第5話第八章へ!

記憶を失って精神が乖離して…

どれだけの時が経過しただろうか。

僕らの非日常的な日常は暫くの間続いていた。


真名と僕は仲の良い関係を築けていたと思う。

しかしながら真名は僕を見るというよりも僕の心の中を覗いているような時がある。

それも当然なはずだ。

本物の僕に早く逢いたいはずなのだ。

それなのに借り物の僕がいつまでも表に出ているわけにはいかない。


きっとしばらく休んだお陰で心の中の本物の僕の疲労も取れてきたことだろう。

最近は脳内で会話をするようなこともない。

心の中でしっかりと休んでいる証拠だろう。


そしてそろそろ目覚めるはず。

僕は何故かそんな直感を感じているのであった。



真名と静がお昼寝をしている時のことだった。


僕は家事を行っている。

スマホの中に入っている音楽をシャッフルで再生していた。

耳にはワイヤレスのイヤホンをして僕は家事を恙無く行っている。


曲が切り替わって僕の手は自然と止まる。

何処の誰の曲かもわからない壮大な音楽が流れてきてプレイリストに目を向ける。


「四条マリサ 芸大生最後の作品」


その様なタイトルがついているのだが…

僕は相手の事を思い出せない。

しかしながら何処か懐かしく心が震えてくる。


家事を一時中断して作業室へと足を向けた。

壮大な音楽を耳にしながら今まで自らが描いてきた作品を一つ一つ眺めて…


僕の意識は不意に刈り取られるようにして完全に失われていくのであった。




「待たせたな。本当に助かった」


「遅い。真名さんを心配させるとは…」


「悪かったって…」


「それは真名さんに直接言って」


「分かっている。それにしても目覚めるトリガーが作品への渇望とはね…」


「四条マリサって誰?」


「芸大時代の先輩」


「へぇ。大事な人だったの?」


「そういうわけじゃないけど。普通に友人的な先輩」


「その人の曲を聴いて心が震えたんだけど?」


「あぁ。僕が大金を払って購入した曲だからな。思い入れがあるんだろ」


「そういうものなの?」


「それはそうだろ。大金払った物を大切にしない人は居ないだろ」


「それもそうだな。とにかく早く戻ってくれ。真名さんが待っている」


「今意識を統合している」


「僕は消えない?」


「あぁ。お前も僕だからな。一緒になるだけだよ」


「そっか。それは良かったよ。でももう僕が出るような事が無いようにな?」


「当然だ。僕だって真名さんとずっと一緒に居たい」


「そうだね。じゃあ心の中で覗いているよ」


「あぁ。安心して心の中に居てくれ」


「じゃあ。また」


「あぁ。いつか。また」


そうして僕が作り上げた借り物の僕と本物の僕の意識は統合されて…

やがて静かに目を覚ますのであった。




目覚めたのは病室では無い。

いつもの見慣れた作業室だった。

いつの日か描いた作品を手にしながらうつ伏せで倒れている状態。


酷く疲労を感じていた脳も今ではクリアで異常も感じない。

身体に異常もなく僕はやっとここへ戻ってきたのだと理解する。


作業室を出てリビングに顔を出すが真名の姿はない。

キッチンを覗いても彼女はいない。

残るは寝室だけだった。

僕は静かに寝室のドアを開けて…。

そこには愛おしい真名と息子の静がお昼寝をしているところだった。

静かにドアを閉めるとキッチンへと戻る。


先ほど少しだけ確認した時に気付いたのだが…。

僕はイヤホンで曲を聴きながら家事をしていた最中だったようだ。


ワイヤレスイヤホンを外して元の場所に戻す。

そこから僕は彼女らが目を覚ますまで家事をして過ごしているのであった。



「おはよう。少し寝過ぎた…」


十七時頃に二人は目を覚まして僕のいるリビングへと顔を出す。

真名と僕は視線が交差して…

僕が戻ったことを伝えようとして…


「やっと戻ってきた…心配したんだから」


真名は今にも泣き出しそうな表情で僕の下までやってきて静を抱くように差し出してくる。


「私と息子を置いて今後何処にも行かないで?」


「うん。ごめん」


正直に謝って初めて抱く息子の静の暖かな温もりを感じながら…

初めて父親になったことを実感する。


「やっと会えたな…おまたせ」


僕の言葉を静は理解しているのか優しく微笑む。

柔和で無邪気な笑顔が僕の心の奥に深く刺さり喜びのあまり涙が溢れそうだった。


「私には?何か無いの?」


真名は珍しく僕に不満げな表情を見せて甘えているようだった。

静をベビーベッドに寝かせると真名を強く抱きしめた。

そして一つキスをすると抱き合ったまま向き合った。


「本当に心配かけてごめん。長い事待たせたね」


「うん…待っていたよ」


「あぁ。もうこんなことは無いようにするから」


「本当に?お願いだよ?」


「わかった。しっかりと気をつける」


「何を?」


「休める時はちゃんと休むし…無理はしない」


「そうしてね?」


「うん。多田家にも報告に行かないと」


「そうね。野田家にもよ。お母様もきっと心配していたわよ」


「そうだね…」


そうして僕らは後日多田家と野田家に向かう。

記憶が戻り精神が統合されたことを報告すると多田の面々は驚くこともなく受け入れてくれる。


「よくあることにはしてほしくないが…

戻って来られたのであれば…

それで良い。

良く戻ってきた」


多田のお父様とお祖父様は僕にその様な言葉を口にして歓迎してくれる。

お母様とお祖母様には僕も真名も少しの叱責を受けた。


「二人でしっかりと協力しないさい。

どちらかに負担をかけるのは良くないわよ?

今後は気をつけて」


僕らはそれにしっかりと返事をして多田家を後にした。

野田家に顔を出すと母親と姉が出迎えてくれる。


「記憶が戻った?そう。

私は心配なんてしてなかったわよ。

それよりもお姉ちゃんが心配していたから。

安心させてあげて」


「ちょっと!お母さん!

私も心配してなかったから!」


「そんなに怒らなくてもいいでしょ?

お腹に響くわよ」


母親と姉のやり取りで姉が妊娠していることを僕らは知る。


「そう言えば慶秋は?」


「今日は打ち合わせで外に出ているよ」


「そっか。じゃあまた顔を出すね」


「分かったわ。もう無理するんじゃないわよ?」


「うん。心配かけたね」


「心配なんてしてないっての!」


姉のツンツンした態度をくすぐったく思いながら僕らは自宅であるアトリエへと帰宅する。



ここから本格的に僕と真名と静の三人の家族の話は始まろうとしていた。


記憶は元に戻り精神は統合されて…


僕ら家族の物語は始まろうとしていた。


早いですが第八章へ!

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