に飲み込まれ、全てが闇に包まれた。



 ***



『――続いてのニュースです。本日未明、‪○○県××市県道▲号線にある中央分離帯に、ワゴン車が追突する事故が発生しました』


『このワゴン車を運転していた会社員の男性は、搬送先の病院で死亡が確認――』


『司法解剖の結果、男性の体内からは大量のアルコールが検出されており――』


『――同所では二ヶ月前にも飲酒運転による交通事故が発生しており、○○県警は事故撲滅のため、飲酒運転の取り締まりをよりいっそう強化していくと発表しています。続いての――』




 あなたの街にも必ずいる。

 そう、暁の監視者が。



(了)

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暁の監視者 しらす丼 @sirasuDON20201220

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