第5話処女作。買われる
今月の作品づくりのテーマが決まっていた。
「裏切り」
「復讐」
「仕返し」
「憎悪」
「嫌悪」
この五つのテーマをグラデーションの様にして織り交ぜた僕自身初めてのダーク作品となっていた。
作品が出来上がった瞬間を殆ど覚えていなかった。
提出日の三日前に出来上がったのだが緊張の糸が切れた瞬間に僕はアトリエで気絶するように眠りについていた。
多田真名と交際関係になってから二ヶ月が経過しようとしていた。
芸大合格が決まった瞬間から多田家の当主は僕にアトリエという名の平屋をプレゼントしてくれた。
講義が終わると殆どの日はアトリエで過ごしていた。
真名が顔を出して料理や掃除をしてくれる事もあった。
その度に僕は自分でやると主張していたのだが彼女は必ず首を左右に振る。
「亮平くんは自分の作品に集中して。
その他の雑事は私がするから。
家では使用人が何でもしてくれるから。
私も家事をやる機会が無いのよ。
この機会にレベルアップしておきたいから。本当に気にしないで」
「良いの?真名さんに任せっぱなしで…悪い気がして作品に手がつかないんだけど…」
「いや。本当に気にしないで良いから。私が好きでやっていることなんだから」
「そう?じゃあとりあえず今日は頼むね。自分で出来る時はやるから」
「分かっているよ。何も心配しないで。私も何も心配しないから」
それに大きく頷くと真名が家事を行い僕は作品づくりに没頭している。
そんな日々だった。
今月の作品が出来上がって緊張の糸が切れた瞬間に寝不足や疲労が限界まで来ていた僕は気絶するように床で寝落ちしていた。
「これが…壁を破った…亮平くんの姿なの…」
私は芸術に詳しくないが、これまで教養として数々の美術作品に触れてきた自負がある。
その中のどれとも類似しているとは思えない。
しかしながら過去の傑作や良作を観た時と同じ感動を覚えているのは何故だろうか。
こんなにも心が踊り惹きつけられる感情が沸き起こる理由は…。
思わず横たわっている恋人を置き去りにして作品に目が釘付けになっていた。
数秒遅れて作品の前で横になって眠っている恋人の存在に気付く。
軽く揺すってみても恋人は起きる気配も見せない。
深くまで眠っている恋人を起こすでもなく私はそこからも長いこと作品から目が離せずに居た。
魅力に溢れたドロドロとダークな心のなかに存在する暗闇的部分が全面に押し出された主張の激しい作品を目にして私は心を奪われていた。
ドキンドキンと心臓の鼓動が激しく鳴っているのを理解していた。
高揚感や他ジャンルだが純粋に才能へ嫉妬するような感情が胸の中で渦巻いていた。
この作品にいくらの価値をつければ良いのか。
私は続いてそんなことを思考していたことだろう。
亮平の作品を沢山観せてもらってきたが…。
この作品だけは異質に思える。
ゴクリとつばを飲み込んだ所で寝返りを打つ様にして恋人は目を覚ます。
「あれ…おはようございます?」
「おはよう。どれぐらい寝ていたの?身体は痛くない?」
「えっと…今日は何日ですか?」
亮平からの問いかけに私はスマホの画面を見せてあげる。
慌てていた様な亮平だったが日時を確認すると安堵した様にふぅと息を吐いた。
「良かった。提出日までまだ一日ありますね。今日中に運び込まないと…」
「手伝う。車出すよ」
「良いんですか?助かります」
「それにしても…すごい作品だね…思わず魅入っちゃったよ」
「そうですか?そう言ってもらえて嬉しいです」
「うん。この絵を私は買いたい。いくら出せば良い?」
「そんな。材料費だけ出してもらえれば…それで満足ですよ」
「そうはいかないの。私の心がそれを許さない。正当な報酬を払いたいわ」
「でも…あまりにも高額で買い取ってもらうと税金の問題が生じてしまうので…」
「そっか…でも今後の作品のためにも正当な額で買い取りたい。芸大の教授に尋ねてみてほしいな。この作品の正当な価値ってやつを」
「わかりましたけど…そんなに気に入ってくれたんですか?」
「まぁね。今までに無い程の感動を覚えたよ。やっぱり亮平くんは凄いね」
「そんなに褒められると…でも今日の所は素直に受け取ります。僕もよく出来たと思っているので」
