第5話雑賀慶秋の優しさ。月一の会食。
集団制作の課題が順調に進んでいて十月に入って少しの時間が経過した頃のことだった。
「言い忘れていたんだけど…明日は多田家で月一の会食の日だけど…予定大丈夫?私も夜勤が続いていて伝え忘れてて…ごめん」
キャンパスで課題を終えて帰宅すると真名は申し訳無さそうに頭を下げて謝罪をしてくる。
「そうだったね。大丈夫だよ。スケジュールには余裕もあるし。進行具合も順調だから。明日は多田家に行こう」
「良かった。急に言ってごめんね。忙しかったなんて言い訳にならないよね」
「いやいや。皆、忙しいと色んなこと忘れがちでしょ。そんなに謝らないで。そんな事で怒ったり機嫌を損ねたりしないよ」
「良かった。じゃあ明日は十八時に実家に行きましょう」
それに了承の返事をすると本日も二人の家で仲睦まじく過ごすのであった。
翌日。
自由登校な為、キャンパスに向かう必要は無かったのだが。
集団制作の監督である奈良鶫から呼び出されており登校することになる。
講堂に集合をかけられた成績トップ組の四年生と僕は再び顔を合わせることになる。
「各科の進捗を報告してください」
監督の言葉に従って各科の四年生は進捗具合を言って聞かせていた。
パーセンテージで言う人もいれば具体的に進捗具合をメモに取っている生真面目な人もいた。
「油絵科は全員が四作目に入るところだよ。
どの作品もクオリティを保証するし進捗具合で言えば他の科よりも先に進みすぎてしまっているかもしれない。
人手の足りない科はある?もし良かったら油絵科から…」
雑賀慶秋は人員の派遣を提案しようとしているようだった。
流石と言わんばかりの人間性に僕は脱帽する思いだった。
しかしながら監督である奈良鶫は厳しい表情を浮かべるとその先の言葉を手で制して首を左右に振る。
「雑賀くんの提案は嬉しく思うよ。でもダメ。
これは集団制作だけど各々のレベルアップの機会でもあるの。
そこに助っ人が現れるのはよろしくない。
自らの力で四苦八苦して藻掻いてレベルを上げないといけないの。
確かに油絵科は特に優秀な人間が揃っているんでしょう。
それは非常に羨ましいことだけど。
他の科の後輩だってきっと優秀なの。
未来の芽を摘むような事は出来ない。
雑賀くんの優しさは嬉しいけど…
この課題ではその優しさは毒だと思う。
優しくするなら自分の科の後輩だけにして。
他の科の後輩にまで課題のことで優しくしないで。
課題以外の人生相談とかなら乗ってあげていいけどね」
奈良鶫は厳しくも優しい言葉を雑賀慶秋に投げかけていた。
雑賀慶秋も言いたいことを完全に理解できていたようで苦笑するように微笑むと一つ頷いた。
「ごめん。お節介だった。出過ぎた真似をしたよ。監督は奈良さんなのに…」
「いやいや。分かってくれたなら言いんだよ。私もキツイ言い方になってごめんね」
お互いが謝罪を口にして進捗会議はお開きとなった。
雑賀慶秋は珍しく肩を落としているようで少し気になっていた。
しかしながら奈良鶫に呼び止められて僕は一度足を止める。
「急にごめんね。
後輩の野田くんに頼むのも可笑しな話しなんだけどさ…
雑賀くんのことフォローしておいてもらっても良い?
