ALSと言われて外国の航空会社みたいだと思った

仲瀬 充

ALSと言われて外国の航空会社みたいだと思った

我が家ではお金は命に代えられない。

「延命のための手術は結構です」

医者にそう告げながら僕は傍らの父と母の安堵を見逃さなかった。

祖父が残した借金のせいで両親が共働きしていてもかつかつの生活なのだ。

貧乏に嫌気がさした妹の朋子は高校を卒業すると福岡の美容院に住み込みで働きに出た。

僕の病気が発覚したのはそのすぐ後だった。

手に力が入らずペットボトルの蓋を開けられなくなったのが最初の兆候だった。

その後段差のないところでもつまずくようになり歩くこと自体が難しくなった。

・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

病院で検査結果の説明を受けて大学に回った後、道端の手すりにつかまりながら休み休み坂の階段を上って家にたどり着いた。

バッグは父が持ってくれている。

母が玄関の鍵穴に鍵を差し込みながら振り向いた。

「良治、大丈夫?」

「うん」

うっすら汗が浮いた額を手の甲でぬぐった。

もうこの坂を自分の足で上ることはないだろう。

どうしても下らねばならない時は車椅子か担架の世話になるだろう。

「坂のまち長崎」、風情ありげに響くが住むには難儀する町だ。

車の通れない狭い路地が山腹の住宅地を縦横に縫っている。

・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

レンタルの電動ベッドが届いた。

さっそく横たわっていろんな角度を試してみる。

幅も思ったより広い。

何だかVIPな気分だが父と母の表情は硬い。

両親にとっては僕の介護のスタートなのだ。

父の仕事や母のパートにも影響が及ぶだろう。

あれこれ迷惑をかけると思えば気がえる。


両親と一緒に病院に行ったのは1週間前だった。

医者の口から「ALS」という言葉が出た時は外国の航空会社みたいだと思った。

けれども詳しい説明を聞くとそんな暢気のんきな話ではなかった。

医者はおよそ次のようなことを告げた。

・ALSは「筋萎縮性側索硬化症きんいしゅくせいそくさくこうかしょう」という難病で体の全ての筋肉が動かなくなる。

・発症するのは中高年層に多く若者は少ない。

・進行性の病気なので徐々に病状が悪化する。

・有効な治療法はないが延命治療は可能。

・死に至るまでの期間は個人差があるが2~5年が多い。

続いて末期の延命処置の気管切開と胃ろうの手術に話が及んだ。

父と母の表情はいっそう険しくなった。

父が手術の費用を尋ねたりしている間、僕は妹のことを思い出していた。


二つ違いの妹の朋子が小学4年生の時のことだった。

僕が校門を出ると少し前を妹と何人かの友だちが連れだって下校していた。

妹たちは駄菓子屋の店先で立ち止まった。

気づかれたくなくて僕も足を止めた。

妹は駄菓子を選ぶ友だちに何か言葉を投げかけてその場を離れた。

そしてまっすぐ家に帰り着き玄関の鍵を開けた。

父と母は僕らの帰宅時刻には仕事から戻っていない。

僕も自分の鍵で家に入ると妹は仏壇の前に座っていた。

僕に気づくと両手を後ろに回して怯えたような挑むような視線を投げかけてきた。

乾いて線香の匂いも染みこんでいたであろうお供え物の饅頭を妹は頬ばっていた。


医者との面談の結果、入院せずに投薬による自宅療養で経過を見ることにした。

面談の結果と言うより僕からの一方的な申し入れみたいなものだった。

命はお金に代えられない、そんな思いを親に抱かせたくなかった。

いくらお金をかけようが助かる見込みのない命なのだから。

病院から帰宅する途中で大学に寄って退学届を提出した。

「一身上の都合により」と書く時「一身上の不都合」なのではないかと一瞬手が止まった。


◇◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


上記の手記は自宅療養開始までの覚え書きだ。

1年と4か月ぶりにパソコンを開いて読んでみた。