苦笑交じりに微笑んで見せる恋人が愛おしくて私は思わず抱きしめていた。
彼も私に抱擁をするとそのまま甘やかな時間が少しだけ過ぎていく。
お互いの体温で溶け合ってしまうような二人だけの甘い時間が過ぎていこうとしていたが…。
「そうだ。搬入しないと…」
そうして私達は我に返ると作品を車に乗せて芸大のあるキャンパスまで向かうのであった。
現在、今月の作品の総評の時間が訪れていた。
一番奥に僕の作品が置かれていると言うことは今回も成績トップだったということ。
手前から奥に進むに連れて上位の成績と言うのが毎回の決まりだった。
教授と准教授を含め六名の講師陣が作品の総評を行っていた。
通常よりも講師の数が多いことに違和感を覚えていたのだが…。
その理由は未だ明らかとならない。
最後に僕の作品の総評の時間となり講師陣六名が僕の作品を品定めしているようだった。
「野田くん。葛之葉さんとは気が合いますか?」
作品とは関係の無さそうな話題を振ってくる教授に僕は少しだけ気まずそうな表情で頷いて見せる。
「壁を壊し殻を破り自らの作品に対する本質に気付けたんですね。
野田くんはきっと自分が思うほど聖人君子じゃないですし自分勝手で我儘なんでしょう。
でも今まではそれを必死で抑え込んでいた。
作品にもそれが現れていました。
息苦しそうな作品群。
良い子の皮を被った狼が見え隠れしていた気がします。
ですが…どうでしょう。
今回の作品を自分自身が一番気に入っているんじゃないですか?
それは正しく自らの中に眠る獰猛な獣が全面に顔を出したから。
芸術や作品に関して言うのであれば…野田くんのあるがままの姿はこの作品そのものだと言えます。
本来の自分を押し隠して売れるような画家はほんの一握りだと思います。
言い方が悪いと思いますが…野田くんは嘘を吐き続けて成功する様な人間だとは思えないのです。
今回のテーマはなんですか?
概ね自分の中の闇に目を向けたと言ったところでしょう?
葛之葉さんも行き詰まっていた頃。
自分に嘘を吐き続けて描いていた作品でした。
野田くんと葛之葉さんは似ていると思いました。
だから気が合うと思ったんです。
作品に対する姿勢。
自らへの向上心。
無害そうな動物の皮を被った獰猛な獣。
似通った二人はここからもお互いを高めあう仲間でありライバルとなるでしょう。
さて。
話しは本題へお移りますが…ここに私を含め六名の講師が居ます。
全員が野田くんのこの作品を買いたいと挙手した人物です。
君はこの絵にいくらの価値を付けますか?」
総評後に不意に交渉が始まり僕は慌てふためいてしまう。
しかしながら真名との約束があるので僕は気まずそうな表情を浮かべると申し訳無さそうに口を開いた。
「申し訳ありません。買いたいと仰って頂き誠に感謝します。ですが売り先は既に決まっていまして…」
僕の一言で講師陣は残念そうな表情を浮かべている。
しかしながら諦めてはくれ無さそうで一人の講師が挙手をする。
「倍額払う」
「私はその倍でも良い」
「失礼。個人情報だと思うので詳しくは言えないと思うのですが…売り先は?」
教授の言葉に僕は照れくさそうな表情を浮かべると事実を口にした。
「恋人にです。
恋人の家族が僕を支援してくれていて…専用のアトリエまで用意してくれているんです。
世に出す初めての作品は恋人にと約束しているので…
それに今後も売り先はきっと恋人の実家だと思われます」
「ほぉ。既に支援者の存在があると?それに聞く限りかなりの資産家と見受けますが…」
「はい。多田と言う名家の娘さんと交際関係にありまして…」
「………」
そこで講師陣はコソコソと何かを話している様子だった。
僕には話し声など聞こえてこなかったが様子からしてかなり動揺しているようだ。
最終的に厳しい教授が僕にありがたい言葉を口にして今月の総評も幕を閉じるのであった。
「君は恵まれている。
その御方を大事にすることを強くオススメする。
裏切ってはならないし手放してもいけない。
君も分かっていると思うけど…自らの幸運に感謝しなさい。では総評は以上で」
