第4話 うわさ話とごみ袋

 「なあ滝沢」

 「んあ?」

 親友と呼べるただ一人の男、滝沢は僕の呼びかけに間抜けな声で答えた。

 「うちのクラスに櫻井みなみっているだろ」

 「ああ、いるな。それがどうかしたか?」

 「いや、あいつってどういうやつなの?」

 「どういうやつって言われても、見たまんまじゃないのか?美少女で文武両道だが部活動からも委員会からも一歩下がって関わらない。人気は高いし人当たりもいいが、あまりに完璧すぎるせいかいまいちとっつき難い気がして、周りの男どもは狙ってるくせに腰が引けてる。そんな感じだな」

 僕が思うことと対して変わらないことを滝沢は言う。

 「どうした長谷川、お前が他人に興味を持つなんて珍しいな」

 「うーん、興味ってのとはちょっと違うんだけどな」

 「まあ俺たちからしたら手の届かない高嶺の花ってところか。ああいうキャラはヒロインとしての難易度は高いだろうな、フラグびしばし折りまくりっつうか」

 滝沢は二次元専門を公言して憚らないので、こういった比喩を良く使う。だが彼の容姿……肉体言語でこれまで全ての問題を解決してきたようなその容姿の前に、彼の言葉を最後まで聞くものは少ない。従って彼がギャルゲー大好きヲタ野郎で平和主義者という真実は、ほとんど広まっていない。

 「でもあれだぜ、ああいうキャラは大抵何か個人的な問題を抱えてる。そしてその問題を共有し、解決してくれる相手を待っているんだ。普通にやったんじゃ絶対にフラグは立たないね、何かこう特別なイベントを発生させないと隠しルートに入らないってやつ」

 滝沢の言うことはたぶん半分は当たっているだろう。でも違う。個人的な問題というやつは誰もが抱えていて、そう特別なことじゃない。僕も未だに自分がどう生きるべきか、どう進むべきかの指針を見出せないままに生きている。日々の喧騒に没頭してしまえばそんな問題も忘れてしまえるのだけれど、ふとした拍子に自分の覚束なさを、決意という名の後ろ盾がないことを思い出して漠然とした不安感に苛まれるのだ。

 「ライバルは多いぞ」

 「いや、別にそんなんじゃないから」

 「恥ずかしがる必要はないぞ、いいじゃないか当たって砕けたって」

 「本当にそんなんじゃないんだ。しかも砕ける前提かよ」

 「お前は知らないだろうが、一学期に砕けた奴はそれなりにいるぞ」

 「なんでお前がそんなこと知ってんだよ」

 「俺でさえ知ってるんだよ。他人にどんだけ興味ないんだお前は」

 確かに滝沢はクラスで浮き気味である。というか、クラスメイトはもちろん教師でさえも必要以上に近寄ることもない。彼はそんな状況をむしろ好都合だとさえ言ってのける。

 「どっちにしても、そういうことじゃないよ」

 そこまで言って、果たして滝沢にこれまでの一連の事を話すべきなのかどうか、僕は戸惑った。

 「ただなんていうか、色々あってさ」

 「まあいい、どっちに転んでも俺はお前の味方だ長谷川。その点については心配しなくていいからな」

 結局、説明が長くなりそうだったので言わないことに決めた。

 「しかしあれだな、もし生まれ変われるとしたらああいう美少女がいいな、多分人生イージーモードだぞ」

 「まあ確かにお前の人生はここまでベリーハードだったかも知れないけど、イージーモードは言いすぎだろ。あれはあれで色々あるのかも知れんぜ?」

 「それは持てる者の憂鬱ってだけで、持たざる者の苦悩とは比べられんよ。そういう点を鑑みれば、やっぱりこの世の中に神様なんていないんだ」

 「どうだろうな。不平等の中で努力する姿が見たいとか思ってんのかも知れないぞ」

 「そんな神様はイヤだ。人の苦しむ姿を黙って見てるとか何様のつもりだよ」

 「神様だろ」

 「コントかよ」

 話がいい感じに逸れて行ったので、滝沢との雑談の中から櫻井みなみの影は薄らいでいった。たぶん滝沢の言うとおりに、彼女は何か個人的な問題を抱えている。そして僕は知らずに踏み込みそうになっている。彼女が周囲に打ち解けようとすることを拒むくらいに深い何かに。

