第12話過去に触れざるを得ない場面。芸大生になって二度目の夏休みに入る

真名の絵を描き終えた僕は満足感や達成感に浸っていた。

出来上がった絵画を真名に観てもらうと彼女は嬉しそうに破顔する。


「キャンプの時の?凄く幻想的で神秘的…思わず目が惹かれてしまうほどに…」


僕と真名だけに分かる二人だけの記憶に残っている光景を絵に残した僕の想いを汲んでくれた彼女は嬉しそうに微笑んでいる。


「やっぱり分かりますか」


「分かるよ。亮平くんの想いは伝わったよ。ありがとう」


「それで…どうですか?以前のと比べて…」


伺うような僕の視線に真名は全力の笑顔で応えて口を開く。


「もう…満点以上の満点だよっ♡」


「ホントですか…」


「ホントっ♡これは私が買いたい!ここに飾ろうよ!」


真名はテンション高く僕に飛びついてくる勢いで表情を明るくさせる。

僕はどうしたものかと後頭部を軽く掻くと照れくさそうに微笑む。


「真名さんが良いのであれば…」


「あ!待って!ちゃんとした金額で買うからね!?報酬はちゃんと払うよ」


「いやいや。受け取れません。これは全力の謝罪を込めての絵でもあるんですから」


「謝罪?裸婦画の件の?」


「そうです…勝手なことをしました。申し訳ありません」


「もう良いって。気にしないで。私も蒸し返してごめんね?」


「いえいえ。いつでも不安になったり心配になったら言ってください。文句でもちゃんと聞きますから」


「うん…ありがとう…」


「とにかく。この絵は貰ってください」


「本当に良いの?」


「もちろん。どうぞ」


額縁に入っている絵画を真名は受け取ると彼女はそれをリビングの見えるところに飾るようだった。

本日僕らは休日だったためゆっくりとした時間を二人で過ごしていくのであった。



元Sグループを抜いた残りの生徒は集団制作に取り掛かっているようで。

提出日は一学期の最後の日だそうだ。

それが本日のことである。

僕らはいつものように作業部屋で作業を淡々と行っている。

昼も過ぎて明日から夏休みだったが…。

僕らにはこれと言って大きな休日があるわけでもなく。

厳密に言えば休みたい時に休めるのだが。

作業の手を止めることに抵抗があるSグループの生徒はずっと作業をしていた。

僕は真名が休みの日や夜勤明けの日は作業の手を止めて休もうと思っていた。

そんなことを考えているときのことだ。


ガラガラっと引き戸が開くと作業部屋に二人の生徒が入室してくる。


「先輩!私達の班が一番でした!」


白根桃は明るい表情で僕らの元を訪れてくる。

その後ろには世話役とでも言うように香川初の姿が存在していた。


「今年は私達がSグループでした」


香川初は少しだけ気まずそうな表情を浮かべると僕らのもとに遅れてやってくる。


「そうだったんだ。課題はどうだった?」


彼女らの課題の内容を聞くようにして口を開くと課題中に起きた出来事などを聞いていた。


「白根さんが凄く頑張ってくれて。去年の野田くんとまでは言わないけど…

本当に凄い後輩だって思わされました」


「へぇ〜!凄いじゃん!香川さんに褒められるなんて」


「嬉しいです!初先輩も凄いんですよ!色彩の監督になって色の指定は全部初先輩の指示だったんですから!」


「へぇ〜!香川さんの色使いは他に真似できないぐらい卓越しているからね」


「そんな…大げさだよ。野田くんなら少し勉強すれば出来るようになるでしょ」


「そうは思えないけど…とにかくおめでとう!明日から夏休みだね」


僕の最後の言葉を耳にした二人は顔を見合わせると僕らに向けてある提案をしてくる。


「あの!ここにいるお三方が許してくれるのであれば…

夏休み中、ここに通ってもいいですか!?」


先輩として香川初が口を開くと白根桃も祈るようなポーズを取っていた。

黙って話を聞いていた深瀬キキは何でも無いような表情で一つ頷く。


「構わないわ。好きにして頂戴。

私達の絵から学べることがあったら何でも吸収して。

わからないことがあったら尋ねても良いわ」


「本当ですか!?ありがとうございます!」


「野田は時々来ない時があると思うけど…

