第15話旅行最終日に悪夢からの復活。真名のお陰でプラスに捉えられるようになる

旅行最終日の早朝。

やけに暑さを感じていた僕は目覚めるとシャワーを浴びに向かう。

寝苦しい夜に悪夢でうなされていた。



「私を求めて…

亮平を高みに連れて行くのは私という存在なのよ。

過去や私を否定しないで…

悪感情こそが創作の糧になるって分かっているでしょ?

私を拒絶しないで…

今のような幸せなぬるま湯に浸かっていたら…

腕が落ちるわよ。

高みに駆け上がるには毒も喰らわないと…

上質な生活だけを送っている人間に全ての人を感動させられる作品なんて作れないでしょ?

私を求めて…

待っているから…」



夢で観た紅くるみの誘惑の言葉が脳内に蔓延っており僕は頭を振る。

熱いシャワーを全身に浴びて悪夢の内容を消し去ろうとしていた。

ぶんぶんと脳を揺らして強引にでも記憶を消せないものかと…

そんな無茶な行動に出ていた。

冷水で体を冷やしたり熱いお湯で身体を温めていたりをどれぐらい続けていただろうか。


「どうしたの!?」


シャワールームの扉が勢いよく開かれて寝起き姿の真名は僕を心配そうに覗いていた。

僕は誤魔化すように照れくさそうに微笑んで見せるが真名は真剣な表情そのものだった。


「良いから早く出て。話を聞かせて」


真名は僕の手を強引に引くとバスタオルで全身を拭いてくれる。


「自分で出来るよ…」


そんな言葉を口にしても真名は首を左右に振って本気な表情で応える。


「今のうちに話を纏めておいて。もしも心の準備が必要な事であれば…

今のうちに整えておいて」


真名の言葉に頷いて応えると僕は彼女に対してどの様にして話を言って聞かせれば良いのか迷っていた。

自分の情けない部分を赤裸々に話すのは気が引ける。

しかしながら本気で心配してくれている恋人に対して嘘は吐きたくない。

それに何度も言うようだが僕にはやましい気持ちなど無いのだ。

それを自分自身が理解したので話す内容を決めたのであった。



リビングルームに戻った僕らはソファに腰掛けて話を始める。

真名はコーヒーを用意してくれてテーブルの上に置いた。


「また悪夢を見たんだ…」


僕の言葉に真名はウンウンと頷いていた。

先の言葉を待っているようで自ら口を開こうとはしない。

無理矢理にでも聞き出そうとは思っていないようだった。

僕も覚悟を決めて口を開く。



「元カノが出てきて…

画家として成功するには私が必要とか…

僕が思ってもいないことを言ってくるんだ。

僕がいけないんだと思う。

彼女の裸婦画なんてものを描いてしまったから…

呪われたんだ。

あの時の僕は…

画家としての果てしない道の上に反則やズルが可能なドーピングを見つけた気分だったんだ。


だけど僕の人生はそれだけじゃない。

真名さんとの日常に芸大の仲間と切磋琢磨する生活…

僕の人生に元カノが入り込む必要はない。

そんな余白は無いし…

僕の本心は本当に真名さんともっと過ごしたいって思っているんだ。


それなのに…

ここ最近悪夢にうなされる…

何だって言うんだ…」



額を押さえて俯くと真名は僕のことを優しく抱きしめた。

また恋人に甘えることになるのだな…。

そんな自分を情けなく思って少しだけ顔をしかめた。

しかしながら真名は思ったような表情を浮かべていない。

柔和な笑顔で僕を包みこんでいると思っていたのだが…

彼女は今、太陽のようにカラッとした笑顔で僕に相対していた。

意味が分からずに戸惑いを覚えていると真名は口を開く。



「それだよ!

私も精神科のナースをやっているから分かるけど。

何かしらの依存症患者さんが依存先から離れると夢に見るようになるんだって。


でもね!

それは悪いことじゃないんだよ。

人間の脳は思っている以上に高性能に出来ているんだって。

脳が夢の中でシミュレーションしてくれているの。

例えば依存症患者さんが再び依存先に戻りたくない。

って強く思っている人ほど夢に見るんだって。

ハッとして悪夢を見たって思うんだって。


どうすればこんな夢を見なくなりますか?

私はまだ依存先に未練があるんでしょうか?


そんな質問をされるとうちの先生が決まって言うことがあるんだよ。


夢で良かったじゃないですか。

本当に依存先に戻りたくないから脳がブレーキを強く踏んだ結果、夢として見せてくれているんですよ。

まだ未練がある人にそんな夢を脳は見せません。

見せてしまったら戻ってしまうでしょ?

