第5話野田家の話も

不破雪菜の功績により僕と真名の負担は明らかに減ってきていた。

真名はゆっくりと睡眠時間を確保できていたし不健康とは程遠い生活を送っている。

僕は僕で作業室に籠もって次回個展へと向けて作品を作り続けていた。

今回も家族についての作品を中心に…

脱力しながら筆を動かし続けるのであった。



昼を過ぎた辺りで不破雪菜は僕の作業部屋のドアをノックした。

返事をすると彼女は中へと入ってくる。


「お疲れ様です。食事の時間ですよ」


「あぁ。そうだね。良い時間だ」


「リビングで真名様も待っていらっしゃいます」


「すぐに向かう」


筆を置いて作業着の汚れを布で軽く拭く。

出来かけの作品を一度俯瞰で眺めて何度と無く頷いた。

間違いないだろう。

と自分の作品に納得するとそのままリビングへと向けて歩き出した。


「昼食とは思えないほど豪勢な食事ですね」


リビングのテーブルに並べられている食事を目にした僕は見た通りの感想を口にした。


「本当ね。雪菜さんが来てからというものの食事の幅が広がったよね」


「そうだね。でも僕は真名さんの料理がそろそろ恋しくなってきたよ」


「はいはい。そのうちね」


真名は僕に優しく微笑みかけて不破雪菜は苦笑のような暖かな微笑みを浮かべていた。


「それじゃあ早速頂きます」


皆揃って挨拶をすると早速食事に取り掛かるのであった。



食事を終えると僕らはシンクへと洗い物を運んだ。


「後は任せてください。私がやりますから」


「いやいや。少しの運動だと思って片付けだけはやらせてよ。

あまり動いていないと…

産後の体重がやばくなりそうだし…」


「ですか…私は出産を経験したことがないので…

無理がない程度にだったら動いていいんですね?」


「大丈夫よ。片付けぐらいの運動なら」


「そうですか。では何かありましたらすぐに声を掛けてください」


真名はそれに頷くと食器洗いへと向かった。

僕はどうすれば…

などと思っていると真名は僕に微笑んで声を掛ける。


「作業に向かって。私は大丈夫だから」


「本当に?平気?」


「問題ないわよ。私は私のためを思って動いているだけだから」


「そっか…じゃあお言葉に甘えて」


そうして僕は再び作業室に籠もるとキャンバスへと向き合うのであった。



キャンバスに向き合うこと数時間が経過していた。

ただただ力を抜いて筆を動かしている。

頭の中のアイディアが消えない。

様々なイメージが脳内に浮かんでは…

それをキャンバスにぶつけていくだけ。

何故か現在は深く考えること無くとも良い作品が描ける。

本物の全能感に包まれながら筆を動かし続ける。



不破雪菜が同居するようになって作品がいくつも完成していた。

次の個展も成功間違いない。

そんな事を思っていた。


だが一度ここで僕らの物語を脇に置くことになる。

何故ならば姉である咲が出産をした話をしなければならないからだ。


ではそちらへ。






母親に手伝ってもらいながら私は実家で過ごしている。


「このままお母さんと同居したいな」


私の甘えるような言葉に母親は苦笑のような表情を浮かべていた。


「慶秋くんが嫌がるんじゃない?」


母親は自虐のような言葉を口にして首を左右に振っていた。


「慶秋くんが嫌がる?ありえないよ。お母さんのこと尊敬しているし」


「私のこと?なんで?」


「私や亮平を一人で立派に育てたからじゃない?

慶秋くんは私や亮平のことも尊敬しているから。

その母親を尊敬していても変じゃないでしょ?」」


「そう。それは嬉しいわね」


「だからさ。実家を建て直して一緒に暮らそうよ」


「はいはい。考えておくわね」


「本当に?ちゃんと考えてよ?」


「あんたも自分ひとりの意見じゃなくて慶秋くんにちゃんと相談しなさい」


「分かっているよ」


リビングのソファに寝転びながら私は母親の言葉を受け取っていた。


慶秋は現在。

自宅である作業室で作業に追われている。


どうやら国内で個展を開けるようになったらしく根を詰めて励んでいるようだ。

しかしながら無理をしているわけではない。

子供が産まれると言うことで少しの緊張感はあるはずなのだが。

ただ子どものために全力で稼いでいる。

そういうことだ。


私は実家の母親の下で完全に甘えきっていた。

初めての妊娠で不安になることも多かったが母親のお陰で私は順調に出産への道程を歩いているのであった。




「やばい。きたかも…」


リビングのソファでお腹を押さえる私に母親はすぐに用意していた荷物を持って私を車へと案内した。


「すぐに行くよ」


母親の心強い言葉を耳にしながら私は助手席へと乗り込んだ。

助手席では母親が私に何やら声を掛け続けてくれていたのだが…

私はあまりの激痛に言葉が耳に入ってきても脳内に刻まれない。

どんどん冷や汗の様なものが流れてきて呼吸が浅くなってくる。


何と言ったか…

そうだ。

ラマーズ法…

呼吸に意識をしなければ…


私は病院へと向かう道中で意識を保つのに必死だった。

酸欠になって意識が飛ぶのは絶対に避けなければならない。

お腹の子の為に私は母親として懸命に頑張らないとならないのだ。


やっと病院について…

私はすぐに分娩室に運ばれて…




数時間の格闘の末…

私は第一子を出産したのであった。



慶秋がすぐに病室を訪れると第一子である息子を目にして涙を流している。

緊張の糸が切れたのか…

慶秋は我が子を抱くと男泣きとでも言うように声を殺しながら溢れんばかりの涙を流していた。


「咲ちゃん…ありがとうね。

本当にお疲れ様。


それに産まれてきてくれて…

本当にありがとう…」


慶秋の涙を流す姿を見て私は確信していた。

この人を選んで本当に良かったと。

私の選択に間違いは無かったのだと。


「もう…泣いてばかりいないで…」


思わず私までもらい泣きをしてしまう。

個室の病室で私達は明らかに深い絆に結ばれたことだろう。


「名前は?考えた?」


お互いに涙を流しながら私は慶秋に尋ねる。

慶秋は半紙を鞄から取り出すと私に見せる。


いと?良いわね。でも何で?」


「恥ずかしんだけど…

僕らはまるで運命の赤い糸で結ばれている様な出会いだったし…

確実にそんな相手だと確信しているから…

だから息子にも僕ら家族を離さずに繋いでくれる糸の様な存在であって欲しい。

そんな願いを込めてだよ…」


「恥ずかしくなんて無いわよ。素敵な名前」


「そっか…それなら良かったよ」


「うん。しばらく入院して実家に戻るからね。

慶秋くんは作業を頑張って。

それと今話しておきたいことがあって…

実家で母親と同居したいと思っているの。

慶秋くんの意見も知りたいから。

ちゃんとしっかりと考えておいてくれる?

今すぐに返事をしなくていいから」


「わかった。ちゃんと考えておくよ」


そうして慶秋は病室を出てマンションへと帰っていったことだろう。


私と糸はしばらく入院して…

しばらくすると退院するのであった。


そして…

慶秋はマンションを手放さずに実家で母親と同居することを許諾してくれる。

私達は実家を立て直すことを決定する。

マンションは慶州の第二作業部屋などなど。

沢山の用途で使用されることが決まった。

慶秋の稼ぎで彼はマンションの一室を購入。

実家の建て替え費用もほぼ全額出してくれるのであった。



ここから私達野田家の幸福に満ちた物語が始まろうとしている。

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