第8話先んじて卒業

年始早々僕らは初詣に向かったのだが…

僕らは何を願ったのだろう。

お互いの幸福や健康だろうか。

二人の間に育まれるかもしれない新たな生命だろうか…。

しかしながら僕らは願ったことを決して口にはしなかった。

神様への願いは話してはいけない。

口にした途端、話す、離す、手放すということになるそうだ。

それなので僕らは願ったことを決して口にはせずに心の内に秘めておくのであった。




そして年始の日常が早々に過ぎていくと三学期はすぐにやってくる。

いつものように作業部屋に顔を出した僕に彼女らはそれぞれ反応を見せる。


「先輩!あけましておめでとうございます!」


白根桃の反応は概ねこの様な感じで人懐こい無邪気な笑顔を僕に向けてくる。


「あけましておめでとう。野田くん。なんだか久しぶりね。年末年始はゆっくり出来たの?」


葛之葉雫の反応は概ねこの様な感じで少しだけ疲れているような表情を浮かべていた。


「久しぶりだね。遅くなったけど…あけましておめでとう。今年もよろしくね」


香川初の反応は概ねこの様な感じで今から既にやる気のある表情を浮かべている。


「皆さんあけましておめでとうございます。私事ですが…クリスマスに入籍しまして…多田亮平になりました」


そう言うと僕は左薬指に輝く指輪を見せる。


「おめでとう!これで守る者も出来て今まで以上に頑張れるんじゃない?」


葛之葉雫は同じ境遇な為、これでもかと言うほどに喜んで見せる。

他の二人はというと…。

それぞれ何処か寂しそうな表情を浮かべていた。

その理由は半分分かっていて…

でも完全には理解できないでいた。


「おめでとう…学生結婚だなんて…思い切ったね…」


香川初は俯きながらその様な言葉を口にする。

白根桃は半分泣いているようにも見えた。


「この間のオークションで一億の売上が出たから…

その通り…思い切ったよ。

今年も去年以上に売り上げるつもりだから」


「そうなんだ…学校側からも背中を押されたようなものね…」


「どういうこと?」


「だって特別課題を設けたのは学校側でしょ?」


「そうだけど…買ってくれたのは支援者である義父だからね…」


「じゃあ義父が最終的に背中を押した感じなんだ…結婚を望まれていたのね…」


「そうだね。有り難いことに」


香川初とそこまで会話をすると白根桃は涙を拭ったのか改めて僕に視線を送る。


「本当におめでとうございます。先輩の作品に翳りが出ないのであれば…私は祝福します」


「そんなものは出ないに決まっているよ。むしろ今まで以上に実力がつくと思う」


「そうですか。ではそれを楽しみにしています」


「うん。ありがとうね」


白根桃とそこまで会話をすると葛之葉雫は僕に対して注意するような言葉を口にする。


「深瀬さんにはまだ言わないほうが良いわよ。卒業試験に向けて一生懸命に努力しているところだから。余計な心労は掛けないで」


「わかりました。では皆さんもそのつもりでお願いします」


その場に居た全員がそれに納得すると僕らは早速筆を動かす前のルーティンに入った。


「そう言えば…香川さんと白根さんはクラスの方に行かなくて良いの?」


僕の何気ない問いかけに彼女らは何でも無いような表情で口を開いた。


「二学期通して集団制作を行ったので三学期は自分が今まで触れてこなかった分野を勉強するように言われました。

でも本格的に手を出す必要はないらしくて…。

これってどんな勉強で…何の役に立つんでしょうね」


白根桃の言葉を耳にして僕は苦笑せざるを得ない。

これは間違いなく厳しいと評判の教授からの課題であることは間違いないからだ。

きっと僕が中庭でスプレーアートに励んでいる光景をヒントに課題を決めたのだろう。

それにしても教授も意地悪なことをする…。

僕には器用貧乏になるから普通の生徒には勧めない等と言っておきながら。

しっかりと課題に出しているではないか…。

