第16話覚醒の衝撃に備えて…

夏休みに入ってどれぐらいの時間が経過したことだろうか。

作業に集中する日々。

キャンパス内の中庭や至る所の教室から生徒の笑い声や話し声が聞こえてきていた。


「そうだ。芸大祭で今まで描いた絵をオークション形式で売る予定だから。

ここで課題クリア出来てしまったら…

残りの時間に余裕が持てるでしょ?

好きなことが出来るのは素晴らしいことじゃない?

三人とも課題クリアしたら…

合同制作とかどう?」


深瀬キキは思い出したかのように口を開いて僕らは驚きとともに頷いて応える。


「なんでそんな大切なこと…もっと早く言わないんですか…」


葛之葉雫は呆れたような表情を浮かべてスマホを操作しているようだった。


「芸大祭って…もう一週間後じゃないですか…場所は押さえられているんですか?」


「うん。問題ないよ。昨年度に作った個展の使用許可は取ってあるから」


「なんで使用許可は取れるのに…私達に報告するのは遅れるんですか…」


「まぁ良いじゃない。一週間前には言ったんだから」


葛之葉雫は深瀬キキに呆れるような視線を送り最終的に僕に目を向けた。


「じゃあ今までの作品を個展に搬入しますか」


僕の意見を耳にした彼女らはそれに同意するように頷く。

因みにだが香川初と白根桃はSグループとして新たな課題を設けられているようで現在は作業室にいない。

夏休みの数週間を共にしたが彼女らは自らの課題に向き合わざるを得ないようだ。

Sグループでの集団制作を新たに設けられたのだろう。

クラスの催し物にも参加できずに自らの研鑽に励むのだろう。

去年の僕らと同じ様な待遇として。

僕らは僕らで今年は芸大祭に参加することになる。

個展で行われるオークションという形で…。



僕らはそれぞれが個展に絵画を搬入させると一週間後の芸大祭の準備を整える。

個展にて流す音楽について僕らは悩んでいた。


「既存の音楽じゃダメなんですか?」


葛之葉雫は僕と深瀬キキに視線を送ると戸惑ったような表情を浮かべていた。


「ダメじゃないけど…音楽科の特別課題が何か知っている?」


「知らないです」


「私はたまたま耳にしたんだけど…油絵科と同じ様な特別課題を設けられているそうよ。だから…元Sグループの音楽科生徒に発注しない?」


「僕もそんな事を考えていたところです。既存の曲では味気ないですし…

折角なら作ってもらいたいと思います」


「でも…後一週間しか無いけど?大丈夫なんですか?」


葛之葉雫の疑問は最もで芸大祭までの期間は既に一週間しか残っていない。

だが深瀬キキには考えがあるようでニヤリと微笑むと僕らについてこいとでも言うよなジェスチャーを取る。

意味が分からなかった僕と葛之葉雫だったが顔を見合わせると後をついていくことを決めるのであった。



音楽科は棟が別の場所にあるため僕らは建物を移動する。

油絵科の生徒がいることに音楽科の生徒たちは違和感を覚えているのか視線を送ってくる。

しかしながら物珍しい光景を目にして不思議に思っているだけで悪意のようなものはまるで感じない。

深瀬キキは小さな作業室の扉をノックすると返事を待っていた。


「はーい。私に用があるのはどちら様〜…」


ドアが解き放たれると中からスラッとした体型の美女が顔を出す。

美女は深瀬キキに目を向けると嬉しそうに微笑んだ。


「あら。キキじゃない。どうしたの?

こんなところに何の用?」


「マリサ。お目当ての相手を連れてきたわよ。

一度話したかったんでしょ?」


深瀬キキはニヤついた表情を浮かべると僕の事を親指で指す。

マリサと呼ばれた美女は視線を誘導されて僕へと視線を寄越す。


「一体誰のことを言っているのよ…って野田亮平!

