第16話新たな領域…?

「亮平が言おうとしていたことって…脱力のこと?」


本日も慶秋とアトリエの作業室に籠もって作業をしていた。

僕は慶秋の唐突な答えを耳にして驚いていた。

だがしかし…

ここで驚くのは慶秋に対して失礼ではないか。

そんな事を思って僕は頭を振る。


「流石の一言だね」


僕の言葉を受けて慶秋は嬉しそうな表情を浮かべて軽くガッツポーズを取った。


「亮平の見ている景色に少しでも近づけただろうか?」


「僕はそんな大した存在じゃないですよ」


「本当に謙虚だな。天才の謙遜は時に凡人に絶望を与えるよ?」


「いやいや。僕は天才なんかじゃないよ。

たまたま運が良くて人に恵まれてきただけだから」


「そうは言うが…僕が亮平と出会った時…

君は既に天才だっただろ?」


「そうじゃないと思うけどね…」


僕らはそこで少しだけ気まずい雰囲気に包まれていたが一つの作業を共にしているということもありすぐに元通りの雰囲気に戻る。


「ここはどうしようか?」


慶秋の質問を受けて僕は少しだけ頭を悩ませるとアドバイスではないが提案のような言葉を口にする。


「あぁー。そうか…思いつかなかった…」


慶秋は少しだけ悔しそうな表情を浮かべていたがすぐに切り替えて作業に移る。


「いつもどの様にしてアイディアが浮かんでくるんだ?」


慶秋の質問に僕はどの様に答えたら良いのかわからずにうーんと唸っていた。


「記憶を失ったり…自分じゃない自分になったり…

そんな経験があるから本当に大事な事とか存在を再確認したんだと思う。


そこから僕の作品のテーマはずっと変わっていない。

ずっと家族について描くようになった。


今回は慶秋との合同制作だから全く違うテーマで描いているけど。

これも良い息抜きになっているし…。


とにかく…

やるべきことをする時間とやらなくても良いことをする時間を同じぐらいにしているんだ。


一日は二十四時間だから…

仕事の時間を八時間ぐらい設けて…

食事や睡眠などの時間を大体八時間。

残りの時間はやらなくてもいいことで埋めているんだ。


そこで手にする何かしらの経験が僕の糧になっていたと思うよ。

独身の時…学生の時もこんな感じで過ごしていたのを覚えているよ。


それが結果的に僕のためになっていたんだと思う。

だからぼぉーっとしている時間でもアイディアが溢れるんだ。


参考にならなかったかもしれない…

でも僕はそんな感じだったよ」


僕の長くとりとめのない話に慶秋は感心するようにウンウンと頷いていた。


「何事も経験で…何事も糧になると…参考になったよ」


慶秋はそれに納得したようで再び作業に移っていた。

僕らは本日数時間の作業を終わらせてまた翌日に向かうのであった。



慶秋が帰宅すると僕は片付けを済ませてリビングへと向かう。


「だめだよ。亮平くんはまだ謙遜癖が治っていないね」


「え…?」


「お手洗いに向かう途中に少しだけ話しを聞いてしまったけど…


亮平くんは自分の立場を忘れてはだめだよ。

今では世界的画家なんだからもっと堂々としていないと。

そうじゃないと立場が下の人達は惨めな思いをするようになる。


慶秋さんをそういう存在じゃないって思っているんだろうけど…

でも…今では明らかに目に見える差があるでしょ?

それを見て見ぬふりは誰にも出来ない。


慶秋さんが人生の先輩なのは確かだけど。

でもプロとしては亮平くんのほうが立場が上なんだからね。


それは理解していないと。

じゃないとあんな言葉を言われたら立ち直れないよ。

慶秋さんの気持ちもしっかりと考えてあげて。

もうそういう立場なんだからさ」


真名からのアドバイスを受けて僕はしっかりと受け止めようとして…

けれど何処か納得できないような思いも抱いていた。

何故ならば慶秋は僕が入学したときは芸大の顔だった。

そんな先輩を見下すようなことは出来ない。

僕のほうが優れているだなんて一切思えないのだ。

いつかきっと慶秋も僕と同じ様な立場になる。

それを確信しているから…

僕は真名からのありがたい言葉でも受け入れがたかった。

しかしながら分かったようなふりをして納得していなくとも頷くのであった。



帰宅した僕は本日もかなりの疲労を感じながら自室に向かう。

ベッドに軽く横になったところで糸と咲がやってくる。


「おかえり。大丈夫?」


「ただいま。亮平はやっぱり凄いや…」


「どう凄かったの?」


「とにかくアイディアの量が普通じゃない。

どれだけのストックを抱えているんだろうか…

頭の回転もすこぶる早くて…

芸大時代に感じていた天才感を大幅に超えている。

天才というか…もう手が付けられない…

そんな存在だと思う。

しかも自分自身がそれに気付いてない。

あれは本物だよ…」


「それを目の当たりにしてショックを受けてきたの?」


「そうなるね…」


「じゃあ慶秋も大丈夫だよ。いつか同じ高みまで上れるよ」


「どうして…?」


「普通は天才と相対したら絶望なんかしない。

凄いって称賛するだけ。

何故ならば自分はそこに一生たどり着けないって諦めているから。

でも慶秋はショックを受けている。

自分もいつかそこに辿り着きたいって諦めていない証拠。

大丈夫よ。私は信じているから」


咲は笑顔で慰めにも似た言葉を口にしていた。

息子の糸も何故か無邪気な笑顔を僕に向けてこちらに駆け寄ってきていた。


「そうだね。まだまだ進化途中だよね」


「そうそう。気楽にいきましょう」


それに頷くと僕らは本日も公園に行き三人の時間を共に過ごすのであった。



亮平が言っていた通りにやらなくても良いことを積極的に行い…

慶秋はまた一つ進化の種を得ていたのであった。



慶秋に偉そうな事を言っておきながら…

僕は少しだけ行き詰まりを感じている気がしていた。

技術的な面よりも今の僕の課題は精神的な面だと思われた。


「瞑想が良いみたいだよ」


少しだけ悩んだような表情を浮かべる僕に真名は何でもないように自然とアドバイスをする。


「そうなの?ちょっと取り入れてみようと思う」


「うん。初めは十五分ぐらいを目安にしたら良いと思うよ」


「分かった。作業室で…」


「いやいや。皆でやりましょう。きっといい効果を生むと思うわ」


「うん。じゃあ皆で。不破さんも良かったらどうぞ」


不破雪菜はキッチンからリビングにやってきて…

僕らは円になってあぐらをかいていた。

そのまま静かな瞑想は始まって…



僕は無音の宇宙空間にいるような錯覚を得ていた。

気の所為だろうか…

もしくは眠ってしまったのか…

そんなノイズが脳内の思考に浮かんでしまった瞬間…

宇宙空間は霧散してしまう。

そこから数分後にアラームが鳴って僕らの瞑想は終了する。


「何か掴めそう?」


「うん。何か…新たな頂きが見えそうな気がする…」


「そう?瞑想を続けてみたら?」


「うん。アドバイスありがとうね。時間があったら付き合ってよ」


「当然よ。いつでも言ってね」


「ありがとう」


そうして僕は真名のお陰で新たな頂の景色…

宇宙空間のような孤独な領域に手を掛けていたのであった。

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