私じゃあまた傷付けるような言い方になってしまうと思うから…」
「任せてください。
奈良さんだって監督として立場がありますから…
厳しい言い方になってしまっただけですよね。
雑賀先輩だって分かってくれていますよ」
「うん…本当に野田くんには助けて貰ってばかりで…ありがとうね」
「いえいえ。困ったときはお互い様ですよ」
そんな言葉を残すと僕は雑賀慶秋の元まで小走りで向かうと声をかける。
「雑賀先輩。大丈夫ですか?」
急に声を掛けられた彼はいつもとは違った表情で落ち込んでいるように思えてならなかった。
「ちょっとね…自分の無力さを感じていて。
他人の事は自分のこと以上に優しくしなさい。って言うのがお祖父様の教えでね。
ずっとそれが染み付いているんだ。
でもさ…芸大に入ったら…それは逆効果な事が多いみたいで。
僕は未だに優しさのライン引きを理解できていないんだ。
だから今回も間違えてしまった。
もう卒業も見えてきていると言うのに…
僕はこのままで大丈夫なのかって不安でね…」
珍しく弱音を口にする雑賀慶秋を僕は放っておけないと感じていた。
先輩だが僕に出来るアドバイスは無いものか。
その様な事を考えながら二人並んで講堂の外に出る。
「雑賀先輩。良かったらもう少し話していきませんか?」
「ん?構わないけど…僕の問題だから…野田くんを巻き込むわけには…」
「いや。良いんです。雑賀先輩には本調子に戻って欲しいですし。少なからず感じていた恩返しみたいなものですよ」
そんな言葉を口にすると薄く微笑んで講堂の外のベンチに腰掛けた。
何から話すべきか。
僕はその様な事を考えながら自らの過去の秘密を告白するようにしてぽつりぽつりと口を開いていく。
「何の相槌も挟まずに聞いてください。そして聞いたならば忘れてください」
そんな前置きをして雑賀慶秋が戸惑いながらも頷くのを確認すると再度口を開く。
「高校時代に恋人がいました。
僕も大切に思っていたので過剰に優しく丁寧に扱っていたと思います。
ですが…それが逆効果で。
とんでもない裏切りに遭います。
他人に優しくすると言うのは酷く大切なことだと思うんです。
お祖父様の言いつけを破れと言うわけではありません。
しかしながら僕の経験上で話すのであれば…
何よりも自分のことを一番に大事にすることをオススメします。
それでもお祖父様の言いつけを守りたいのであれば…
自分と同じぐらい他人に優しくすれば良いと思います。
けれど優先順位はいつだって自分が一番です。
今の雑賀先輩は非常に心が疲れているように思えます。
もしかしたら他人のことばかり考えていて自分を蔑ろにしているのでは無いでしょうか。
もっと自分のことを大切にしてあげて良いんですよ。
雑賀先輩の優しさで救われた人も居るでしょう。
けれど雑賀先輩はその優しさで自分の心も救ってあげてください。
僕に言えるのはこれぐらいです。
後輩なのに生意気言ってごめんなさい」
僕の言葉を最後まで黙って聞いていた雑賀慶秋は今まで見たこともないなんとも言えない表情を浮かべて重い口を開いた。
「野田くん…もしかして君は僕まで惚れさせようとしているのかい?
何ていうのは冗談だけど…。
本当に不思議なことだけど胸に刺さっていたトゲが抜けたような気分だよ。
お祖父様の言葉を疑っていたわけじゃないけれど…
少しだけ疑問に思う時はあったんだ。
自分の人生なんだから自分を一番に考えないのは変だな。
なんて思うこともあった。
けれど野田くんの補正してくれた言葉のお陰で僕はもう大丈夫。
本当にありがとう。
こんなに励ましてくれる人は今まで居なかった。
野田くんは僕のことを対等な人間として扱ってくれる。
それが酷く嬉しくて…良かったら今後も友人として僕の傍に居て欲しい。
僕も野田くんが困った時は力になれる存在になれるよう努力するから」
「そう言って頂いて嬉しい限りです。
僕も雑賀先輩とは仲良くしておきたいですし…
正直に打ち明けると少しだけずるい打算的な感情も含まれているのですが…
申し訳ありません」
「謝らないでよ。
僕だってそういうずるい感情を抱きながら野田くんにこんな提案をしているわけだから。
お互い様だよ」
「ですかね。
じゃあ今日も課題制作に向けて頑張りましょう。
二人は既に四作目に取り掛かっているでしょうし」
「そうだね。じゃあ行こうか」
そうして僕と雑賀慶秋は講堂の外のベンチから立ち上がると作業室である教室へと向けて歩き出す。