大学に退学届を出してからは日々がベッドの上で虚しく過ぎていった。

安静とリハビリを繰り返しても体調は少しずつそして確実に悪化していった。

こうしてキーボードを打つのも初心者よりたどたどしくなった。

あらゆる筋肉が衰えていくのに意識は鈍磨どんませず覚醒している。

なんとありがたく、なんと残酷なことだろう。

ところで今回パソコンを開いたのは嬉しいことを記録するためだ。

二十歳になったばかりの朋子が同じ職場の男性と結婚した。

福岡での式に出席できなかった僕のために妹は旦那さんを連れて先日見舞いに来てくれた。

「わざわざありがとう。次は父さんと母さんにはよう孫の顔ば見せてくれんね」

うまく回らない口でそう言って力の入らない手で妹の手を握った。

「うんうん」と頷きながら妹は目に涙を浮かべた。

我が家の初孫誕生の知らせは墓の中でなくこのベッドの上で聞きたいものだ。

僕にかかる費用のせいで父はお金の工面に苦慮している。

お金のことは別として母のことも気にかかる。

自分が産んだ子が先立つのをどんな思いで見送るのだろう。

折々にそんなことを考えてしまうだけに妹の出産が待ち望まれる。

孫がいれば僕がいなくなっても気が紛れるだろうから。

久しぶりのパソコン操作で腕の疲れと痛みがひどい。

続きは明日。


今日はあの人のことを書いてみよう。

あの人……どこの誰なのか知らないのだけれど。

ベッド上で顔を左に向けると我が家の細長い庭が見える。

その庭のフェンスと平行に隣家が並んで建っている。

ベッドから見えるのは2軒だけなのだがその2軒の家の間から向こうの道が見える。

左から右、あるいは右から左へ歩く人の姿がほんの2、3秒見える。

たとえば日曜日に若い両親が子供の手を引いて行き過ぎる。

近くの公園にでも行くのだろうか。

隣家間のこの狭い隙間はカメラのシャッターみたいだ。

チラリと見えたその光景は僕の脳裏に1枚の写真として焼き付く。

その写真にタイトルを付けるとすれば「幸福」。

高校生たちが談笑しながら通り過ぎることもある。

タイトルは「青春」、あるいは「羨望せんぼう」。


この隙間を「あの人」も通る。

初めて見かけたのは妹が結婚するひと月ほど前の夕方のことだった。

OLふうの若い女性で紺色のスーツを着ていた。

僕の脳裏に彼女の写真がたまっていった。

それほどまでに彼女が気になるのは毎日うつむいて通るからだ。

平日の夕方のほぼ同じ時刻なので勤め帰りなのだろう。

仕事で疲れたのか、深刻な悩みがあるのか。

人間関係の悩みなら職場だろうかプライベートだろうか。

服装は紺かグレーのスーツ姿しか見たことがない。

2着を着回しているのなら経済的な問題を抱えているのかもしれない。

たとえば親が病気がちとか我が家と同じように金銭的に余裕がないとか。

そんな実家の窮状を彼女が支えているのではないか。

想像が暗い方へばかり傾くのでこうも考えてみた。

帰宅して作る夕食のメニューを心弾ませながら思案しているのではないか。

しかしそれはないようだった。

僕は朝の出勤時間帯をねらって何度か早起きしてみた。

彼女はやはりうつむいて夕方とは逆の方向に歩いて行った。


彼女が顔を上げて歩けるようになるには何が必要なのだろう。

悩みの相談相手? 金銭的な援助?

僕はスマホのズーム機能を使って隣家の隙間を通る彼女を撮影した。

筋力のない手はスマホを構えるのもやっとで指も震えてしまう。

ピンぼけ気味の画像だが毎日見ながら彼女の未来にさちあれと祈ることにしよう。

僕にできるのはせいぜいそれくらいのことだ。

スマホに収めた彼女の画像にふさわしいタイトルは何だろう。

「薄幸」? 「憐憫れんびん」? それとも……「片恋かたこい


◇◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


日付けを確認すると前回の入力は半年ちょっと前だ。

パソコンを開く体力、気力ともにもう限界だ。

口をきくのはおろか呼吸するのも辛く苦しい。

発症してそろそろ2年、どうやらギブアップが近いようだ。

生き急ぐつもりはないのに発症も余命も最短コース?

