第4話四年生卒業。二年生へ。絶望する新一年生
四年生の卒業式が過ぎて数日後のことだった。
僕らは現在居酒屋に集合していた。
Sグループ全員が集合しての飲み会だった。
僕ら一年生はまだ二十歳になっていないため飲むことは出来なかった。
それでもジュースなどを飲んで食事を楽しむと四年生の送迎会は恙無く進んでいく。
「Sグループで課題に取り組めたこと…
それは必ず私の糧になる。
財産になる。
あの場で起きた全ての経験を糧に私はこれからも進んでいきます。
本当にありがとう。
特に隅っこでジュースを飲んでいる…
野田くん!
最大の感謝を込めて…♡」
奈良鶫は少しだけ酔っている様で僕に向けて投げキスを送ってくる。
僕はそれを受け流すような態度で微笑む。
「私からも感謝を言わせてくれ。
代々実家で受け継がれてきた技や知識に私は囚われていた。
それは酷く大切なもので安々と手放して良いものではなかった…。
それでも…
私に失敗や経験の大事さを教えてくれたのは…
野田くん。
君だった…
私からも最大の感謝を込めて…♡」
神田杏は僕に向けて上手にウィンクをすると軽く手を振ってくる。
それに応えるように静かに手を振ると雑賀慶秋が手を上げていた。
「僕からも言わせて欲しい。
Sグループがこんなにも纏まったのは、いつでも提案をいの一番に出してくれた野田くんの御蔭もあると思う。
他にも監督が僕らをまとめ上げてくれた御蔭や作業を怠らなかった全員の手柄でもあると思う。
僕はこのグループで本当に良かったと思っている。
僕らは先の道へと進んでいくけれど…
皆が再び僕らと並んで歩く未来を今から夢想している。
早く皆が僕らと同じ位置まで来ることを楽しみにしています。
皆…本当にありがとう!」
雑賀慶秋の締めの言葉を耳にして僕らはそこからも飲んだり食べたりを繰り返すのであった。
「じゃあ野田くん。先に進んで待っているよ。これはお別れなんかじゃないだろ?」
雑賀慶秋は僕に向けて美しく微笑むと右手を差し出してくる。
それを受け取ると大きく頷いた。
「雑賀先輩。頑張ってください。卒業したらプロですもんね。活躍を楽しみにしています」
「ありがとう。野田くんに呆れられないように頑張るよ」
僕らはそこで微笑み合っていると後ろから奈良鶫がやってくる。
雑賀慶秋を押し退けるようにして割り込んでくると彼女も口を開いていく。
「本当にありがとうね。
これからもずっと好きだよ♡」
奈良鶫は完全に酔っている様で唐突に告白をしてくる彼女に苦笑する。
彼女を押しのけたのは神田杏だった。
「あまり多くは話せなかったな。でもいつか本格的に二人きりで話したい。いつでも良いから…どうだ?」
「はい。お話ぐらいならいつでも」
「ありがとう。じゃあこの酔っぱらいを連れて行くわね」
彼ら彼女らに別れを告げると僕らは帰路に就く。
少しだけ飲んでいた深瀬キキが僕の元までやってくると絡んでくるようにして口を開いた。
「来年度も集団制作があるかもしれない…その時はよろしくね?
それに合同制作もまたしよう。
初が一緒でもいいから。
時間作ってよ」
「分かりました。こちらこそよろしくです」
「はいよー。ってか早く飲めるような年齢になりなさいよ」
「無理言わないでくださいよ…来年の今頃は飲めるようになりますから」
「ん?野田の誕生日っていつなん?」
「三月十五日です」
「って…もうすぐじゃん!」
「ですね。やっと十九歳になります」
「マジか…休みの期間に誕生日迎えるの?
