第3話秋の日常を送る。楽観視していた頃…

「そんなわけで多田家の人間の手を借りるのは断ったんだ」


真名は僕にその理由を細かく説明してくれた。

大まかに説明すると…。


「私のせいで亮平くんは倒れたようなものなの。

それなのに私が多田に頼るのは違うと思う。

私が妊娠中、亮平くんは誰にも頼らなかった。

私と静の為に一人で何もかもをしてくれた。

だから私も甘えたくない。

一人で頑張りたい」


そう言って多田の協力を拒否したそうだ。


「それにね。

記憶を失った亮平くんも私の手伝いをするって言って聞かないと思うの。

だから大丈夫。

私が一人で何もかもをするってことは無いと思う。

また亮平くんは私と静の為に動いてくれると思うんだ。

記憶を失って精神乖離していようと…

亮平くんは私達の為に動いてくれると信じている。

暫くの間は休んでもらわないといけないから…

それをどうやって嗜めるか…

そっちのほうが気掛かりだよ…」


真名は両親と祖父母にその様な言葉を口にして笑顔を向けたらしい。

きっと多田の人間もそんな心強い真名を誇りに思ったことだろう。

僕も真名を誇りに思ったが…。

心の中の僕は、これを聞いて何を思って何を感じているだろうか。

借り物の姿で体を動かしている僕が思っていることと心の中にいる本物の僕が感じていることが完全一致しているかは定かではない。

それでも同じ様な事を考えて感じていると信じたい。

借り物の人格でも…

僕は僕自身だと信じたかった…。



「もう外は秋だね」


最近の僕は筆をどうしても動かしたい時以外は家事を協力したり静をあやしていたり。

はたまた庭の椅子に腰掛けてぼんやりと外の景色を眺めて過ごしていた。

真名も時間を見つけては僕と共に庭の椅子に腰掛けていた。

静のお昼寝の時間など二人になれる時間を確実に見つけては毎日僕の話し相手になってくれていた。


「そうだね。秋は少しだけ物悲しいな」


「どうして?気候も涼しくなってきて紅葉もきれいでしょ?」


「何ていうか…夏に比べて日が落ちるのが早くなるでしょ?

日中が短く感じて夕方がどうにもノスタルジックでセンチメンタルな気分になるんだ」


「ふふっ。芸術家って感じ」


「どうして?皆もこんなこと思うでしょ?」


「そうかもね。でもそれを明確な言葉に出来る人は少ないんじゃない?

感覚的になんとなく物悲しいと思うだけで」


「そんなこと無いと思うけど。誰だって何かしら感じて考えているんだから」


「そうだね。私もそうだし亮平くんもそうだね。産まれたばかりの静だってそう」


「借り物の僕も考えていると思う?」


「借り物って?」


「だって今の僕の人格は本物の僕じゃないでしょ?」


「そんなこと無いと思うけど。今の亮平くんだって亮平くんだと思うよ。

本物も偽物もないと思うな」


「そう…それなら良いんだけどね」


そこで僕らの会話は一度打ち止めとなり僕は真名が用意してくれたホットコーヒーのマグカップを口に運んでいた。

静かに一口飲むとホッと一息つく。

真名は僕のそんな姿を愛おしそうに眺めていた。

それが少しだけ不思議でくすぐったくて逃げるようにして視線を逸らした。


「もしも…もしも僕が元の僕に戻らなかったら…」


そんな不安の声がどうしようもなく口から漏れてしまう。

しかしながら僕のそんな不安を他所に真名は美しく微笑んで首を左右に振る。


「きっと絶対に戻って来る。それに戻らなくても亮平くんは亮平くんでしょ?

今も昔も何も変わってないよ」


「何も変わってないだなんて…そんなことは…」


「そんな事あるんだよ。ただ記憶を失う前よりも休む時間が多くなっただけ。

きっと今の人格は理解しているんだと思うな。

これ以上のオーバーワークは良くないって。

本能が完全に休むように警鐘を鳴らしているだと思うよ」


「そうなの?元の僕はそんなに働いていたの?」


「それはもう…凄かったよ。ほとんど休み無しで何もかもをやってくれていた。

私が妊娠中は特に張り詰めていたと思う。

雰囲気も少しだけピリピリしていたかも。

あんな亮平くんを見るのは初めてだった。

でも今は穏やかだね。

緊張の糸が切れて疲れ切った亮平くんは心の中で休んでいるんでしょ?

それでいいわよ。

いつかちゃんと戻ってきてほしいって思って…願っているから」


「そっか。じゃあ今は僕で我慢してね?」


「我慢って…亮平くんなのは変わりないわよ」


「そうだね…」


そうして静が昼寝から起きたらしく家の中から泣き声が聞こえてくる。

真名は急いで椅子から立ち上がると静の眠るベビーベッドまで急いだ。

僕も遅ればせながら静の下まで向かうと笑顔を向ける。

そこで少しだけ心がざわざわしていることに気付く。

心の中で僕が何かを言っているようだった。


「良いな。お前は…僕も早く息子に会いたい…」


「それならば出てくればいいじゃないか」


「それは…まだ無理だ。今戻ってもまたお前が出てくることになる」


「そんなに疲れているの?」


「身体は何とも無い。脳が疲れている」


「どうして?」


「考えることが多すぎた。それに深い集中を使いすぎた」


「ゾーンのこと?それで脳疲労?」


「あぁ。常人よりも長くゾーンに入り過ぎなんだと思う。

だから脳がオーバーヒートした。

普通の人間と同じ身体の構造なのに…

無理をしすぎたんだ…」


「普通の人間と同じ構造ではないと思うよ」


「どういうことだ?」


「医者が言うには脳の密度が異常に濃いみたい」


「それは…ゾーンを使いすぎた後遺症のようなものでは?」


「違うよ。別に何も病気は見つからなかったから」


「そうか…」


「そうだよ。心配になるようなことはなにもないよ。

でもまだ疲れているなら…

そこで休むと良いよ。

僕は真名さんと静と安らかに過ごすから」


「おい。お前だけずるいぞ」


「主人格はそっちなんだから。代わりたければ代わると良い」


「今はまだ無理なんだって…

とにかく僕が早く戻るためにも…

お前には完全に休養を取ってほしい。

その体は僕のものでもあるんだ。

しっかりと休んでくれ」


「そんなことは分かっているよ。

でも真名さんを想う気持ちはどちらの人格だって一緒だろ?

真名さんに苦労をかけたくない」


「分かっている。だから休める時はしっかり休むんだ。

僕の方から話しかけて悪いが…

これだって脳が疲れる原因なんだ。

もう会話は切るぞ。

しっかり休んでな」


そこで僕の主人格からの話は途切れる。

眼の前の愛おしい二人を眺めながら僕は薄く微笑むと主人格に言われた通りにソファに腰掛けた。

そこから急激な眠気がやってきてソファの上で眠りにつくのであった。



僕の主人格は心の中で声を出すことに成功したようだ。

本来の僕が元に戻るまでそう時間がかかることではない。

今の僕はそんな楽観視をしていたのであった。

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