そそくさと帰っていく講師陣に僕は首を傾げたが。
もしかしたら彼らも多田家の誰かと付き合いがあるのかもしれない。
そんなことを思うと僕は作品を持ってキャンパスを後にする。
校門の前まで真名が迎えに来てくれていたので作品を大事に乗せるとそのまま僕は助手席に座った。
「おかえり。このままアトリエで良い?」
「はい。教授に絵の価値を聞きそびれたんですけど…六名の講師陣に買いたいと言われました」
「凄いじゃん。じゃあ一名に付き十万ってことで。六十万で買うよ」
「かなり高額なので…申し訳ない気持ちでいっぱいです…簡単には受け取れないですよ」
「それでも正当報酬額だと思うけど?」
「いや…でも…一学生ですし…」
「わかった。じゃあ私の学生時代に使っていて今は殆ど使用していない通帳に六十万貯金しておくよ。いつかの二人の将来で使うお金ってことなら…良いでしょ?」
「………。はい…それなら…はい。ありがとうございます」
「やったぁ♡これで亮平くんの作品を初めて買ったのは私ってことね」
「もちろんです。僕のこれからの作品も多田家の方々に買ってもらいたいというか…そのつもりでいます。これだけお世話になっていますし」
「そうなの?
そんな事は気にしないでいいけどな。
私は亮平くんの絵が沢山の人の目に触れて欲しいと願っているよ…。
あぁ…そうか。
多田家で買って個展を開けばいいのね。それは良い案だわ」
真名は勝手に納得すると僕と絵を乗せてアトリエへと急ぐのであった。
刑務所の冷たい床で私は過去を振り返っていた。
亮平と付き合う前から経験済みであった私は彼に必要以上に迫ったことは確かだった。
野田家の母親は厳しい人だったことを覚えている。
部屋で二人きりになる場合は必ずドアを開けておかないといけなかったし。
一時間毎に見回りのように部屋を訪れてきたのも記憶の中で存在していた。
どれだけ過保護な母親なのだと内心呆れていたが…。
今となってみれば…
あれが正しい判断だったのだろう。
息子を守ると同時に息子の恋人の事も守っていたのだ。
今になれば分かる。
私が成人するまで待っていれば現状とは180度違う未来が待っていたはずだ。
この様な冷たい部屋で過ごしているはずがない。
亮平はしっかりと私を大事にしてくれていたのに…。
そんな後悔が脳裏をかすめるが…
今となっては過去の話でどうしようもなかった。
自らの行いを悔いる以外に方法が見当たらない。
私は今の私の環境で幸せを掴みにいかないといけないのだ。
その幸せは何処に転がっていて、いつやってくるのか…。
それはまだ何一つとして分からない…。
この先も確かに生き続けなければならない。
罪の重さや数を業のように背中に背負いながら…。
時々自らの過去を呪いながら…。
「あんたあれだろ?遠い国で問題を起こした男性だ」
キッチンカーの仕事を初めてから数日で俺の噂を聞きつけた海外の人は野次馬のようにしてやってくる。
「そうだけど…冷やかし?買う気がないなら帰ってくれ」
「どうして?ここに来ちゃいけない理由は?俺の自由だろ?」
「そうだけど…商売の邪魔なんだよ」
「商売?客なんて一人もいないじゃないか」
「これから来るかもしれない。あんたがいると営業の邪魔になる」
「そうかい。じゃあ一枚だけ写真を取らせてくれ。SNSにあげておくよ。ここで食べ物を買うと性病になるって」
「おい!でまかせはやめろ!」
そんな抵抗も虚しく男性はキッチンカーと俺を写真に収めると逃げるようにしてその場を後にする。
海外で勝手もわからない俺は泣き寝入りをするしか出来ない。
力もない俺に何かを起こすような事は出来ない。
この先の人生もずっとこの様な仕打ちにあうのだろうか。
俺はこの先どの様にして道を正していけば良い。
どうすれば世間に認められる。
俺は…
どうしたら…
未だに続く彼ら彼女に待っている罪を精算する為の日常はいつまでも続きそうだ。
現状で野田亮平と多田真名だけが幸せを謳歌している。
それはいつまでもそうなのだろう。
次回予告。
夏休み突入で報道から一年。
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