その様子だと野田目当てってわけじゃないんでしょ?」


「はい!私達も来年に向けてもっとレベルアップしたくて…」


「そうね。その心意気を感じたから。私は許可するわ」


深瀬キキは葛之葉雫にも話題を振るようにして視線を向けた。


「私も構わないです。私で良ければ何でも教えますよ」


葛之葉雫は僕にも視線を向けて締めの言葉を期待しているようだった。


「僕も構いません。皆さんでレベルアップしましょう」


そんな言葉を口にすると彼女らは、

「おぉ〜!」

などと拳を上に突きつけて自らを鼓舞しているようだった。


「皆さんはまだ作業していかれるんですか?」


香川初の言葉に深瀬キキは全体を見渡していた。

葛之葉雫は首を傾げていたし僕も同じ様な態度だったと思われた。


「一学期の目標は全員が三作以上を完成させるだから…

殆ど出来上がっているし…

とりあえず今日は羽根を伸ばすでも良いね。

でも初も白根もSグループでの打ち上げがあるでしょ?

そっちに行ってきなさい。

今日まで一緒に作業してきた仲間を大切にするのは良いことよ」


「ですね。本当はここにいる人達も誘えたらって思っていたんですけど…」


「いやいや。私達が行くと空気壊しそうだから」


「そんなことは…」


「あるのよ。私達は大体煙たがられているから」


「そんな…」


「早く行きなさい。私達は私達で打ち上げして帰るんだから」


「ですか。じゃあまた夏休みで!」


そうして香川初と白根桃は作業室を出ていく。

残された僕らに深瀬キキは提案するように口を開いた。


「打ち上げ行く人」


僕らはそれに賛成とでも言うように手を上げて片付けを開始する。

全員で荷物を持つとその足で芸大キャンパスの近くにあるレストランへと入っていくのであった。



打ち上げでは僕以外の二人はワインを嗜んでおり僕はオレンジジュースを飲んで他愛のない会話や創作論について語り明かした。

彼女らの創作に対する意思や意識や心がけの様なものを初めて耳にして僕の心は弾んでいた。

僕と同じ様に全力で取り組んできた彼女らだからこそ元Sグループで現在は特別課題を設けられているのだ。

それを理解できてなんとも言えない高揚感に浸っていた。


油断していたと言ったら変な話しだが…

僕は完全に過去の出来事を忘れて生きていたのだろう。

そんな瞬間だった。


「野田…だよな?」


不意に声を掛けられた僕は後ろを振り返る。

そこには客として来ていたであろう男性が立っていた。


「そうですけど…どちら様でしょうか…」


すぐに思い出せない男性から声を掛けられて僕は首を傾げる。

酔っている二人も僕らの様子を確認しているようだった。


「あぁ…思い出したくも無いと思うんだが…元野球部の…」


そうして僕は不意に過去と対面することになる。


「うん。思い出してきたよ。それで?何か用?」


「あぁ…ネットでは上げたんだが…ちゃんと謝罪が届いていない気がして…」


「謝罪動画なら観たよ。君のも観た」


「それでも…ちゃんと謝罪させてくれ。

当時は軽はずみな行動で野田を苦しませて傷付けた。

本当に申し訳ないことをしたと思っている。

俺も今では真剣に交際している相手がいて…

年内には結婚を考えているんだ。

虫の良い話だとは思っているんだが…

あの時のことがずっと心の奥につかえている。

過去のことで取り返しがつかないことは分かっている。

俺は一生罪の意識と十字架を背負って生きていくんだ。

それでも直接ちゃんと謝りたい。

申し訳ありませんでした」


眼の前の彼は深く頭を下げると謝罪の言葉を口にする。

彼の後ろでは交際相手である女性の姿もあった。

僕は恋人の前で頭を下げる彼の覚悟が伝わってきて謝罪を受け入れた。


「あぁ。しっかり受け取ったよ。

君の覚悟も伝わった。

僕も道を踏み外しかけてね…

今の僕は君たちの気持ちを理解できないわけでもないんだ。

これからは自分自身も恋人のことも大切にね。

間違いそうになったら過去を思い出して。

今ここでしっかりと謝れた君なら絶対に大丈夫。

偶然出会ったというのにすんなりと謝罪の言葉が出てきたということは…

君だってずっと苦しんでいたんだろ?

