第15話画家の夫を持つ彼女の不安
一旦の僕の目標と言うか夢のようなものは終りを迎えただろう。
海外美術館で個展を開き大成功を収める。
世界的画家としての立ち位置も手に入れて…。
何よりも真名と結婚をして子供まで授かっている。
これ以上にないほど順風満帆に人生を謳歌しているだろう。
高校生の頃にとんでもない不幸に苛まれた過去があるだなんて嘘みたいだ。
僕はこれ以上無いほどの幸福感に包まれながら日々の家事に追われているのであった。
「安定期に入ったんだから自分の作業に集中して良いよ?」
ある日の早朝のこと。
家事を行っていると真名は遅れて目を覚まして僕のことを心配そうな表情で眺めていた。
何故その様な表情を浮かべるのか。
僕には理解できないでいたのだが…。
「問題ないよ。作業の時間もしっかりと確保できているから」
「それでも…以前よりも作業に集中できていないでしょ?」
「そんなこと無いけど?
時間を決めたことによってもっと深くまで集中できるようになったから。
むしろ以前よりも格段にレベルが上がっていると思うけど?」
「そうなの?私の存在が足かせになっていない?」
「なんてこと言うの…?
真名さんの存在が僕にとって足かせになったことなんて一度もないよ?
今後もそう思う瞬間は一度もないから」
断定的にきっぱりと宣言すると真名は少しだけくすぐったそうに、けれど何処か気まずそうな表情を浮かべていた。
「どうしたの?信じられない?」
「うんん。そうじゃないけど…
私が居なくても亮平くんだったらきっと今と同じ様な活躍をしていたんだろうなって思って…」
「それはないね。まず高校生の頃に真名さんと出会わなければ僕はあの時点で潰れていたよ」
「そうなの?でもいつか這い上がったでしょ?」
「そうかもね。でも何十年掛かったか…
それを想像するだけでゾッとするよ。
真名さんのお陰で僕はすぐに立ち上がることが出来て前を向けたんだよ。
全部真名さんの御蔭だから」
「そうなの?」
「当然だよ。何度も言うようだけど僕は真名さんという存在のお陰で今も生きていられるんだから」
「それなら良かった…」
「なに?ナーバスになっている?」
「そうかも。ホルモンバランスの関係なのか…
少しだけ不安定な気分…」
「そっか。話は最後まで聞くよ?
満足いくまで話そう?
分かってもらえるまで話すよ。
それと不安定な時はゆっくりと休んでいて?
僕は何の苦労も感じていないから。
今まで真名さんにしてきてもらったことを考えたら…
これぐらいお安い御用だよ」
「うん。また不安になったら話を聞いてもらっても良い?」
「もちろんだよ。お互い親になる準備をしている期間だからね。
不安なのは当然だよ」
「当然なの?」
「そうだよ。だって親になるのは人生で初めてでしょ?
不安が募って当たり前だと思うな。
やったこと無いことをやる時はいつだって不安なものだよ。
どれが正解かもわからない。
むしろ正解なんて無い。
だから僕らは二人で悩んで試行錯誤をして子育てをしていくんだよ。
一人じゃないからね?
僕もしっかりと率先して協力する。
何でも悩みは打ち明けて欲しい」
「うん。なんだか安心したら眠くなってきたよ…」
「そう。じゃあ寝室でもう少し寝てきなよ。
僕は家事をしておくから」
「うん。任せるね。ありがとう」
「なんてこと無いよ」
そんな返事をすると真名は僕に美しい笑みを向けて寝室へと戻っていく。
僕は二人分の朝食を作りながら自分のコーヒーを淹れていた。
朝のゆったりとした時間の中で僕は真名を想って作品のことまでも考えていた。
いくつもの溢れるアイディアを溢さぬように脳内に留めておく。
朝の家事を完全に終えたのは九時過ぎだっただろう。
六時から目覚めており活動をしていた。
三時間ほどの家事を終えると僕は作業着に着替えた。
そのまま作業室に籠もると十二時までと時間を決めて深い集中に潜り込む。
脳内の溢れるアイディアをキャンバスにぶつけながら時が経過していくのであった。
十二時になって昼食の準備をしようと作業室を出ると真名はキッチンに立っていた。
「お疲れ様。お昼ぐらいは私が作るから」
真名は薄く微笑むと僕に申し訳無さそうに口を開く。
僕はその表情を確認して思わず苦笑した。
「なんで申し訳無さそうなの?
新しい生命を授かってくれたことは感謝でしか無いんだよ?
だから僕に負い目のようなものは感じないでほしいな」
「やっぱりそんな風に見える?」
「見えるよ。表情を見れば分かる」
「そっか…良くないな…」
「まぁまぁ。僕もお昼ご飯作るの手伝うよ。
出来ることは何事も一緒にやろう。
お互いが出来ないことはお互いがやれば良いんだし」
「うん。私も本当に亮平くんで良かったって思う。
自分の直感が正しかったって今でも思える」
「そう?人生はまだまだ長いよ?
そんなこと断定的に言って大丈夫?」
僕は最後の言葉を少しだけ戯けたような表情で口にする。
真名は本日始めて表情を崩していてリラックスできたようだった。
「じゃあお昼ご飯は何にしようか?」
「えっとね…」
そうして僕らは二人で協力しながら昼食を作り食していくのであった。
片付けを済ませると夕食の買い出しに夕食作りを行って…。
気付けば時計は十七時あたりを指している。
そこから僕は小一時間程度だが作業に戻っていく。
家事をしている間に浮かんでくるアイディアをキャンバスにぶつける。
そこから二人で夕食を食して…
いつものように二人きりの甘い時間は過ぎていく。
夜になると真名は朝よりも気持ちが安定していて僕はホッと一安心した。
一緒にお風呂に入り一緒のベッドで眠りにつく。
そんな僕らの日常が不意に変化することをまだ誰も知らないのである。
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