第六章 プロの画家編

第1話二十歳の誕生日

三月十五日が訪れていた。

僕は皆よりも一足先に芸大を卒業扱いになっており自宅の作業部屋で筆を動かしていた。

本日、真名は仕事に向かったようだった。

社会は恋人の誕生日に仕事を休めるほど甘くはないのだろう。

それを理解した僕は本日一日中作業に集中するつもりだった。

朝目覚めて真名が作り置きしてくれた朝食を頂くと歯を磨いて顔を洗った。

寝癖を直して作業用の服に着替えると作業部屋に籠もる。

過去の作品群をスマホで確認しながら僕は四条マリサから購入した曲を聴いていた。

そのまま久しぶりに油絵の制作に入るようにして筆を執る。

そこから僕は深い集中に潜り込むと時を忘れるほどに作業に没頭するのであった。




尿意の限界を感じた僕はハッとして作業部屋を出る。

お手洗いに向かった僕はキッチンの方から聞こえてくる音に耳を澄ませていた。

包丁でまな板をリズムよく叩く様な音が聞こえてきていてそれに耳を澄ませる。


「ん?誰かいる?」


そんな呑気な感想を抱きながら僕は用を足していた。

お手洗いを済ませるとキッチンへと向かい件の人物を目にして僕の表情は綻ぶ。


「真名さん。仕事は?」


僕の表情を確認した真名は同じ様な表情を浮かべていた。


「ドッキリ仕掛けようと思ったんだけど…失敗しちゃった」


「同じ家に住んでいるんですから…バレるでしょ」


そんな言葉を口にして微笑んで見せると彼女は言い訳のような言葉を口にする。


「作業していたら深く集中するだろうな。って思って…目算誤った…」


「確かに深く集中していました。ただお手洗いに行きたくなって…」


「それもそうだよね。いやぁ…バレずに料理作りたかったんだけどね…」


「そんなに豪勢な料理を用意してくれるつもりなの?それと仕事は?」


「もちろん事前に有給取ってあるよ。今日は亮平くんの誕生日だからね」


「そうだったんだ。ありがとう。期待して待っているね」


「うん♡作業に集中して待っていて♡」


「ありがとう。もう少し頑張ってきます」


「はい♡頑張ってっ♡」


真名からのエールを背中に受けながら僕は再び作業部屋に戻る。

そのまま深く深い集中に潜り込むと作業に入っていくのであった。



夕方が過ぎた辺りで空腹感を感じた僕は筆を置いた。

本日の作業はここで終了にしてリビングに向かった。


「今日の作業は終わり?」


「うん。お腹空いて集中が解けて…」


「そっか。じゃあ夕飯にしよう」


「はい」


椅子に腰掛けた僕は伸びを一つしてふぅと息を吐いた。

真名は冷蔵庫を開けているようでガチャリという音が聞こえてきていた。

その後コップを二つ用意しているような音と炭酸のシュワシュワとする音が聞こえてくる。

なんだろうと後ろを振り返ると真名はビールをコップに注いでいた。


「二十歳になったでしょ。飲むの付き合ってよ」


「初めて飲むのですぐに酔ってしまうと思いますが…喜んで」


そんな言葉を交わし合うと僕は片方のコップを受け取る。

二人でコップをあわせるとそのまま乾杯をする。


「お誕生日おめでとう。乾杯」


「ありがとう。乾杯」


初めての飲酒は真名と二人きりの自宅でになった。

ビールの苦みが口いっぱいに広がってきてそれをどうにか飲み干す。


「どう?苦い?」


「ですね…コーヒーとも違う独特な苦みです」


「そのうち美味しいって言うようになるよ。

夏になったら飲みたいって言うようになると思うな。

でも作業を忘れて昼間から飲むような生活は送らないでね?」


「そうですね。ハマってしまうのは怖いですね」


「そうそう。だから飲む時は私と居る時にして?」


「どうしても飲みたくなるような出来事があった場合は?」


「その時は私を呼んで?」


「わかった…すぐに駆けつけてくれる?」


「当然でしょ」


そんな会話を繰り広げながら少しずつビールを飲んでいく。

真名は手作りの豪勢な食事をテーブルに運ぶと椅子に腰掛けた。


「早速食べよ?」


「はい。凄い料理ですね。手を付けるのが勿体ないくらいで…」


「じゃあ写真取っておこう?」


「そうします」


そうして僕はスマホで料理を写真に収めると満面の笑みを浮かべた。


「凄く美味しそう」


「でしょ?腕によりをかけたから」


「食べても良い?」


「その為に作ったからね」


「いただきます」


そうして僕は料理に箸を伸ばすと食事を開始する。

テーブルに配膳されている全ての料理に箸を伸ばして一つ一つ感想を口にしていった。

真名はそれを嬉しそうに聞いておりウンウンと微笑んで頷いていた。

そこから僕らはお酒を嗜みつつ食事を楽しむのであった。



片付けを済ませるとリビングのソファで腰掛けていた。

真名は不自然な動きで一度自室に戻ったようだった。

僕は酔っているようだが意識ははっきりとしていると思う。

少しだけぽぉーっとしているのは否めない。

しかしながら激しく酔っているようなことはない。


「亮平くん。誕生日プレゼント」


真名は僕に紙袋を手渡してきてそれを受け取る。


「ありがとう。なんだろう」


中身を確認した僕は柔和な表情で中の物を受け取る。

中に入っていたのは一通の手紙と今年製造されたワインだった。


「ワインは真名さんが飲みたいんでしょ?」


僕は表情を崩してその様な言葉を口にする。


「それもあるけど…私達に子供が出来て二十歳になった時にそれを一緒に飲みたいって思って…」


「良いね。凄くロマンチックで夢がある」


「喜んでくれた?」


「もちろん」


「手紙は?ここで読む?」


「そうだね…じゃあ失礼するね」


そうして僕は真名からの手紙の内容を目にする。



「亮平くんへ

二十歳のお誕生日おめでとう

私からのプレゼントでプレッシャーを感じていたらごめんね?

そんなものは感じなくていいから。

芸大の皆より一足先にプロの画家となった亮平くんだけど…

多田がいつまでもサポートするから心配しないでね?

出会って結構な年月が経過したけど…

相変わらず私は亮平くんを愛しているよ。

あまり長くなるのも粋じゃないのでこの辺で…。


追伸。

いつまでも魅力的な二人でいようね

                         真名より」


手紙を確認した僕は表情を崩して真名を抱きしめる。

僕らはそのまま寝室に向かうこととなり…。

誕生日ということで僕らはいつも以上に盛り上がる夜を過ごすのであった。



翌日。

二十歳を迎えて初めての日常がやってくる。

今までと何ら変わりない日常に悟ったように破顔すると本日も作業室に籠もるのであった。

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