河村病院跡 第7話

 地下に降りてから優馬は、大和を追いかけることはせずに、右手にあった鍵の掛かっていない扉の中に入っていった。慌てて僕も優馬を追いかけた。中に入ると、まだ電気が生きているのか、大きな水槽のようなものが薄緑色に照らされていた。水槽の中には空気がぶくぶくと送り込まれていて、何やら大きな物体が浮いているが……。間近でそれを見た途端、僕は今までに感じたことのないくらい強烈な吐き気に襲われた。たまたま近くに流し台のようなものがあったから、そこに吐けるものを吐いた。

 

「優馬……それって……」

 

「ああ、そうだよ。これは人の右腕だよ」

 

 優馬は涼しい顔でそう言った。まるで、自分のもののように。

 

「優馬。離れよう。ここ変だよ」

 

 僕の言葉は優馬に伝わることはなく、珍しい魚でも泳いでいるのかと思うくらい、口を開け真剣に右腕を見つめていた。

 水槽は全部で6つ。

 そううちの1つ右端にある水槽に右腕が入っていて、残りの5つは、右から、左腕、右足、左足、胴体、頭部が入っていた。

 一瞬のつもりだったが、頭部を見たその瞬間に、また僕は吐き気に襲われた。

 夜中だと言うこともあり、胃の中には2回も吐けるほどの食べ物は詰まっていなくて、胃液だけを吐き出していた。

 喉が焼けるように痛い。今は水が欲しい。

 水を飲もうにも、ペットボトルの水は車の中に置いて来てしまってない。ここの水道が生きているとしても、何十年も前の水道なんて、何が含まれているか分からないから、安易には飲めない。優馬を置いていくこともできないから、喉の痛みとはしばらく付き合うことになりそうだ。

 

「優馬、行こうよ。帰ろうよ」

 

 優馬は周りが見えていなかった。まるで自分だけが世界にいるかのように、水槽に入った体を見ていた。そして、見るだけでは足りず、水槽の蓋を開いて、右腕を水槽中から取り出していた。そんな優馬を見て、僕は、怖くなって一人階段を駆け上がっていた。それも大声を出しながらだ。

 1階に上がった時に、僕は目を覚ませたように優馬を置いて来てしまったことを後悔した。でも、この階段を、一人でもう一度降りることはできなかった。仕方なく、大和を叫んで呼んでいたけど、相変わらず反応はなかった。

 優馬を助けに行きたい気持ちと、右腕を取り出していた優馬が怖くて、どうしようもできなくて、しばらく立ち往生していた。

 階段を駆け上がってから、時間は経っているから、そろそろ呼吸が落ち着いてもいい頃なのに、息は一向に整わなかった。それどころか、心臓の鼓動はさらに早まり、呼吸も荒れて、脈拍さえも感じ取れそうなくらい早く波打っていた。

 

「優馬!」

 

 真っ暗な階段に叫んでみたものの、何も反応はなかった。

 怖い気持ちを押し殺して優馬を助けに行くべきか、それとも、大和をまずは探しにいくべきか、あるいは、警察に連絡してみるか。どうするのが最善手になるのか、今の僕には考えられなかった。

 そんな僕がとりあえず取った行動は、大和を探しながら出口を目指して、車の中に乗せてある水を摂り、一旦心身ともに落ち着かせることだ。

 何かをするのにはそれから考えよう。今この場は、圏外だけど、外に出てみれば意外と電波が通じているのかもしれない。警察を呼ばなければならないかもしれないから、一旦は外に出よう。優馬には悪いけど、少し我慢してもらおう。

 止めていた足を、ゆっくりと動かし、外に向かう廊下を歩いていた。その間も、反応はないとは思うけど、大和を呼び続けた。

 ガラスや髪、植木鉢の土やダンボール箱、何に使っていたのか用途不明なプラスチック容器、そんな瓦礫の山を歩いて外に出ると、草むらの中で大の字になって横になっている、人と思しきものが現れた。それは大和だった。

 

「おい、大和! 大丈夫か?」

 

 僕がそう声をかけながら、体を揺らしていると、大和は欠伸をしながら体を起こした。

 

「あれ? 渉? 何しているの?」

 

 寝ぼけているのかふざけているのか、大和は今何が起きているのか理解できていないようにポカンとしていた。

 

「それはこっちのセリフだ! 大和こそこんなところで何しているんだよ!」

 

 本当に今の状況が理解できていないのか、身体は起こしているのに、目は閉ざしていた。

 

「眠いから寝ていただけだよ……」

 

「寝ていたって……ここ草むらだよ!」

 

「うん……眠かったから……」

 

 こんな大和が役に立つわけがない。もう僕に残された道は、警察に連絡することだけだ。

 右手に持っていたスマホを開いてみると、そこにはまだ圏外の文字が表示されていた。

 

「なんで圏外なんだ!」

 

 一人苛立っても仕方ないと思い、大和を肩にかけ、車に戻った。

 とりあえずは電波の通じるとこまで。そこまで山を降りたら警察に連絡して、優馬を助けてもらう。それ以降のことは今は考えられない。

 僕は車を走らせた。スマホを片手に持ちながら。

 行き道ではどこまで電波が通じているのか、調べることはしていなかったから、只管山を下った。下っても下っても、電波が通じるている場所はなかった。

 結局、街の手前まで降りてきて、そこで初めて電波が通じた。

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