これまでの手記を読み返してみた。

気恥ずかしい部分もあるし親に読まれたくないところも多い。

指が動くうちに削除しなければ。

父と母あての遺言だけを書き残して終わりにしよう。

・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

父さん、母さんへ

父さんと母さんがこれを読む時は僕はもうこの世にはいないでしょう。

勝手ながら死後のお願いその他をいくつか書いておきます。

・葬式はお坊さんに来てもらうような一般的な形でなく家族だけの直葬でいいです。

・死亡通知を新聞のお悔やみ欄に載せる必要はありません。

・毎年年賀状をくれる友達にだけ年賀欠礼状(喪中はがき)を出して下さい。

・誰かにお金を借りたり貸したりなどは一切ありません。

・四十九日や1周忌なども墓参りだけでいいです。

以上よろしくお願いします。


そろそろ菜の花の季節です。

菜の花と言えば子供のころ連れて行ってもらった諫早いさはや白木峰しらきみね

父さん母さんと手をつないで一面の菜の花畑を歩きましたね。

朋子と一緒にモンシロチョウを追いかけたりもして。

ここ数日思い浮かぶのは幼いころの思い出ばかりです。

働くようになったら少しは親孝行をと思っていたのですがもう叶いません。

ごめんなさい さよならです


◇◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「母さん、良治のパソコンの書き置き、覚えとる?」

「覚えとるよ」

「あのとおりにしたばってんが葬式や法事は適当でよかて書いたとはおいたちに負担ば掛けんためやったとじゃなかろか」

「なんでそげんこと言うと?」

うちが貧乏じゃなかったらほんとは手術もして長う生きたかったとじゃなかろかて思うてさ。寝付いて2年で死んでしもうて無念やったろうだい」

「どうやろか。あの子は子供の時からめんどくさがり屋でその分諦めはよかったけん、喉や胃に穴ば開けてまで生きようちゃ思うとらんやったて思うばい」


「そんならよかけど、も一つこれも気になる」

「それは解約した良治の携帯やろ?」

「待ち受け画面のっか女の人は良治の彼女かなんかやろか」

「見せて。ああ、この人は良治ばてもろうた病院の理事長のお孫さんやろ。理事長の秘書ばしとるげな」

「母さん知っとっとか?」

「ゴミ集積所で時々うて話すとよ。ほら、1年くらい前3丁目に院長先生の広か家の建ったろ? あそこの娘さんさ」

「そら知らんやった」

「良治はあげんよか所の娘さんと知り合いやったとやろか。もう1回よう見せて」

「ほら。ピンぼけで写りの悪かもんね」

「下向いとるけんやっぱりあの娘さんばい」

「ん?」

「こっちに引っ越してきたころはずっとうつむいて歩きよったとよ。交通事故でむち打ちになったとげな。ギブスが外れたばっかりで首ば真っすぐ立てれば痛むて言いよった」

「今度顔合わせたら良治となんか関係のあったか聞いてみんね」


「あっ! お父さん、大事なことば忘れとった! 朋子から電話のあって子供ができたとて!」

「そうか」

「なんね、気の抜けた返事ね。嬉しゅうなかと?」

「嬉しかさ、ただ良治が生きとればて思うてさ。よ子供のできればよかとにて良治も楽しみにしとったけんね。そろそろめしにしようか」

「今日は買い物に行かんやったとよ、明日がイオンの火曜市かよういちやけん。あるものでよかね?」

「何でもよか」

「玉子のあるけんオムレツかオムライスば作ろか?」

「めんどかろ、スクランブルでよかよ」

「そいじゃ作るけんお父さんはタッパーのひやご飯ば二つチンして」


「母さん、さっきの初孫の話ばってんさ」

「うん」

「どっちね?」

「何が?」

「男の子か女の子か良治にも報告してやろうで」

なんば言いよっとね、妊娠が分かったばっかりたい」

「あ、そうやったそうやった」

「もうできるけん冷蔵庫の漬物と麦茶ば出して」

「出した、ご飯も茶碗に移した。なあ母さん、」

「ありがとう、何?」

「今度の土曜か日曜、墓参りに行かんや?」

「土曜はパートの入っとるしお盆でよかとじゃない? お盆て言えばお父さん、精霊船しょうろうぶねはどうすると?」

「初盆やけん出さんばさ」

「お金のかかるばい?」

「よかよか、何とかするけん。良治もきつか思いばしたとやけん極楽に送ってやろうで」

「そうね。朋子たち夫婦と4人で担ぐならふとかとじゃなくてもよかもんね」

「うん。どら、めしぶうか」

「玉子は醤油ば入れ過ぎて味の濃いかかもしれんよ」

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