ずっと謝罪をしたかったんだ。

それを理解できたから僕は許すよ。

これで良いだろ?」


僕の言葉を耳にした彼は涙ぐみながら深く頷く。


「じゃあ…邪魔したな。受け入れてくれてありがとう。感謝する」


「うん。じゃあお互い幸せにね」


そう言うと僕らはその場で別れることになる。

テーブルに残されていた二人は僕の顔をまじまじと見つめていた。


「過去に何かあった感じ?」


深瀬キキは一気に酔いが覚めたのか真剣な表情で問いかけてくる。

僕はなんとも言えない表情を浮かべると適当に頷いた。


「誰にだって言いたくない過去はあるじゃないですか」


葛之葉雫は話しを終わらせるようにして口を開いて話題を変更してくれた。

僕は何も言わずに彼女らとの打ち上げを楽しむと無事に帰宅するのであった。



「そう。それで打ち上げ会場のレストランで…」


帰宅した僕は勤務を終えて帰ってきた真名に本日の出来事を言って聞かせていた。

真名はウンウンと頷いて応えると僕を優しく抱きしめる。

包み込むように大事な宝物を愛でるような手付きで僕を優しく抱きしめた。


「大丈夫。過去に触れて傷が再び疼いたとしても。私がいつまでも傍にいるからね」


「うん…それなのに…僕は…」


再び自分の過ちを思い出して僕は苦悩していた。

研鑽やレベルアップに必要だったかもしれないことだったが…。

それでも僕はここ最近、あの時の暴走加減を恨んでいた。


「大丈夫よ。亮平くんは世界的な画家になるんだから。

そんな少しの事で思い悩まないで。

私はどんな事があっても受け入れるんだから」


「でも…」


「良いのよ。惚れてしまったのは私なんだから。

絶対に手放したりしないわ」


「うん…僕もだよ…」


「そうね。今はゆっくりと休みましょう」


そう言うと真名は僕を連れて寝室まで向かう。

僕はベッドの上で横になると真名は直ぐ側で僕の寝顔を覗いている。


「少し休んだら…もう別のことを考えましょう。

私達の今後についてとか」


「今後?」


「結婚とか家族構成とか」


「そうだね。明るい話をしよう」


「そう。だから今はおやすみ」


それに頷くと僕の瞼は次第に重たくなってきてそのまま静かな眠りの世界へと誘われていくのであった。



「私を描かなくて良いの?

世界的な画家になりたくない?

私を利用して…

今の恋人を裏切っただなんて感じないで。

何もしていないんだから良いじゃない。

大丈夫。

私は亮平にとって必要な存在よ…」


夢の中だったが紅くるみの幻影を目にした僕はハッとして目を覚ます。

辺りは夜の帳が降りていて僕は深呼吸をするとリビングに向かう。

真名は夕食の支度が整っていたようでソファで映画鑑賞をしていた。

僕がリビングに顔を出すと彼女は優しく微笑んで夕食を配膳する。

そこから僕らは夕食を取りながら話を進める。


「結婚については前向きなの?」


真名からの唐突な質問に僕は静かに頷く。


「子供は?何人が良いとかある?」


「どうかな。二、三人じゃない?」


「将来…多田を継ぐ気はある?」


「えっと…多田がどんな家系なのか詳しく知らなくて…」


「まぁ。そっちは心配ないわね。

きっと当主は実娘の私になるわけだから。

亮平くんは絵の方に集中していて」


「わかった。とにかく僕は結婚に前向きだよ」


「分かった。じゃあいつかプロポーズの時を待っているからね?」


「はい…」


「とりあえず今日は夕食を食べてゆっくりしましょう」


それに頷くと僕らは夕食をいただく。

片付けを済ませて一緒に風呂に入るとそこからはイチャイチャするような時間が過ぎていく。


「さっき嫌な夢を見たんだ…」


そんな話を切り出すと真名は僕の頭を撫でてくれる。

僕は詳しく話す気にはなれずにそこで会話を止める。

真名も僕が言わない限り詳しく聞こうとはしなかった。

僕らの甘く切ない時間が過ぎていくと明日からは夏休みが始まろうとしていたのであった。

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