第9話











 あれから場所を移し、二人は個人経営らしいこじんまりとした喫茶店に足を踏み入れていた。

 程よく冷えた店内にいる客と言えば幽心と鹿児島の二人だけで、あとはカウンターの向こうに座る店主とその孫らしき小さな女の子が一人。店主は注文の品を出した後、こちらに興味はないとばかりに競馬新聞を広げており、カウンターに座る女の子も、暇そうに足をプラプラさせながらテーブルにペッタリと顔を付けている。


「あのアパートで起きたあれこれだよ! 夢じゃない……んだよな」


「まぁ、夢ではないですよ。あれを現実と言っていいのかもわかりませんけど」


 出会った時と変わらない淡々とした幽心の口調に、鹿児島の中で多少の苛立ちと戸惑いが混ざりつつも、それを逃すようにして深くため息を吐く。


「下見に行った時にはあんな化け物、一切見えなかった。確かに息が詰まるような薄気味悪さはあったさ。でもそんなん他の廃墟となんも変わらねぇくらいだったはずなのに」


「それは単に新平さんが気づかなかっただけですよ。その時も、彼はあそこに居て新平さんたちが害をなす存在か精査していたはずです」


「下見だけだったから許されてた? 」


 恐る恐るといった鹿児島の問いに、幽心は一瞬思案した様子を見せると小さく頷く。


「おそらくは。断定はできませんけどね。古い呪術に彼自身の強い情念なんかが絡まり合ってアパートが健在だった頃よりも霊障は酷くなっていたでしょうし、建物全体が一種の霊場のような状態になっていましたから、何が起きても不思議ではなかったんですよ」


「何が起きても……」


「例えば敷地に入った瞬間に呪い殺されるとか、生きたまま呪術に取り込まれるとか」


「はぁ?! 」


「でもそうはならなかった。無理やり開かれた霊道から湧き出る存在が多くて随分と気配が入り混じってましたからね。ただ入っただけではそちら気配の方が強くて新平さんの気配が認識されなかったのかもしれません。まぁ、無差別に攻撃されるなんてことが無かっただけでも幸いでしたねぇ。下手したら敷地に入った瞬間に呪い殺された、なんてことになってたかもしれませんし? 」


 そのなんともあっけらかんとした物言いに、鹿児島は次の言葉を詰まらせながら脱力する。

 先ほどまでの体験が非現実すぎて、今回の件をどう報告書にまとめればいいのかもわからないというのに、目の前で微笑む男は相も変わらずメロンソーダの上のアイスに夢中である。


「と、とりあえず、命拾いしたってことだけはわかった……」


 今回の仕事を安請け合いした過去の自分を𠮟りつけたい気分になっている鹿児島であったが、ふと疑問に思っていたことを思い出すと、甘ったるい飲み物に口を付ける幽心に再度問いかける。


「そういやぁ、あんた吊るされた男に変なこと言ってたな」


「あぁ、『行かなければならないところがあるのでしょう? 』っていう言葉のことでしょうか」


「そう、それ。どういう意味だよ」


 鹿児島が目を眇めつつ無作法に幽心に向けて指を向けるが、当の幽心は気にした様子もなく言葉を続ける。


「彼がどうして自分の命を絶ったのか、その理由が負債による絶望以外にあるとしたら? 」


「まぁ、色々ありそうだよな。経営不振に莫大な借金、一家離散……」


 幽心が五郎に渡されていた資料には、亡くなったオーナーに関して名前と簡単な家族構成、友人関係などのプロフィールと、事業に失敗したことなどが数行書かれていた程度だ。

 そんな彼のプロフィールは、【管理部屋で自殺】という言葉で締めくくられている。

 それだけの事柄であってもある程度の想像はつく。

 しかし、幽心にはどこか確信めいたものがあるようで、おもむろに懐から取り出した小さなメモ帳に目を通しながら口を開いた。


「そうですね、あとは、身内の裏切り。それも一番信じていた相手と愛していた相手からの裏切りが、彼の心を死なせたとしたら? 」








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