でもあなたのように本当に戻りたくない人は夢に見るそうです。

戻りたくないと思えば思うほど見るんです。

夢で良かったと起きて思うでしょ?

だから夢で良かったと今後も思ってください。

何も心配になることは無いですよ。

むしろ順調以上に好転しているサインです。


こんな事を毎回言うんだけど…

私は良く分かっていなかった。

でも今の亮平くんの話ってこれに似てると思ったんだ。

元カノに想いなんて無い。

戻る気はない。

もう関わらない。

そう思えば思うほどに夢に出てくるんでしょ?

だから私は今すごく安心しているんだよ?

亮平くんの心は完全に私にしか無いって理解できたから。

だから亮平くんも安心して?

悪夢だなんて思わないでよ。


夢で良かった。そう思って?」



真名の全身全霊の言葉を耳にした僕は言い様がない程に救われた気分になる。

自分自身を否定して間違っていると感じていたことが僕の脳がブレーキを必死で踏んでくれていたことに気が付くと心が軽くなっていく。

僕の潜在意識が紅くるみを求めているわけじゃないことを知った僕は安堵とともに息を吐き強張った身体から力が抜けていく。



「良かった…自分自身さえわからなくなる所だった。

本当にいつも真名さんには救われてばかりです…

何かお返しをしないと本当に罰が当たりそうです…

また僕を救ってくれてありがとうございます」


「うんん。私は知っていることを話ただけ。

亮平くんの脳や心が自分自身を救っていたんだよ。

自分にも感謝してね?」


「はい。ありがとうございます」


「うん。じゃあ私もシャワー浴びて支度を整えるね。

チェックアウトをしたらお土産を買って空港に向かおう」


「はい。僕も支度をします」


そうして真名はシャワールームへと向かい僕も身支度を整えるのであった。



完全に支度を整えて荷物を持った僕らは無事にチェックアウトを済ませてホテルの外に出た。

タクシーに乗り込むと空港の近くのショップに入店する。

僕らはお互いの家族や友人にお土産を購入すると空港へと歩を進める。



「亮平くんはお腹すいてない?昨夜は食べすぎちゃったもんね」


真名は空港へと歩く道中で世間話をするようにして口を開いた。


「真名さんはお腹空いていますか?」


「一応ね。何かしら食べておきたい」


「ですか。じゃあ空港で何か食べましょう」


「そうだね…」


真名はそう言いかけて一度口を噤んだ。

空港までの道中でキッチンカーらしきものが見えてきて、かなりの人だかりが出来ていることに気付く。


「ケバブサンドだって。食べたい!」


真名の提案により僕らはその行列に並ぶこととなる。

三十分も並んだ所で僕らの番になり注文を開始しようとして…。


「嘘だろ…野田…なのか?」


眼の前にはいの一番に謝罪動画を世間に公開した元野球部員の姿がある。

僕も信じられなくて苦笑のような表情を浮かべた。



「俺は…兄弟達のお陰で…この国では沢山の居場所を手に入れることが出来たんだ…

でもそれまでの道程は険しくて…

俺たちがしたことは本当に許されることじゃない。

今では分かっている。


やっとちゃんと直接謝れる時が来た。

自ら赴いて謝罪するべきだったんだが…

今の繁盛を継続するために休めないでいたんだ。

俺も生きていくために兄弟たちの生活のために…

毎日働かないといけなかったんだ。


虫の良い話だとは思う。

でも野田がこちらに赴いてくれていて…

本当に良かった。


何でも注文してくれ。

代金は受け取らない。

と言うよりも野田からは受け取れない。


俺の全力の謝罪を受け入れて欲しい。

本当に申し訳ありませんでした。


一番人気のケバブサンドを食べてみてほしい。

俺が改心したんだって思ってくれたら…

それは本当に幸いなことだ…」



彼は手を動かしながら本気で謝罪を口にして僕らにケバブサンドを二つ用意してくれる。

僕は思わず一口齧って…



「美味しいじゃん。

料理上手に悪いやつはいないって…

昔、母親が言っていたよ。

他人のことを思いやれるから美味しく作れるんだって。

食べた人の笑顔になる姿が想像できるから美味しいものを作れるんだって言っていた。

僕は本当に美味しいと思う。


謝罪もしっかりと受け入れるよ。


新たな地で不安だっただろうに…

ここまで大成して。

君は本当に努力したんだろう。


良かったね。

家族や兄弟を守るために頑張っている君を今更責める気になんてなれないよ。


これからもお互い頑張ろう。

じゃあ…お幸せに」



一方的に口を開いてその場を後にしようとしている僕らに彼は一度キッチンカーから降りる。



「野田!本当にごめん!