なんでここにいるんですか!?」


「えっと…油絵科二年の野田亮平です。

理由もわからずに深瀬先輩に連れられてここに来たんです。

それであなたは?」


「っっはいっ!音楽科四年の四条マリサって言います!

元Sグループだったんですけど…

私なんて野田くんは知らないと思いますけど…

トーテムポールの時の民族的音楽も個展での現代音楽も…

音楽科の監督と指揮を取っていたんですよ…


私も多くの学生と同じ様に野田くんに興味がありまして…

ずっとキキに提案していたんです。

一度じっくりと話しがしたいって言っていたんです…


今からお時間よろしいですか?」


四条マリサの早口で捲し立てる様なマシンガントークに僕は少しだけたじろいでしまう。


「ちょっと待って。勝手に話を進めないこと。

私は条件付きで野田を紹介してあげると言っているの。

分かる?」


深瀬キキは勝手に話を進める四条マリサを手で制する。

彼女は彼女で僕に断りもなく勝手に話を進めているのだが…

そこには目を瞑るとして。


「わかったわ。条件って?」


「うん。芸大祭で私達は個展を使用してオークションを行うの。

そこで流す音楽がほしい。

特別課題様に作った曲がいくつかあるでしょ?

それを一つ譲って欲しいの。

どう?」


「譲る…仕方ないから…

野田くんと二人きりで話をさせてくれるなら…

私が心血注いで作曲したものを無償で譲るわ…」


「良かった。じゃあ交渉成立ね。

オークション会場でかかっているような音楽を一つ。お願いね。

じゃあ野田。後は頼むね。

悪いけど今回は人柱になってもらうわよ」


深瀬キキは最後の言葉を戯けたような表情で口にして葛之葉雫を連れて音楽科の棟から出ていこうとしていた。


「後でデータを送るから。ありがとうね」


四条マリサは深瀬キキの背中に声を掛けて彼女は後ろを振り返ることもなく手を持ち上げる。

残された僕は少しの居心地の悪さを感じながらその場に立っていた。


「入ってください。色々と話を聞かせてほしいです」


「はい。僕に答えられることなら」


そんな言葉を口にして小さな作業部屋に入っていくと四条マリサは椅子を用意してくれる。


「どうぞ。自由に腰掛けてください」


「どうも。ありがとうございます」


お互いが対面するように椅子に腰掛けるとテーブルを挟んで会話は始まろうとしていた。


「いつも思っていたんですけど…どうやってアイディアを捻り出しているんですか?」


四条マリサは、さてとでも言うようにテーブルに肘を置くと顎の辺りを擦っていた。

先輩である四条マリサは僕を敬うような言葉遣いで接してくる。

それに少しだけくすぐったい様な気持ちを抱いていると彼女は苦笑する。


「ごめんなさい。私は尊敬できる相手にはいつも敬語なんです。

歳下とか関係ないんです。

分かってください」


「わかりました。僕も敬語を使いますがご容赦ください」


「はい。わかりました。

それで先程の質問に答えてもらっても?」


「あぁ…アイディアですか。

集団制作の時はどうだったでしょう。

普段とは違う脳を働かせていたと思います。


う〜ん。

何と言えば良いのでしょうか。

全員がどうすれば平等に活躍できるかを烏滸がましくもイメージしていたかもしれません。

大げさな話しではなく…

二度の機会で僕は、まぐれ当たりをたまたま引けただけと言っても過言じゃないんです。

アイディアとして受け入れてくれた監督をはじめとした皆さんのお陰で…

僕の功績のようになっていますが…


決してそんな事は無いです。

僕のありきたりなアイディアに全ての科の人間が全力で取り組んだお陰で上手くいったんです。

何も僕だけの手柄じゃないんですよ。

少なくとも僕はそう思っています」


控えめな意見を口にする僕に四条マリサは納得するようにウンウンと頷いていた。

その後、何かを思考するように彼女は首を傾げたり視線を部屋中に彷徨わせたりしていた。


「じゃあ音楽についてはどう思います?