ただし言っていた通り本格的な作業には移さずに勉強だけするように言うとは…。

教授も中々変わっている人だ。

そんな事を僕は密かに感じていた。


「私は丁度…先輩がイラストを描いているのでそれを参考に勉強中です」


白根桃はそう言うと僕のオリジナルキャラクターを観察しながら自らのノートに何かしらを記入していた。


「私も何か違うジャンルに触れないとって思っているんだけどね…休み明けで思考が上手く働かないのよ」


香川初はその様な言葉を口にして悩むような仕草を取っていた。


「じゃあ私の作業を参考にする?」


葛之葉雫は助け舟を出すようにして口を開いてその様な提案をした。


「え?葛之葉先輩は何か違うジャンルに手を出すんですか?」


「そうね。実はこの間ね…合同制作で行った作業にハマりつつあるのよ。写真もまだまだいっぱいあるし。もう一回やってみようと思うの」


「そうなんですね。じゃあ見学しても良いですか?」


「もちろん。時々意見を聞くと思うけど。それでも良い?」


「もちろんです。私で良ければ」


葛之葉雫と香川初はその様なやり取りを繰り広げると二人揃って作業を行うようだった。

僕は僕でイラスト制作に励んだりスプレーアートを本格的に勉強してみたり。

はたまた幾何学模様のデザインを描いてみたりと三学期は忙しくなりそうだった。

白根桃は僕が描いた作品を一つずつ確認しては、そこから何かを学ぶようにノートに書き記していく。

そんな三学期が過ぎていこうとしていたのであった。




そして三学期はあっという間に過ぎ去っていく。

特筆すべき出来事はこれと言って起こらずに…。

僕は自らに課した課題を一つずつクリアしていきイラストやスプレーアートや幾何学模様のデザインもマスターする。

出来ることが一つまた一つと増えていった。

葛之葉雫と香川初は二人で写真を組み合わせるアートを完成させて喜びに浸っていた。

白根桃はとにかく知識を詰め込んでいたことだろう。



そして…。

深瀬キキの卒業式はやってくる。

僕ら在校生は参加することは無かったのだが…。



卒業式当日。

僕らは深瀬キキを校門の外で待ち構えていた。

本日は三月九日。

卒業式日和で晴れやかな空模様が印象的だった。

卒業式を終えた深瀬キキは沢山の卒業生に囲まれて校門まで向かってくる。

そこには四条マリサの姿もあった。

僕らは深瀬キキに話しかけようか迷ってしまいそこで立ち尽くす。


「これから卒業生みんなで打ち上げなんだ。また別日でも良い?

それこそ野田が飲めるようになってからで」


深瀬キキは僕らに気付くとその様な言葉を口にして微笑んでいた。

僕は空気を壊さぬように多田という名字になったことを隠しながらそれに頷こうとしていた。


「もちろんです。と言いたいところですが。

先輩は卒業したらすぐにプロになるんでしょう?

浮かれた気分は今日までにして明日からしっかりと励んでください。

それこそ雑賀先輩のように活躍してくださいよ」


葛之葉雫は激励の言葉を口にして少しだけ突っぱねるような事を言った。


「分かっているわよ。じゃあみんなが卒業してから…また会いましょう。

私は一足先に高みへ向かっているわね。じゃあ…」


深瀬キキはそんな言葉だけを残して卒業生の輪の中に戻っていく。

その目には少しの涙が浮かんでいたことだろう。

隣に立ち尽くしている葛之葉雫の目にも涙が溜まっている。


「しっかりとした形で送ってあげればよかったじゃないですか」


呆れるように口を開いた僕に彼女は必死で首を左右に振る。


「これでいいの…わざわざお別れをするような会は開きたくない。

絶対にまた…私達は巡り合うんだから…」


葛之葉雫の力強い言葉に頷くと僕らはそれぞれの帰路に就くのであった。



帰宅した僕は少しの感傷に浸りながら真名に話をしていた。


「そうね。仲の良い先輩の卒業は淋しいものね。

もうあの先輩は学校には居ないんだって思って泣きそうになることもあるでしょう。

でも亮平くん達は同じ道に進む同士でしょ?