 雑談を終えて滝沢が自席に戻ると、僕の周囲に人が戻ってくる。それほどまでに滝沢にかけられた誤解の威力は強い。

 「ね、長谷川くん」

 前の席に戻ってきた女子が、好奇心を隠せない顔で僕に話しかけてきた。

 「うん?」

 「滝沢くんのこと怖くないんだ」

 「ああ、別に」

 「勇気あるね」

 「そんなことないよ、普通だよ」

 滝沢のことを悪く言われるのは、全く好きではない。何も知らないくせに、知ろうとしないくせに勝手なことばかり吹聴するのは腹が立つ。だがそうやって憤る僕に滝沢はいいから放っておけ、仕方のないことだし関わるだけ時間の無駄だと笑うのだ。だから僕も、彼を真似て他人の悪口を言う連中とは深く関わらないようにしている。なので、僕は僕の中に存在しない【勇気】を否定するに留めて、この女子に対しての悪印象を心の中から排除した。滝沢の本当のことを知る機会がなければ、こういった反応も仕方のないことなんだ。この子が悪いわけじゃない、タイミングがズレているんだけなんだ。

 「でさ、長谷川くんって今彼女いるの?」

 「いないよ」

 「ふーん、そうなんだ……ね、どんなタイプが好み?」

 「贅沢言える身分じゃないからなー。可愛い子が好みだけど、そんなの普通だろ」

 僕はひとつため息をついた。

 「そだね。長谷川くんってあんまり前に出ないタイプっぽいから、元気に引っ張ってくれる子なんかいいんじゃない?」

 「そうかもね。でもまだよく判んないんだよな、そういうの」

 「ふーん……でもほら、夏休みの間に割とカップル成立してんのようちのクラス。花火大会で盛り上がっちゃってさ。長谷川くん来なかったでしょ」

 「ああ、田舎に行ってたから」

 これは嘘だ。地元の花火大会見学にクラスの仲間で行こうとお誘いのメールが飛んで来たのは知っていたが、一学期の間に構成されていた複数の仲良しグループのどこにも所属しようとしていなかった僕は、間抜け面でのこのこ出かけて行った先で身の置き場がなくなるだろう事態を予想し、不参加を決め込んだのだ。

 「綺麗だったよ花火。来なかったのって男子は長谷川くんと滝沢くん、女子は櫻井さんくらいだったかな」

 「意外だね、櫻井行かなかったんだ」

 「一部男子のやる気が目に見えてダウンして面白かったよー。むしろそれ見て女子が盛り上がっちゃってさ。浴衣姿は伊達じゃない、今こそチャンスってね」

 それでもこのクラスの人間が割とまともな人間ばかりだと思うのは、きっちり僕も滝沢も誘うだけは誘っていることだと思う。仲間外れにしようと思えば簡単にできるのに、それをせずにとりあえず機会だけは平等に用意しようというその意思は立派だ。まあ滝沢については、ボディーガード代わりに誘ったのだろうと言うことは容易に想像がつくのだけれど。

 しかしまたここで櫻井みなみの名前が出てくる。頭の奥が微かに痛んだような気がして、僕は軽く首を振った。

 「まああれだね、次はまだ相手がいない人たち中心で何かするつもりから、是非参加してよ。長谷川くんに興味ある子もそこそこいるんだよ」

 「本当かなぁ、社交辞令じゃないの?」

 「まあそうかも知れないけどね、名前が出るって言うのは悪くない事なんだし、若さと勢いでくっついちゃってもいいと思うよ。別に将来を誓えってわけじゃないし」

 まるでお見合い斡旋おばさんみたいなことを言うな、と身振り手振りを駆使して喋る女子を僕は苦笑しながら眺め、そういえばこの子の名前はなんだろうと考えていた。

 「縁あってせっかく同じクラスになったんだから、そういうの苦手だったらゴメンだけど、色々と楽しくやろうよ。無理に付き合えとまでは言わないからさ」

 「ありがとう、気を使わせちゃって悪いね」

 「なんもなんも。みんな仲良しなクラスを作るっていうのが、あたしの大いなる野望なんだよ」

 ああそうだ、この子は確か大和田睦美とかいう名前だった。常に元気な様子で教室を跳ね回っている、表情のくるくる変わる面白い子だ。

 「でも、あたしの真の野望はね」

 大和田はわざと眉をひそめて声を抑える。

 「滝沢くんと仲良くなることなんだわ」

 「滝沢と?」

 「彼見た目怖いけど、全然そういう素振りないでしょ。長谷川くんと話してるの見ると結構笑ってるし、提出物もちゃんと出してるし」

 「なるほど」

 よく見てるな、と僕は感心した。と同時に、恐らく僕も彼女やクラスメイト達の観察対象になっているのだろうと考えると、ちょっと空恐ろしくなる。変なところを見られてはいないだろうか?

