洋菓子店のショートケーキ

犀川 よう

洋菓子店のショートケーキ

 一軒家の我が家から外を見ると、夫が亡くなったというのに、すばらしい青空が広がっていた。暑くもなく寒くもない、鳥の鳴き声すら子守唄にきこえる、快適でおだやかな午後だった。棺桶のドライアイスを補充するために、私は葬儀業者が手配したドライアイスの入った発泡スチロールの箱を開けると、中から一枚の紙をみつけた。見てみると、そこには近所にある洋菓子店の名前と住所が書かれていた。どうしてこんなところに入っているのかはわからなかったが、少しだけ気になって、喪服のまま、その洋菓子店に行ってみることにした。夫がそこのショートケーキが好きなのを思い出したからだった。線香の守りを息子に頼むと、喪服に合う靴をさがして家を後にした。

 その洋菓子店には、平日とはいえ、誰も客がいなかった。この時間であれば、いつもなら数人の客は途切れることはないのに、今日は本当に誰もいなかった、お客さんを待つケーキたちだけがショーケースにお行儀よく並べられ、堂々とした容姿のモンブランと美しいチョコレートケーキの合間に、もうしわけなさそうにショートケーキが二つだけ置かれていた。ショートケーキの上にある苺のヘタが、モンブランにぶつからぬよう、少しだけしおれていて、その気弱さを表していた。

「あら。奥様ではないですか」

「こんにちは。実は、こんなものがありまして」

 店の主人である太った中年女性が奥から出てくると、私は先程の紙を見せた。女性はそれを受け取ると、表情を崩すことなく私を見てから、目を閉じた。

 数秒の後、主人は私の夫に対して、型通りのお悔やみを言うと、店の自動ドアから外に出て、シャッターを下しはじめた。まだ午後三時という、洋菓子店にとっては忙しい時間帯であるはずなのに、主人は何のためらいもなく、シャッターを完全に下しきってしまった。私はショーケースの前で、ただ茫然とそれを見ていた。そして、閉じこめられてしまった自分のことよりも、このケーキたちのことを心配してしまった。一番上の段にある、威勢のよかったシュークリームの生地が、心なしか元気がなくなってしまったように見えた。

「いったい、どうしたのかしら?」

 私がそう言うと、主人は神妙な面持ちで私に告げた。

「旦那さまを、生き返らせたくはありませんか?」

「えっ。どういうことかしら」

 私の驚きの声など無視するかのように、主人は私の手を握って、店の奥へと連れていった。


 店の奥には、店内にあるものと同じショーケースがあった。それは上下三段のもので、照明がついていないのでよくわからないが、人の脳のような形をしているものが、ホール台の上に置かれているようだった。

「旦那さまには、この店のショートケーキをとてもにしていただいておりました。ですので、この脳みその中から一つだけ選んでいただき、あなたが旦那さまに合うのを当てましたら、旦那さまを生き返らせたく思います」

 私は通夜の寝不足で、自分が何か間違った世界の住人になってしまったのではないかと思ったが、主人のでっぷりとした容姿も、肺や気管が押しつぶされたような声も間違いなく、現実のものだった。主人が言っていることを理解するには十分なほど、主人の存在は絶対的で、あのモンブランの作者であることを信じて疑わせなかった。

 私はとりあえず、ショーケースに並ぶ脳みそとやらを眺めてみた。一番上の段の右から下の左端まで、まずは違いを確認しようとした。だが、どれを見ても、形や色、に違いはなかった。薄暗い中では、色合いの違いもわからず、ただ、脳みそといわれるものが並んでいるようにしか、私には見えなかった。

「どれか一つだけが、正解なのですね?」

「そうです。間違えたら、旦那さまは二度と帰ってくることはありません。ですので、どうか慎重にお選びください」

 主人は私に期待するような表情を向けた後、動かずにじっと待っていた。これだけの巨体が動かないということに、私は不思議な安らぎを覚えることができた。あふれるばかりの肉塊が静止している様を見ると、夫の死よりも現実的な死を見ているようで、主人が言う通りに、夫が帰ってきてもおかしくないような気がしてきた。

 私はどれも同じに見える脳みそたちを、もう一度、そっと眺めてみた。どれだけ厳しく、または旦那を思って愛おしく見守ってみても、それらには、何も違いを見出せなかった。

 私は確信など何もなかったが、夫の好きだったショートケーキがあった場所の脳みそを選んだ。

「これにします」

 私のその一言に、一時停止していた主人は、「それは良いものを選ばれました」と、笑顔で応じた。


「これは、脳みそチャレンジの賞品です。旦那さまとお食べになってくださいね」

 店を出る前、主人はそう言うと、あの二つのショートケーキを渡してくれた。箱に入れてくれる前に、そのショートケーキ見ると、元気のなかった苺たちは、まるで生きているかのように輝いていた。

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洋菓子店のショートケーキ 犀川 よう @eowpihrfoiw

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