お祝いできないじゃん。
当日は恋人と過ごすんでしょ?」
「それはもちろん」
「私達もお祝いしたいんだけど!?」
「じゃあ別日に予定を組みましょう」
「良いの!?」
「もちろんです」
「やったぁ♡じゃあ初にも連絡入れておかないと!」
「そうですね。お願いします」
「うん。二年生になっても怠けるなよ?」
「はい」
そうして僕らは駅で別々の電車に乗り込む。
僕は真名が待っている自宅へと帰宅するのであった。
誕生日当日のことである。
三月十五日。
僕は自らの誕生日当日だというのにあろうことか風邪を引いていた。
「大丈夫?一日中付き添っているからね」
恋人である真名は本日休みを取っていてくれていて僕の看病に付きっきりだった。
「大丈夫ですよ。風邪が移ったら嫌なので…」
「大丈夫。移ったりしない。それに亮平くんからなら移っても良いし」
「そんな…」
「良いから。今日だけは全部甘えて」
「分かった…少し寝るね」
「どうぞ。ゆっくり休んで」
そんな言葉を受け取りながら僕は静かに目を閉じて深くまで眠りに着くのであった。
誕生日当日。
僕は終日中ベッドで寝込んでいて誕生日らしい誕生日を過ごせずにいた。
しかしながら真名は僕が眠って回復に向かっている間にベッドの縁に誕生日プレゼントを置いてくれていた。
朝目覚めて風邪が治った僕はそのプレゼントを見て微笑みが溢れた。
真名の本心や意思を確認できた僕はそれを薬指にはめ込んだ。
真名から贈られたペアリングを目にして僕の心には得も知れない幸福感が湧き上がっていた。
真名は本日職場に向かっており僕は春休みの最中だった。
本日は家の事を率先して行っていた。
真名へのいつもの感謝を込めて。
そして後日。
完全回復した僕は真名と共に誕生日会を開くのであった。
真名の豪勢な手料理を頂きながら僕らは幸せな時を過ごした。
また後日。
僕と深瀬キキと香川初の三人で誕生日会として食事をして過ごす。
有り難いことに先輩たちに歓迎されて僕は晴れて十九歳になったのであった。
物語の本筋から外れた余談話は終わりとして。
ここからは本筋に戻る。
二年生へと進級した僕らは新たな教室で教授の言葉を待っていた。
教壇に立った教授はいつものように険しい表情で口を開いていく。
「油絵科の生徒諸君。
学生の内から君たちには順位が付けられる人生がいつまでも続きます。
困ったことに油絵科の成績トップである野田亮平くんは既に私達講師陣でも点数をつけられない生徒になってしまいました。
嬉しい悲鳴ではあるのですが…
この様な生徒が実は油絵科の中に後二人います。
三年生の葛之葉雫さんと四年生の深瀬キキさんです。
寄ってこの三人には一年間通しての課題を出します。
個人でも合同でも構いません。
とにかく自由制作に入ってもらいます。
そして一年間で外部内部関係なく百万の売上を出してもらいます。
売上達成によって課題合格と致します。
他の生徒諸君は従来のカリキュラム通りに進みます。
野田くんを含めた三人が特別扱いされる実力を示したのは誰の目にも明らかです。
他の科でも特別待遇を受けている生徒がいます。
皆様も課題に追われるのが嫌なのであれば…
精進することです。
いつまでも明確に順位を付けられる孤独な戦いは続きます。
心を強く持ってください。
励んでくださいね。
以上です。
では野田くんは自由制作に向かってください。
教室は…」
教授に教えてもらった教室へと向けて歩き出す。
指定された教室に向かうと葛之葉雫と深瀬キキの姿が存在していた。
「野田!今年はずっと一緒だね!嬉しいよ♡」
「野田くん。また一緒に作業が出来ると思うと…私も嬉しい」
「ですね。僕もお二方と一緒なら心強いです」
「とりあえず。どうする?合同制作にする?」
「私は合同制作が良いです。卒業したら確実に合同制作ばかりなので…」
「僕はどちらでも構いません。どうしても自分一人で制作したい場合は言いますから」
「わかったわ。じゃあ初めは合同制作にしましょう。何を作りたいとかある?」
「私達はやっぱり絵で表現がセオリーじゃないですか?」
「そうだね。でも去年も野田が言っていた通り…芸大生という枠を飛び越えた作品を作りたいわ」
「ですね。それに合同制作ならではの強みみたいなものを全面的に出したいです」
「うんうん。ここにいる三人の画力が強みであるのはもちろんのこと…
野田の強みはどんな無茶で突飛なアイディアでも我先に手を上げて意見を言うファーストペンギン的なところよね。
雫の強みは丁寧さに仕事に対する真摯的態度。
絶対的な信頼感があるのはもちろんよね。
私の強みは…
トリッキーな絵でも説得力や納得させる力があるところじゃないかしら。
それに海外にも伝手があるところ?
まぁ各々の強みが明らかになったけど…」
深瀬キキはそこまで言うと少しだけ頭を悩ませているようだった。
葛之葉雫も同様に頭を悩ませて今回の課題について考えているようだった。
僕は何と無しに考えが纏まっておりいつものようにいの一番に手を挙げる。
「じゃあ今回のターゲットは外部にしましょうか。
深瀬さんの伝手を使わせていただいて…
僕たちも名を国内外に売りたいという打算的な考えもあります。
しかし本質的な話をすると…
僕は今まで外に向けて絵を発信したり売ったりしたことがないんです。
今の自分の実力や立ち位置を再確認するためにも…
今回は外に向けに絵を描きたいです」
「うんうん。じゃあ私の伝手を使うのは決定で…
どんな絵にしたい?