 「まぁあいつはいい奴だし、仲良くなるのは難しくないと思うよ」

 「そうなのかな、でも彼って長谷川くん以外にはあんまり関わらないようにしてるじゃない?だからね、今度さ……あっ先生来た」

 授業開始のチャイムが鳴り、教師が教室へと入ってくる。僕は慌てて教科書とノートを机の中から取り出して並べ、大和田は黒板に向かって座り直した。僕の未来はまだまだ行き先のはっきりしない船のように、学業と言う名の海に出る。そして今日も僕は舟を漕ぐ。




 「ハセガワくん」

 大きく膨らんだ半透明ごみ袋を持った櫻井みなみが僕に声をかけたのは、数日経った掃除の時間だった。

 「あん?」

 間抜けな返事を返す僕。

 「ごみ、捨ててきてね」

 「はいはい」

 僕は持っていた箒と引き換えにごみ袋を受け取った。校舎裏の焼却炉脇にごみの集積小屋があるので、そこにごみ袋を放り込んでくるだけの簡単なお仕事だ。そこそこ距離があるので時間がかかるためサボりたい人間には大人気のお仕事なのだが、僕が任されるのは実に久方ぶりだ。

 下駄箱で上履きと外履きを履き替え、秋の空を見上げながらのんびりと歩く。少し涼しくなってきたので、風が心地良い。

 ここで普通の生徒なら、敢えて直行はせず遠回りのルートを選ぶ。それはまぁ、往復に時間をかけている間に掃除そのものが終わって欲しいという期待からの行動で、御多分に漏れず僕も普段はそうしていた。

 しかしその日の僕は違う決断を下した。校舎沿いに最短ルートを選んだのだ。このルートは廊下からまる見えであるために、意識的な遅延行為が全く取れない不人気ルートである。運動部が使う水場があるくらいで、遠回りルートのように何故か途中自動販売機が設置されているということもない。

 まぁたまにはいいじゃん、と自分に語りかけて僕は最短ルートを歩き出す。

 ちらり、とスニーカーの靴紐が緩んでいるのが視界の端に映った。僕はひとつため息をついて、その場に屈んできゅっと締め直す。するとその時突然に耳障りな甲高い音が響き渡り、僕の数メートル先の窓ガラスが何の前触れもなく砕け散った。鋭い破片がまるで鋭い雨のように辺りへ降り注ぐ。

 きゃーっと複数の女子が上げた絹を裂くような悲鳴が響き、少し遅れて男子生徒の驚く声も届く。

 「うわわっ」

 避けようとして思わず転びそうになる僕。キャラキャラとまるでファンタジックな音が鳴るが、その下にいたらスプラッタだ。割れたガラス窓に顔を向けると、しまったという顔をした男子生徒たちがこちらを覗いていた。悲鳴と音に気付いた教師がばらばらと集まってきて、どうしたんだ何があったんだと口々に喚く。バランスを崩した僕は、前のめりに転びはしなかったがうまく体勢を整えることができずに尻もちをついてしまった。