主観的な意見でいいのでお聞かせください」


「音楽ですか。

酷く広い範囲の質問ですね。


良く音楽には言葉の壁がないとか人類唯一の共通言語として扱われていると思います。

でも全ての人類が全ての国独自の音楽性を理解できるかと言えば否だと思うんですね。


けれど音楽は救いだとは思います。

記憶の至る所、数々の場面で音楽は記憶や感情と密接に結びついていると思っています。

僕にとっては音楽は救いだと思っています。

喜怒哀楽や全ての複雑な感情を音楽は引き出してくれる。

特に僕は悲しい時、苦しい時に音楽に救われたと思っています。

全ての人が救われたことがあるだなんて言い切れませんが…

それでも多くの人に寄り添って救いを与えてくれるのが音楽だと。

僕はそう思っています」


僕の長くも短くもない答えに四条マリサはウンウンと頷くと深く頭を下げた。


「ありがとうございます。音楽に携わる一学生として感謝致します。

私も野田くんの芸術に対する答えや想いを聞けて嬉しい気分です。

では最後に…。

野田くんにとって絵画とは?芸術とは?」


とてつもない広範囲な質問がやってきて僕は深く思考した。

僕にとっての絵画や芸術とは何を示しているのだろうか。

ありきたりな言葉がいくつも浮かんできては消えていく。

最終的な答えに行き着くのに僕はどれほどの時間を要しただろうか。

室内の時計の針を見て僕は思わず苦笑する。

ほんの数秒しか経っていないことに気付いた僕は自分自身を疑うように破顔した。


「そうですね。

様々な答えが浮かんでは消えました。

僕にとって絵は勇気や希望や祈りなんて答えだったら…

いくらか格好が付いたでしょう。

しかしながら僕にとって絵画や芸術は…

きっと日常なんだと思います。

それぐらい大切な事で僕の身体や細胞の一部に染み付いている…

そんな当たり前な日常なんだと思います」


堂々と答えにたどり着いた僕は事実としてそんな言葉を口にする。

四条マリサはウンウンと頷いて共感するように微笑んだ。


「良かったです。同感とまでは言えなくても…

同じ様な価値観で居てくれてありがとうございます。

引き止めてしまって申し訳ありません。

またいつかお話しが出来たらと思います。

本日はありがとうございました。

後でキキのスマホにデータを送っておきますね」


「はい。

僕こそありがとうございました。

インタビューを受けているようで…

自らの核心に触れたような気分です。

これでまた一つ僕はレベルアップできると思います。

ありがとうございました」


「えぇ。じゃあまた。

今日は本当にありがとうございました」


そこで挨拶を済ませると僕は音楽科の棟を抜けて油絵科のある作業室へと向かう。

作業室に戻った僕は人柱にされたことに対して恨み言の一つも言わずに完成された人物画を深瀬キキに手渡した。


「葛之葉先輩にも譲ったので…深瀬先輩も良かったら…どうぞ」


完成された人物画を観た深瀬キキは大げさな表情を浮かべてそれを眺めていた。


「野田。嬉しいけど…自分の課題はしっかりと進んでいるの?」


「もちろんです。三作品はオークションに出せます。

それで百万の売上が出ると思います。

全員が課題をクリアしたら…

合同制作に入りましょう。

一週間後のオークションで僕らの実力を外部の人間にも示しましょう。

…って深瀬先輩は既に有名でしょうが…」


「野田のやる気は伝わったわ。

私も沢山の人を個展オークションに呼べるように努めるわ。

出来るだけ価値をわかってくれる人間に売りたいわね。

それにしても素敵な絵画をありがとう。

自宅の見えるところに飾るわね。

本当にありがとう」


そこで葛之葉雫も同じ様な表情で頷くと僕らの合同制作の予定は薄ぼんやりとだが形となる。


本日の四条マリサとの出来事により僕は自分自身の芸術に対する認識を改めるとともに覚醒に向かいつつあるのであった。

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