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それから僕らは楽しく好き勝手に歌っていた。各々好きな曲を歌ったり、前の曲と関連したのを歌ったり、メドレーを二人で歌ったりもしていた。

途中から声がカスカスになって高音が出なくなってきたけれど、気にせずに歌い続けた。

そんなことをしていると時間はあっという間に過ぎていって、気が付けばもう部屋から出る時間になっていた。

延長するかどうか少し悩んだけれど、そこそこ歌えて満足したし、ていうかもう喉がだいぶ限界だし、今日はこの辺でお開きとすることにした。

それから店を出ると、夏特有のもわっとした空気に包まれて、一瞬にして汗をかきそうだったので、僕らはさっさと車に戻った。けれど、それは甘い考えだったらしい。

「あっつ...」

「うひゃー、あっつい」

まぁ当然と言えば当然だけれど、この炎天下の中放置されてた車は、外よりももっと暑かった。それはもう、地獄と形容できるほどに。

僕は走る前にとりあえず、この死ぬほど暑い車の中を冷やすためにあれこれ色んな事をした。

エンジンかけて、クーラーを最低温度にしたり、窓を開けたり、まぁ色々としているうちに、暑さはだいぶマシになってきた。

それからその作業もちょうど終わったタイミングで、助手席に座っていた友梨佳が話しかけてきた。

笑顔とも真顔とも言えない、どうにも調子の狂うような表情をした彼女は、なんか、僕が作業を終えるのを待ち構えてたみたいだった。

「ねぇねぇ、蓮」

「もう一個行きたいとこがあるんだけどさ、いい?」

「え?」

話の内容としては、もう一か所行きたいところがあるという事だった。確かにまぁ、まだ夕方だし、車のレンタル時間はまだ残ってるし、滅茶苦茶遠いところでもなければ、別に行けるだろう。

特に断る理由もないし、このまま帰ってもやることないし、まぁいいか。

「いいよ、どこ?」

と聞いて、僕は友梨佳がカーナビをセットするのを待った。だけど彼女は、手を浮かしたものの、しばらく、呆然とするように止まったあと、結局手を膝の上に置いて。

「あー...次のとこはさ、ナビつけないでいい?私が案内するからさ」

「え?」

ナビをつけないってことは、口で案内するってことだろう。

いや、なんでだ?

だって、ナビをセットしないってことは、考えられるのは大体二つ。

そもそも登録されていないくらいにマイナーな場所か、それとも。

僕に行く先を、知られたくないかだ。

どっちが正解なのか、それとも他に理由があるのかは分からない。それに、これを問い詰めていいのかもわからない。

そうして僕はフリーズしていると、友梨佳は頭をぽりぽりと掻きながら、軽く笑って。

「...いや、あんまり知られてない所だしさ」

「...まぁ、いいけど」

「ありがと」

正直、わざわざ口で案内する理由が何なのかなんて、僕にはわからなかったし、そもそも理由なんてなんだっていい、って思い始めていた。

どこに行くかなんて、知らなくったっていい。考えるのも、何か面倒だし。

そう思いながら、僕は車を走らせて、駐車場から出た。




彼女の道案内を受けながら、僕は車を走らせる。ちなみに今僕らが走っているのは、ちょっとした大通りだ。車もそこそこ多い。

「じゃあ...次の信号を右、んでそっから真っすぐ」

「へいへい」

言われた通り、車線を変えて、信号を右に曲がると、大通りからは少し外れて、ちょっと小さな道へと出る。

「真っすぐ行ったら突き当たりで左曲がって」

「あいよ」

「んでそっからワープゾーン入って」

「は?」

「ごめんごめん、冗談だってば」

時折出てくる謎の案内を躱しながら、僕は彼女の言う通りに進む。すると車はどんどんと僕のまったく知らない、それこそ地元の人しか知らないような狭い道に入っていって、その道をずんずんと進んでいく。ほんとに狭くて運転しづらい。

ていうかふと僕が彼女を見ると、行くときみたいに帽子とサングラスをかけて、変装をしていた。

いや、結局するんかい。

それから、どれくらい走っただろうか。その狭い道の向こう側、抜け出した先が見えた時、僕は、ブレーキをかけた。

今まで、僕はどこに向かっているのか、いまいち分かっていなかった。

それはあんまり深く考えていなかったのもそうだが、何よりまったく知らない道を走っているからというのが大きかった。

だけど、今、分かってしまった。

僕は知らない道を走っていたんじゃない、わざと知らない道をいたんだ。

わざわざ遠回りなのにこんなに狭い、通りにくい道を通って、僕に行く先を悟られない様に。

「蓮?」

「...友梨佳」

「今日はさ、やっぱり帰らな」

僕がそう口走ろうとした途端、彼女は指で僕の口を押えてきた。

まるで、逃げるなんて駄目だ、とでも言わんばかりに。

「蓮」

「今日は私の言うところに連れてってくれるんだよね?」

僕は、彼女のその言葉に、何も返せなかった。僕の言ったことだから、何にも言い返せなくて、けれどには行きたくなくて。

ただ首を横に振って、拒否する事しかできなかった。

それからしばらく、僕は車を止めていた。隣の彼女は、急かすこともなく、何も言わなかった。

そうしていると、いつのまにか後ろにきていた車にクラクションを鳴らされて、結局通りに出ることになった。

それから通りに出ると、僕は適当な道路の端に車を止めた。はまだ少し先だけど。

別に、このまま友梨佳を押し切って、無理やり帰るという選択肢もあっただろう、けれど、僕にはそんなことができなかった。

もしそんなことをして、また彼女に嫌われたら?あの時みたいに喧嘩をして、そして今度はもう、仲直りなんてできなかったら?

