一章 東の国③

 まだ朝も早かったが、起こしてくれる人はいないから何時に起きようと自由だ。

 普段ならばもう少し横になっていてもいい時間だが、夢見のせいのうつさに身を起こす。安材でしつらえている寝台のためか、体重が偏るたびに音が鳴る。ひどくうるさいが慣れてしまったので、壊れなければいい程度の認識だった。

 今朝も寒い。肩をなで、冷たくなったつまさきを指で何度もんであたためた。

 なべには昨晩炊いたいもがゆが残っているがみそがない。買い足したいが市が開くにはまだ早く、悩んだ末に火をけ、あたためた粥をかき込んだ。

 陽が昇ると汚れ物のほうおけをかかえ外に出て、いつもの風景を見渡す。

 このあたりは単純な土壁仕立ての四角い家ばかりだ。どこもかしこも薄汚れ、身なりもおざなりな者が多い。裕福とうたわれる霞国でも貧しい者達が集う、いわゆる貧民街と呼ばれる区域になる。危険な印象を持たれがちだが、朝の時間帯は大して危険ではない。その証拠に水場では近隣の主婦達が洗濯を始めており、大口を開けて笑い合っている。

 暁蕾も洗い物をすべく輪に加わると、話しかけてくるのは顔なじみのおばさんだ。

「おはようしやおやん。今朝は冷えたけど、よく眠れたかい?」

「それが寒くて目が覚めちゃったよ」

「だよねぇ。うちの人も寒いって起き出してきちゃって困ったよ。いままでこんな冷えることなんてなかったのに、どうしちゃったんだろうねえ」

「これ以上冷えたら困るかも」

「困るどころの騒ぎじゃないよ。夜具の店なんて最近は品切れ状態で、綿も高くて手に入りやしない。このまま冷えていくんなら、いまある厚物を重ねても足りないよ」

「君主さまが道士にとうさせてるんじゃなかったっけ」

「そんなことやってもうどのくらい経つね。役立たずに銭を出し続けるくらいなら、あたし達に分けて欲しいくらいだよ」

 ここ六十日ほどだろうか、霞国にあるまじき寒さの到来で皆が困り果てている。貧しい者の危機感はなおさらで、外を歩けばピリピリした空気が漂っていた。

 おばさんはねたみを含んだため息を吐く。

「あんたはいいよね。寒くなっても君主様から綿の入ったはかまをもらえるんだし」

「死にそうになってたらもらえるかもしれないね」

「まったくうらやましいよ。奴隷なのに他の連中と違って自由にできてる。ろくに働かなくてもいいうえに特別扱いされてるんだから……」

 そうだね、と慣れた様子で聞き流した。

 特別扱いを感謝したことなど一度もないが、定期的な配給も、銭も、それどころか狭く汚らしい家でも暁蕾に下賜しているのは霞国の君主・そうてつだ。

 たとえ彼女をに落とした相手でも、恩恵にあやかる以上は敬うふりは続けねばならない。間違ってでも文句を言えばたちまち疎まれてしまう。

 それが一族郎党、皆殺しにされた生き残りが選択できる唯一の道だ。

 こんな風に言われるのも慣れているので、適当に同意してうなずいた。

「なにか分けられるものがあったらおすそけするね」

 暁蕾が損をするばかりでも、これを言わなければおばさんは機嫌を損ね、周囲に悪口を言いふらす。代わりに余った食事をもらうからおあいこだ、と自らに言いきかせる暁蕾は、もうすぐ十六にして、世間の世知辛さを学んでいる。

 洗い物を終え帰る途中も気分は優れない。夢見が悪かったせいだと嘆息すると、楽しげに笑い合いっている少年少女とすれ違った。

 真っ先にからかってきたのはくすの息子のあんせいだ。

「お、しやおやんじゃん。お前また朝っぱらから洗濯か。毎度毎度ババくせえな」

 言い返しはしない。昔っから暁蕾のやることなすことに突っかかっては来るが、他の子のように物を投げたりしないし、なにより彼の父親は良い人だ。ひとりぐらしの暁蕾を心配して炭や食料を分けてくれる。息子とけんしたと聞いたら悲しむから、口をつぐんでいると、安世の友人達がすれ違いざまに「トン」だの「不細工」だの陰口を叩く。

 黙って彼らをやり過ごせば、通りすがりの老人に話しかけられた。

「小羊、今日の夜にでも、うちの婆さんの足をさすってくれんかね。冷えて痛いとうるさいんだ」

「わかった。忙しくないと思うから、なにもなかったら夜に行かせてもらうね」

「代わりといっちゃなんだが、芋の余りがあるからね。用意して待ってるよ」

 頼みには笑顔で頷いたが、考えていたのは朝夕の冷え込みの厳しさだ。

 気候の変化を憂うのは皆と同じだった。綿の掛け物をもらえるあてはあっても、できれば頼りきりにならず、自前で整えたいのが本音だ。

 しかし彼女には仕事に就けない事情がある。現状、人手が足りないところに声をかけ、小遣い程度の駄賃をもらうばかりがせいぜいだ。

 考えながら歩いていたから、家の前に人が立っているのに気付くのが遅れた。

 官服姿の役人など間違っても貧民街にいる御仁ではなく、すぐさまひざをつくが、相手はとっくに機嫌を損ねていた。

「遅かったな」

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