第9話スランプ脱却

「どうやら亮平の作品は妻のために描いた作品の方が実力を発揮できている。

世界に向けてや見知らぬ誰かの人生を変えてみよう等と高尚な考えを持てば持つほど…

私には良作止まりに思えてしまうのだ。


それは何故か…。

沢山のプロがここで行き詰まることが多いのだが…。

何を伝えたいか誰に届けたいか…。

その人数を絞れば絞るほど作品というのは輝くのだと思う。


私もそうだったし大抵のプロがその事に途中で気付く。

だから殆どの絵画は観る人を選ぶのだと思う。

全員にはわからない。

けれど観る人が観れば…

伝わる人には伝わるのだ。


万人には伝わらないから芸術なのだろう。

それを今のうちに理解しておいたほうが良い。

全ての人に伝われば良いなどとおこがましい考えは捨てることだ。


どうだ?

少しはこの御老体でも役に立てたかい?」



Jと名乗る海外の老男性の言葉が僕の脳内や心にすぅっと溶け込んでいく。

言われたことがすんなりと理解できて思わず安堵の表情を浮かべていた。

僕は自らの能力に限界を感じていたわけではないのだ。

伝えるべき人間を絞っていなかったのが原因なのだ。

それを絞れば…

感じていた壁をぶち壊すことが出来るはずだ。


「ありがとうございます。言われた通りに伝えたい人を絞ろうと思います」


「うむ。それが良いだろう。

やはり妻にだけ伝わる絵を描くのが良いのではないだろうか?」


「そうですね。それが一番馴染んでいるまでありますから」


「そうか。励んでな」


Jは僕に微笑んで手を振ると多田家のお祖父様に何やら耳打ちしていた。

彼はバックヤードへと向かい僕はお祖父様の下へと向かった。


「お祖父様。本日はありがとうございました。すぐに帰って作業をしたい気分です」


「そうか。それならば良かった。真名も心配していたからな。安心させて上げなさい」


「わかりました。では失礼します」


お祖父様に別れを告げると僕は急ぎ足で帰路に就くのであった。



帰宅するとキッチンで家事をしていた真名に声を掛ける。


「ただいま。多分だけどスランプから抜けられそう」


「ホント!?お祖父様がどうにかしてくれたの?」


「はい。お祖父様のご友人を紹介していただいて…」


「友人?」


「はい。海外の方でJと名乗っていました」


「あぁ〜…そっかそっか。じゃあアドバイス通りにしたらきっとスランプから抜け出せるね」


「そう思います。早速作業しますね」


「うん。夕飯作って待っているよ。一緒に食べようね?」


「はい。遅くなったらごめんなさい」


「大丈夫。気にしないで。頑張ってね」


「行ってきます」


会話を終えると僕は作業着に着替えて作業室に向かった。

そこから僕は描きかけの絵画に筆を走らせる。

自由気ままに真名だけに伝われば良いなどと傲慢にも思える考えを抱きながら…

夜の帳が降りる頃まで僕はノンストップで深い集中に潜って作業しているのであった。



翌日の早朝から僕は再び作業に向き合っていた。

感じていたスランプは何処かに吹き飛んでおり僕は思うがまま自由に筆を動かせていた。

何処までもいつまでも描いていられるような全能感に包まれながら…

真名のためだけを想って絵画の完成に向かう。

世界で唯一人の相手だけを想って…

僕は作品を完成させるまで作業に没頭するのであった。



作業が終了して僕は真名に作品を観せる。

真名はどうしようもない程に美しい笑顔を浮かべると想いが余ったのか僕を強く抱きしめた。


「本当に凄い…言葉にならないってこういう感情だと思う。

私の心の全てを理解して優しく包みこんでくれるような…

深い愛情を感じる。

これも多田に売らない?」


「う〜ん。今回はお祖父様のお陰でスランプを脱出できたから…

多田に贈りたいな」


「分かった。それでいいと思う。きっと多田の人間も喜ぶよ」


「そうだと嬉しい」


僕と真名はそこで見つめ合うと惹かれるようにしてキスをする。

二人で殻を破ったような達成感に包まれながら…

僕らは嬉しさを共有するようにキスをしたのであった。



後日。

僕は真名の運転で多田家を訪れていた。

絵画を持って多田のお祖父様にそれを渡しに向かっていた。


「おぉ。スランプを脱出したとな?」


「はい」


「観せてもらっても?」


そうして僕らは新作の絵画を観せる。

お祖父様は真名が感じたような感覚を覚えたのか薄く微笑む。


「今までにない程に良い絵画じゃの」


「はい。僕も満足です。これを多田家に贈りたいのですが…」


「贈りたい?売りたいではなくて?」


「はい。お祖父様のお陰でスランプを脱却できたので…」


「そうか。恩を感じてくれていると?」


「当然です」


「そうかそうか。それならばお言葉に甘えるかの」


「はい。どうぞ。受け取ってください」


「ありがとう。それでだな…」


お祖父様は絵画を受け取ると僕に向けて嬉しそうに口を開いた。


「Jの伝手で海外の美術館で個展を開かないかって話になっているんだよ」


「えっと…僕のですか?」


「そうだ。Jは亮平を気に入ったようだ」


「それは光栄です」


「それで?どうする?」


「開きたいです」


「分かった。ではその様に返事をしよう」


「ありがとうございます」


そこで深く頭を下げると多田の使用人がお祖父様に耳打ちをしているようだった。


「すまない。これから打ち合わせでな。これで失礼する」


「本日もありがとうございました」


そうして深く頭を下げると僕らは多田家を後にするのであった。



ここから多田亮平が世界に羽ばたくお話は始まろうとしていた。

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