第2話 勇者、愚痴る。

 ◇



「かつては俺にも、学校に通いたいと思っていた時期がありました」


 久々に訪れたヴァリアント王国の城下町ジャイロの酒場で、色とりどりに並ぶ掲示物をぼんやり見上げたまま、俺はいつの間にか煩悩にまみれた独り言を溢していた。


「……」


 ガヤガヤと賑わうそこでは、俺の呟きなどあってないもの。無論、聞いている奴など一人もいない。


 十八歳の誕生日を明日に控えていた俺は、自分へのご褒美用に買った甘菓子や、今日の晩飯用の食材入り買い物袋を両手に引っ提げたまま、スンとした顔つきで、引き続き目前にある掲示物の内容を目で追った。


 最近できたばかりの冒険者養成学校の生徒募集のビラや、各ギルドの求人案内やクエスト募集記事諸々だ。


 近年――今から二年ぐらい前の話だろうか――かつて勇者に討ち滅ぼされた魔王が復活したという『噂』が流れてからというもの、来たる魔王軍の襲来に備え、城下町では冒険者や戦闘職、あるいは魔物討伐職スレイヤーを育成する民間運営スクールが乱立し、それに伴い、冒険者専用ギルドの数も恐ろしいぐらいに急増している。


 専門の育成機関を経て『冒険者免許』を取得しなければ自由に世界を飛び回れないし、スレイヤーに関するランクやスキルを習得しなければ、魔物討伐に関する仕事への選択肢も狭まってしまうから、その理屈はわかるのだが。


(いやしかし無理だな。どこもかしこも高すぎんだろコレ)


(なんなんだよふざけた入学金は……? 施設費で150万ベニー、教材費だけで70万ベニー? んでもってメイン教師は『当校出身・王都で人気の世界を歩く冒険者ワイルドマン』とか聞いたことねえし、こいつら冒険者養成学校でいったい何を育てたいんだよ……ぼったくりもいいところじゃねえか)


(しかもこっちのギルドは『〝優良〟スクール出身者のみ応募可/面接料3万ベニー/内定後、ギルド契約者には我がギルド専用の〝優良〟 案件クエストのみご紹介します!』とか……)


(意味わっかんね)


(そもそもこういう見てくれがいいだけのお上品な養成学校が蔓延るから、本格志向の冒険者やスレイヤーが育たねえんだし、優良学校出身者が冒険よりもビジネスに注力して民間ギルドを乱立させて身内雇用ばっかりしてるから、本当に実力のある冒険者やスレイヤー達が上手いこと活躍できずに埋もれていっちまうんだっての)


(……)


(こんなんじゃ……勇者なんて誰もやりたがらない)


(これじゃ、世界なんて救えねえよ)


 入学願書を出す予定があるわけでもないのに、まるでその筋の専門家のような厳しい目線でビラに脳内ダメ出しをする俺。負け犬の遠吠えであることは自覚していたが、別に誰に迷惑をかけるわけでもないので、脳内で愚痴るぐらいの暴挙は許してほしかった。


 一人、世の無情を虚しく嘆いていると、恰幅の良いおっちゃんがカウンター越しに戻ってきた。


「お、待たせたねアッシュ。これこれ。これが『ロイヤルスプラッシュ』十八から飲める酒だ。度数もそんなにキツくないし悪酔いしないからオススメだよ」


「お、サンキュー。悪いなおっちゃん」


「いやあ。それにしてもエヴァンズ家の長男ももう十八かあ。早ぇモンだな。親父さんが生きてたら、きっと泣きながら祝杯あげてたぞ」


「正確な誕生日は明日だけどな。まあ、酒好きな親父だったし化けて出られても困るから、明日、墓参りしてこれ浴びせとく」


「おー。それがいい。にしてもアッシュ、おめえさん相変わらず学校には通ってないんかい?」


 悪気なく聞いてくるおっちゃん。俺はなんとなく目を逸らして、不器用に笑いながら答える。


「今さらすぎんだろー。こういう養成学校なんてのは将来性重視して早くて七、八歳から、今乱立してる民間運営のスクールでも十二、三とか……どんなに遅くても十五には入所してんのが一般的だし、俺みたいな十八から通おうだなんて遅咲きの奴、そうそういねえよ」


「そうかねえ……。いくつになっても遅くはないと思うし、国営や老舗なら年齢制限ないところもあるとは思うんだが……」


「まあな。でも仮にそんな養成学校があったとしても暇も金もねえし。弟たちの学費の方が心配だから、俺は働くよ」


「アッシュ……」


 おっちゃんは眉を下げて、俺を憐れんだ。


「いやそんな目で見るなって。俺が憐れな子みてえじゃねえか」


「お前充分憐れな子だろう。長男ってだけで年端もいかないうちから幼い弟たちの面倒見る羽目になって学校にも行けずに働いて、挙句に彼女もいない童貞とか終わってる」


「うるせえ。全文同意してやるから蛇足すぎる最後の一文だけは取り消せ今すぐに」


「なんだ図星か。まあ、いい女は皆魔王軍に取られちまうからなあ、しょうがないわな」


「……」


 おっちゃんの言うとおり、この世界には今、圧倒的に女が少ない。少ないというよりも、魔王軍に囚われて隔絶されてしまっているといった方が正しいかもしれない。


 魔族の血筋を持つ者は十中八九、男児を産む。恐ろしいぐらいの男系種族だ。そのため、魔王軍は人間の女を攫い、魔界に連れ帰っては魔族の子を孕ませ、それを子孫繁栄の手段としている。


 残酷な世界。それが、魔王の脅威に晒された今のこの世界の現実だ。


 俺が一人、連れ去られたお袋や片思いの女の顔を思い浮かべてその現実に憤っていると、おっちゃんが場をとりなすように明るい声で話題を変えた。


「なんか暗い話になっちまったな。あー……えっと、アッ! そうそう! 常連のデビットがな、十八になったお前さんに、なにやら渡したいものがあるって言ってたぞ」


「デビットって……ああ、親父の昔のパーティ仲間か」


「そうそう。今は王国軍の旅団の総本部にいるっつってたかな。そこそこいい役回りについてるくせに本部で腰を据えずにあちこち飛び回ってっから、次いつジャイロに戻ってくるのかはわからないんだけども。お前が十八になった暁には絶対戻るから、その時はお前に会わせろって」


「めんどくせー。学校いけ、勉強しろ、精神を鍛えるためにも剣を握れってどうせまた小言か説教だろ? パス。……じゃ、俺、帰って悪ガキ共の世話があっから」


「まあまあそう言わず。次に来たときにお前の現状も話しておくからさ、せめて顔だけでも……」


 おっちゃんが行きかける俺を宥めるように引き留めた時のことだった。


 ――ガシャン!!


「おうおうおう兄ちゃんよ、優良冒険者様に向かって生意気なクチ叩いてんじゃねえぞ?」


 グラスや酒瓶の割れる音が響き、ランチや歓談で賑わっていたその場は、男のがなり声で水を打ったように静まり返った。

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