教室に顔を出すと予想していた通り二人は四作目へと向けて筆を動かしていて僕らは目を見合わせて軽く苦笑すると早速作業に取り掛かるのであった。
十七時に芸大キャンパスの外に出る。
待ち合わせしていた真名の車に乗り込むと僕らは月一の多田家での会食へと向かった。
いつものように門を潜ると使用人の好々爺が僕らを出迎えて薄く微笑む。
「おかえりなさいませ。真名様。亮平様」
「こんばんは。本日もお世話になります」
「いえいえ。ご当主様も本日を楽しみにしておられましたよ」
「そうですか。嬉しい限りです」
「では早速ご案内致します」
好々爺についていき、いつものように大広間に通される。
僕と真名は席に着くと一息ついていた。
遅れてやってきた多田家の面々に立ち上がって深く頭を下げると早速芸大の話しになった。
「夏休みが終わって二学期が始まっただろうが。どうだ?調子は良いか?」
多田家当主である真名の父親に早速話を振られて僕は返答することになる。
「はい。二学期は集団制作の授業が主でして。各科の先輩と一緒になって一つの作品を作っております」
「なるほど。過程を収めた写真などは無いか?」
「あります。こちらに」
そうしてスマホを使用人に渡すとそれを多田家当主に渡していた。
真名の父親はそれらの写真を眺めながらウンウンと頷いていた。
何を思っているのか僕には分からなかったが薄く微笑んでいるようにも思えた。
「良いな。
何処かに所属するようになれば集団制作は必須。
君は多田が支援するから自分の作りたいものを好きに作ってもらうつもりだが。
しかしながら芸大なので他の生徒のことも考慮しないとならない。
集団制作を通して新たな閃きや刺激を受けられたら良いな。励みなさい」
「ありがとうございます。精進致します」
深く頭を下げるとスマホを返却してもらう。
話が終わると真名の母親はパッと表情を明るくさせて口を開いた。
「さぁ。細かい話は脇に置いて食事を楽しみましょう」
「だがな…二人の今後のことも話しておきたく…」
「それはもう少し時間が経ってからにしましょう。
亮平さんだって今は課題に集中したいでしょうし。
在学中は将来のことまで考えさせなくていいじゃない。
その代わり…亮平さんにも言っておくことがありますよ。
将来の事を考えられないのであれば…責任の取れないことはしないと約束してください」
「それはもちろんです。固くお約束します」
「そう。それならこの話しはもう終わり。食事としましょう」
そうして僕らはここから二時間ほど掛けて会食を済ませる。
殆どが日常で起きた世間話などをして過ごす。
食事が終わると僕らは挨拶をしっかりと済ませて玄関へと向けて歩き出す。
「では亮平様。来月も心待ちにしております」
「はい。よろしくお願いします」
使用人の好々爺に深く頭を下げると僕らは真名の運転でアトリエである自宅へと帰宅するのであった。
「さっきのお母様の話しだけど。
私との将来をしっかりと見据えてくれているってことでいいんだよね?
私を大事にしてくれているってことだよね?」
帰宅すると真名は何かを確認するかのような心配そうな表情を浮かべていた。
「もちろん。自分のことを一番に大事に思うように…真名さんのことも一番に大事に思っているよ」
「一番が二つもあるの?」
「変?」
「変…じゃないの?」
「どうして?
人は皆自分を一番に思って良いはずでしょ?
それと同じ様に大好きな人を一番に想っていても可笑しくないでしょ?」
「そう…だね。誰よりも私を大事に想ってくれているってことでいいんだよね?」
「何をそんなに心配しているのかわからないけれど。もちろんだよ」
「だって…」
そんな前置きをすると真名は僕の芸大生生活の話を聞いてヤキモチのようなものを感じているらしい。
僕と真名は五歳差のカップルなため同い年だったらどれだけ良かっただろうかと懇切丁寧に説明してくる。
真名の溜まっていた想いをすべて受け入れると僕は真名の事を優しく包み込むように抱きしめた。
「大丈夫。どれだけ仲の良い先輩たちと過ごしていたとしても…僕はいつだって真名さんの事を想っているし感じているよ」
「うん…♡ありがとう…♡」
僕と真名は甘く暖かい雰囲気に包まれたまま深夜になり眠りに着くまで肩を寄せ合って過ごすのであった。
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