 「なんでガラスが割れてる!?」

 「黒木君たちが廊下で遊んでました!」

 割れた窓から、廊下側の声がよく届く。

 「すっすいません、片づけます……」

 「馬鹿、触ったら危ないぞ!今、用務員さん呼ぶから近寄るな!……割ったのは誰だ?」

 「阿部君と黒木君と中野君です」

 「割ったのは黒木です」

 言葉の応酬で事情はなんとなく理解できてはきたが、まぁ誰が関与したとか責任は誰だとかいう話については僕は全く関係がない。

 「そこの君、大丈夫か」

 体育教師が駆け寄って、尻もちをついたままの僕の手を引いて立たせる。僕はふうとひとつため息をついて、服の埃をぱたぱたと払った。

 「大丈夫です」

 「危なかったなー」

 割と広範囲にわたって撒き散らされたガラスの破片には手の平大のものもあって、真下にいたとしたら確実に大怪我を負っていただろう。

 「他に巻き込まれた者はいなさそうだな。とにかく怪我がなくて何よりだ」

 「はい」

 「……ごみ捨てか。捨てといてやろうか?」

 体育教師は僕の傍らに佇む半透明ごみ袋を一瞥してそう言ってくれた。

 「いえ、大丈夫です」

 もしあの時緩んだ靴紐が目に入らなかったら。そう考えるとゾッと背筋が寒くなったが、そろそろ戻らないとホームルームに間に合わなくなるので僕はごみ袋を掴んで集積小屋へ走り、袋を放り込んでから急いで下駄箱へ向かった。ガラス破損現場では教師が声を張り上げて誰かを叱っており、その内容を聞くにどうも雑巾と箒で野球の真似事をしていた結果の惨事ということのようだった。

 靴を履き替えて教室に戻る。掃除は既に終わっていて、皆自分の席に戻り始めていた。

 「遅かったけど、大丈夫だった?」

 「そうかな?ごみ捨てなんていつもこんな時間じゃないかな」

 櫻井みなみの質問に答えながら、僕は違和感を覚えていた。

 「そう、でも怪我がなくて良かったわ」

 さらりと言って櫻井みなみは自席に戻った。僕はこのもやもやとした感触が一体何なのかについて考えを巡らせてみる。ホームルームではなにやら教師が言っていたが、僕の耳には全く届いてこなかった。

 「何かあったの?」

 大和田睦美が帰り際に振り返ってそんなことを聞いた。

 「ああ、いやなに、ごみ捨てに行ったら廊下の窓ガラスを割った馬鹿がいてさ。危なく破片で怪我するとこだったんだ」

 「うっそ何それ、危ないね!それでびっくりしてまだぼーっとしてるんだ?」

 「まぁそんなとこ」

 大和田の質問を適当にやり過ごしながら、僕は窓の外に目を向けた。とっとと帰ることの方が僕には重要なのだ、こんな違和感など捨ててしまえ。そう無理に思い込んで、目を逸らすことにした。今はまだ追及しても良い結果は出ない、そんな風に思えたからだ。

 夕焼けに染まる雲を眺めているうちに、僕はガラスに映る鋭い視線に気づいた。間違いない、これは櫻井みなみだ。彼女のあの漆黒の瞳が僕を凝視している気配がする。何かを探るような、何かを恐れているような、そんなあまり愉快とは言えない部類の視線のように思えたので、僕は気づかないふりをして机の中に手を突っ込み、教科書やらノートやらを取り出して帰る支度を始めた。それでも反射する視線の圧力は途絶えることがなかったが、僕は一つため息をついて腰を上げ、教室を見回す。

 そこにはもう、誰の姿もなかった。えっ?じゃあ今感じていた視線はなんだろう?気のせいだったのか?

 そして僕は、先ほどから感じていた違和感に辿り着いた。


 『遅かったけど、大丈夫だった?』

 『そう、でも怪我がなくて良かったわ』


 櫻井みなみはまず【大丈夫だった?】と訊いた。遅かったね、ではなくその遅さに何か理由があると確信していたのだ。そして【怪我がなくて良かったわ】とも言った。どうして怪我を負う可能性があったと思ったんだ?

 あの様子を見た限り、廊下での事故は偶発的なもののはずだ。そして僕がいつも通りに遠回りをしていたなら、そんな場面に出くわすこともない。何より、アクシデントに巻き込まれてはいたが普段のごみ捨てと要した時間については大差ない。そして大和田の反応からして、クラスの連中はあの事故に気づいていない。

 なのに櫻井みなみはまるで、僕の身に何が起こり得るのかを事前に知っていたかのように、そして答え合わせをするかのように声をかけて来たのだ。

 違和感の正体については納得できたが、そこから先に考えを巡らすにはまだ何か重要なピースが足りないな、と僕は思った。この状態では、まだ扉は開かない……

 いささか混乱したまま僕は家路へ就いた。まだ神経が昂っているだけなんだろうか?とにかく、帰って落ち着きたくて、僕はいつも以上のスピードで自転車を走らせた。


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