いつかまた会えるって決め込んで割り切らないと。

雑賀さんとも再会できたように。

またいずれ出会えるわよ。

亮平くんなら大丈夫。

何も心配いらないわ。

そんな事で悩むくらいなら個展のことで悩んでほしいわね」


真名は最後の言葉を戯けた表情を浮かべて言って聞かせてくる。


「個展って?何の話?」


「あれ?お父様とお祖父様から聞いてない?」


「聞いてない。何のこと?」


「えっと…亮平くんが今まで多田に売った作品を個展に展示するんだよ。

オークションの時に沢山の関係者が居たらしくて。

みんな亮平くんの描いた絵を観たいんだって。

もちろん入場料も頂くし。

パンフレットも販売するんだって。

多田が開催する個展だからね。

確実に黒字になるよ。

売上のいくらかは亮平くんにも入るんじゃない?

そこはわからないけど」


「まるで聞いてなかったな…」


そんな言葉を口にすると真名は申し訳無さそうな表情を浮かべる。


「多田が勝手しちゃった?」


「そんなことないけど。今知れて良かったよ。それに僕も以前不義理を働いたことがあるし。お相子と言うか…」


「そうね。それで多田を許してくれるのであれば…助かるわ」


「うん。もうすぐ三年生だけど…はっきり言って芸大で学ぶようなことはもう無いっぽいんだよね。大概のことはプロになってからでも学べるし…」


「そうなんだ。学生で居たくない?」


「そういうわけじゃないんだけどね。プロ一本で生活している方が集中できるのは確かだね」


「そっかそっか。じゃあ少し考えないとね」


「そうだね…学生じゃなくなれば真名さんと一緒に居られる時間も増えるわけだし…」


「それはそうね。でも学生の内じゃないと出来ないこともあるでしょ?

社会に出たら…プロになったら必要以上に責任が伴うと思うけど?

それに耐えられる?」


「もちろん。なんて容易く言えないね。学生の内に覚悟のような物を決めないとな…」


「そうそう。私からお祖父様に相談しておくよ」


「お祖父様に?」


「そう。お祖父様の息が掛かった人は芸大内にもいるからね。

ヒントはこれだけ…」


「え?まさか…」


「思い当たる人物が居た?」


「一人だけ…」


「そう。じゃあその人にしっかりと話しをしてみたら?」


「そうする」


僕は一人だけ謎めいた人物に心当たりがあり後日しっかりと話してみようと思うのであった。



新学年が始まる前に僕は芸大キャンパスに訪れていた。

中庭で件の人物が訪れることを確信していた僕はベンチに腰掛けている。

青い空を眺めて心地のいい空気を感じていると…。


「やっぱり来てくれたんですね。多田家から聞きましたか?」


僕はやっと彼の現れるタイミングを理解できるようになり今回は先んじて口を開く。


「ほほ。やっと分かるようになりましたか。

そう言えば…ご結婚おめでとうございます。

これで正式に多田家の一員ですね。

そうなりますと私も態度を改めねばなりません。

話とは…芸大で習うことが無くなったということでよろしいでしょうか?」


それに一つ頷いて見せると厳しいと評判の教授はウンウンと頷く。


「貴方様だけ特別扱いすることになります。

それは多田家の一員だからです。

本日よりキャンパスに赴かないでも出席扱いとします。

そして後二年が経過したら卒業扱いに致します。

これでよろしいですか?」


「そんな特別処置をしても良いんですか?」


「貴方様だからです。今後は自宅のアトリエにて作業に励んでください。

多田の皆様もそれをお望みです。

学生として遊ばせている暇は無いと仰っていましたよ」


「そうですか。では二年後に卒業証書を取りに来ます」


「いえいえ。郵送させて頂きます」


「良いんですか?」


「もちろんです。今後の活躍も楽しみにしています。

一足先に卒業おめでとうございます。

と言わせてください」


「何から何まで…本当にありがとうございます」


「いえ。では」


そうして僕は厳しいと評判の教授と別れると皆よりも先に卒業扱いとなるのであった。


これから先…

僕は一人でプロとして活動をすることになる。

本来なら白根桃や香川初や葛之葉雫と共に学生生活を満喫するはずだったのだが…

僕は皆よりも先に前へ進み続けるのであった。



次回より…

第六章プロの画家編突入。

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