私のトリッキーな絵を模倣しても意味は無いと思うけど…」
「はい。だから…今回は勝手ながら僕主体で進行したいです」
「えっと…私は何をすれば良いの?」
葛之葉雫は困ったような表情を浮かべている。
僕はウンウンと頷くと彼女に目を向けた。
「そうですね。
僕の絵の監修と言うのでしょうか…
正しくないと感じたところに口を挟んでほしいのです。
それ以外は作業しないで大丈夫ですよ」
「え…なんでそんなこと…言うの…」
「いや、余計なお節介かもしれないんですけど…
葛之葉先輩は家庭があるじゃないですか。
拘束時間が長いと困ることも多いですよね?
ですので自由登校で時々来ては意見を残していってほしいんです」
「私だけそんな偉そうなことしていいわけないじゃない」
「良いわよ。私も野田と二人きりになりたいしっ♡」
「深瀬さん…馬鹿言ってないで課題に一生懸命取り組んでください。それに野田くんには美女の恋人がいるんですよ?」
「そんなことは分かっているわよ。でも私には関係ないね」
「関係あるでしょ…野田くんを困らせないでください」
「分かった分かった。雫は自分や家庭のことだけを考えておきなさい」
「………本当に良いんですか?」
「もちろん。今までだって大変な思いをして課題に取り組んでいたんでしょ?
少しぐらい休みなさい。
体を壊す前に…」
「ありがとうございます。二人の善意に甘えさせて頂きます。じゃあ帰りますね」
「はいよ。暇が出来たらおいで」
「ありがとうございます。では」
そうして早々に葛之葉雫が離脱すると僕と深瀬キキの二人きりになってしまう。
「それにしても…野田ってそういうことも考えられるんだね」
「そういうこと?」
「いや、ストイック過ぎて周りにも同じレベルを求めるタイプかと思っていたから。
雫に休む提案をするとは思ってもいなかった」
「そうですか?葛之葉さんは恩人でもありますし…それに疲れているように見えたので…」
「恩人?意外にもよく周りを見ているのね…」
「はい。葛之葉さんの絵のお陰で壁を破ることが出来て…
そこからは順調に階段を登れているので。
壁の破り方や階段の登り方を教えてくれたのは葛之葉さんなんですよ」
「なるほどね。私も野田に何か影響を与えられる存在になりたいな」
「なっていますよ。先輩の絵は真似しようとしても出来ないので…
まだ僕は力量不足を感じています」
「いやいや。描き方さえ覚えてしまえば…今の野田なら描けるよ。教えようか?」
「良いんですか?」
「もちろん。じゃあここからは個別レッスンね♡」
などと深瀬キキは冗談のような言葉を口にして誂うように微笑んだ。
僕もそれを受けて苦笑するようにして応えるとそこから彼女の絵の描き方を習っていくのであった。
二年生になって僕らは一年間通しての課題を言い渡される。
売上百万を達成できれば課題合格。
僕らは自らの研鑽のために僕らの事を知りもしない外部の人間に向けて絵を描くのであった。
芸大に入学して私は完全敗北を味わう。
今まで観てきた数々の作品。
そのどれを観ても私は感動すら覚えなかった。
何が良いのかわからない。
私の絵の方が優れている。
私の方が有名になれる。
そんな長く伸び切った鼻がいとも簡単にへし折られることになるとは…。
二年生の先輩である野田亮平なる人物が描いた裸婦画を教授は初めての授業で私達に観せてきた。
クラスにいた全員が絶望したことだろう。
一学年上の先輩が一年生の頃にこれを描いたというのだ。
私達にこの壁を越えることは不可能に思えてならなかった。
様々な複雑で歪な感情を訴えてくる裸婦画に私達は声を出すことすら忘れて魅入っていた。
目が離せないとはまさにこのことだと思った。
ではどうして教授は初めての授業でこの様な絶望感を与えてくるのか。
そんな事を考えていた。
「これがトップ層です。
成績トップの彼ら彼女らは今現在芸大側から明確な課題を与えられていません。
彼ら彼女らには大まかな課題を言い渡しただけです。
それは一年間で百万の売上を出すこと。
成績トップの実力者になれば…
自分の描く絵に文句を付けられなくなります。
絵に点数や評価を付けるのはおかしいと感じている人もいるでしょう。
けれど値段や価値がつくということは…
即ち点数がつくと同義です。
皆さんの中から私が買いたいと思える作品が出てくることを願います。
では、今学期の課題を言い渡します」
教授の言葉が耳を伝って脳内に浸透していくようだった。
私は絶望感と共に裸婦画を描いた先輩と同じ高みに登りたいと思う。
出会ったこともない相手に勝手に恋をするような一方的な恋心や憧れを胸に私の芸大生生活はスタートするのであった。
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