俺は…お前の…恵まれた容姿や環境や…才能に嫉妬していたんだ!

お前は絵を続けているのか!?

絶対に一生続けろよ!

お前なら世界一の画家になれる!

あの日…たまたま美術室で観たお前の絵は…!

世界中の誰よりも才能溢れるものだった!

野田も頑張れよ!

いつまでも幸せにな!

いつかまた…来てくれよ!

俺もお前が個展を開いたら…必ず行くからな!」



彼は去っていく僕らの背中に大声で恥ずかしげもなくその様な言葉を口にしていた。

僕は振り返ることもなく手を持ち上げて応えると空港まで向かう。

隣に立って歩いている真名は僕の横顔を確認しているようだった。



「嬉しそう。どんな相手にでも褒められると嬉しいものなんだ」


「まぁね。悪感情を抱いていた相手に褒められた時ほど嬉しいことはないよ」


「なにそれ。歪んでない?」


「そんな事無いけど…でも一番褒められて嬉しくなる人は真名さんだから」


「はいはい。そんなお世辞言わなくても分かっているから」


「お世辞じゃないんだけどね…」


「ありがとう」



そんな会話をしながら僕らは空港へと向かう。

正午の便で帰国予定で再び長時間のフライトの間、僕はデッサンノートに鉛筆を走らせていた。

一睡もすること無く食事やお手洗いの時間以外はずっとデッサンをして過ごすのであった。



帰宅したのは夜のことだった。

僕らは時差ボケにならないように夜にしっかりとした睡眠を取る。

そこから二日間ほど真名は有給を取っていたため僕らはアトリエで二人で過ごしていく。


「やっぱり家は良いよね〜」


僕らは長閑な庭でアイスコーヒーとケーキを頂きながら二人きりの幸せな時間を過ごしていた。



「旅行も良かったですね。またあの国にも行きたいです。

凄く刺激的で楽しい三日間でした」


「そうだね。二人で色んな国に行こうね」


「はい。僕も今から楽しみです」


「私もだよ。早くずっと一緒に居られる日々を送りたいね。

でもそれまでの日常も非日常も二人でいつまでも楽しく幸せに過ごそうね。

時々は喧嘩もするだろうけど…

そうして二人なりの恋人としての絆や形を築いていこう。

愛しているよ」


「ありがとう。僕も最大限の愛を。

いつまでも真名さんだけに誓うよ」



僕らはそこで微笑み合うと寄り添い合いながら幸せな時間が過ぎていくのであった。



数日後。

夏休みだと言うのに僕は芸大キャンパスに向かっていた。

葛之葉雫の人物画が完成すると彼女に見せていた。



「凄く嬉しいし…信じられないほど好きな絵だけど…

私ってこんなに美しい?」


「観たまま感じたままを描きました。気に入ってくれたら嬉しいんですが…」


「これを気に入らない人なんて居ないよ…野田くんは本当に凄いね」


「恐縮です」


「私はこれを買えるほどの余裕がないから…オークションに出す感じ?」


「そうですね。葛之葉さんが良いのであれば」


「私は良いよ。本当は手元に置いておきたいけど…」


「じゃあ差し上げますよ」


「そんな…野田くんが一生懸命に描いた絵でしょ?貰うわけにはいかないよ」


「じゃあ未来への投資ということで。いつか僕が食いっぱぐれた時は拾ってください」


「そんなことあり得ないと思うけど…そんな事で良いのであれば」


「はい。じゃあ譲ります。今日から作業に全力で入ります。特別課題のこともありますし」


「そうだね。私も旅行でリフレッシュできたから。これから本気出さないと…

それにしても残された三人の絵は…」


葛之葉雫がそんな言葉を口にしてそちらに視線を向けると他の三名は挙手していた。


「先輩!私の観てください!」


「野田くん!私のも!」


「野田!最初は私のを観なさい!」


その場に居た彼女らの言葉を耳にして僕は軽く微笑むと彼女らにお土産を渡すことを忘れていた。


「そうだ。皆さんにお土産です」


各々にお菓子のお土産を手渡すと彼女らは感謝を告げてそれを鞄にしまう。


「土産話は後で聞くから!今は私達の成長を見なさい!」


深瀬キキの言葉に頷くと僕は彼女らの絵を観ることとなる。

その後は全員で創作についてのあれやこれやを話して過ごしていく。


今日から再び僕にとっての日常は戻ってくる。

過去からの謝罪を改めて受けて一皮剥けた僕は…

本日よりまた本気を出す生活は始まろうとしていた。

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