僕はどうしても、そういう風に考えてしまう。

しかし、僕はに行く勇気もない。だから、止まった。

そうするしかなかった。

「蓮」

「歩こっか」

でも、友梨佳はそれを許してはくれなかった。

彼女は車のドアを開けて歩道に出ると、急かすように僕に向かって手招きをしてきた。

僕は彼女に逆らうこともできず、ただただ黙って車から出て、彼女の元に駆け寄る。

そして、友梨佳は近くに寄ってきた僕を一瞥すると、そのまま僕の手をつないで、何も言わずに歩き始めた。

それから僕らは、迷うことなく進んでいく。

僕は止まることこそ無かった、だけれどそれは彼女に手を握られていたからだ。

一歩、一歩を進めるたびに、気分が、足が、ずんずんと重くなっていく。それなのに歩くペースはやけに早いように感じられて、それでも足は重くなっていって、もうわけがわからない。

とにかくこの感覚を少しでも紛らわせたくて、僕はぎゅっと彼女の手を握った。

今すぐにでも、後ろを振り向いて、そのまま走って行きたい。でも、そんなことをしたら。

それから、しばらく歩いた僕らは、とうとうそこにたどり着いた、たどり着いてしまった。

そこは、ぱっと見はなんの変哲もない、ただの車通りの多いだけのただの道だ。

だけど、一つだけ異質なのは、その道にある電柱の下に。

多くの花や、お菓子が添えられていたことだった。

お供え物の多さは、それを向けられた人物が、どれだけ沢山の人に愛されていたかを示しているようだった。

「なんか、私が来ると変な感じするね」

彼女はゆっくりと、しかしはっきりと、僕に言い聞かせるように、言う。

「...私、ここで死んだんだ」

聞いた瞬間、僕の中の何かが切れた。

なんで、彼女はこんなところに来た?

なんで、彼女は唐突にデートを提案した?

あの変装の意味は?

何でわざわざ車を借りた?

堰を切ったように、とにかく色んな疑問が出てきて、止まらなかった。どれから聞けばいいのかわからないし、そもそもどれが一番重要なのか、何にもわからない。

ただ分からない事ばっかりが頭の中を回って、止まらない。その中で、僕は懸命に言葉を探す。

「なんでっ...なんで...こんなところ...」

すると彼女は、少し黙って、僕に背中を見せて。

「...蓮はさ」

ぽつり、と話し始めた。強い意志の宿った、静かな声で。

「さっき、言ってくれたよね、私がいてくれれば、それでいいって」

「私、そう言われて、すっごく嬉しかった」

「...けどね」

「蓮はもう、向き合わなくちゃいけない、私から、離れなきゃいけない」

「だって...」

「私はもう、死んでるんだから」

友梨佳に言われて、僕は気づいた、いや、気づいてしまった。

彼女の言葉の裏に隠された、一つの意図に。

僕はずっとずっと、勘違いをしていた。目を、逸らし続けていた。

彼女は僕のそばにいてくれるって、思ってた。

これからも、一緒にいてくれて。

一緒にご飯を食べて。

一緒にゲームなんかして。

一緒に色んな事を話し合って。

一緒に笑い合える。

そんな、なんでもない日々がこれからも続くって、いつまでも続いていくって、心のどこかで信じていた、願っていた。でも。

「蓮」

友梨佳は、茫然としている僕の手を握ってきた。

彼女の手は、暖かくて、柔らかくて、滑らかで、そして。

――もう、何も感じられないほどに、軽かった。

「友梨佳...」

思わず、名前を呼んでいた。

けれど、先が出てこない。この先、彼女への言葉が。

僕は、何が言いたいんだ、何を言えば?

友梨佳への思い、今伝えたい、伝えなくちゃいけないこと。彼女への、この世でたった一人の、彼女への言葉。初めて僕を見てくれた、初めて一緒に居たいって、ずっと一緒に過ごしたいって思えた彼女への、言葉。一言、たった一言を。

早く、早くしないといけないのに、こんな時に限って、言葉が何も見つからない。

言うべきことがわからなくて、焦りばかりが募って、喉の奥に、空気の塊が詰まったみたいになって、うまく息を吸えない。

嫌だ、嫌だ。

何が言いたい、何を言えばいいんだ。どうすれば、彼女は僕と、僕と一緒に。

「...いかないで」

――それは、僕の人生できっと初めての、心からの願いをこめた言葉だった。

そして僕は、ぎゅっと彼女の手を握る。

少しでも、強く、彼女に触れていたかった。まだここにいるってことを、実感したかった。

「蓮」

かすかに感じた、手が握り返される感触。暖かくて、柔らかくて、どこか安心する感覚。

それでも僕は、彼女の顔を見れなかった。

見てしまったら、察してしまうだろうから。

彼女が、次に口にするであろう、言葉。

僕が今、最も聞きたくない言葉が。

「...ごめんね」

頭が、立ち眩みをした時みたいにくらりとした。

聞きたくなかった、分かりたくなかった、一つの事実。頭は真っ白なのに、それだけが理解できてしまって。

ああ、そうなんだ。

僕はもう、友梨佳と――

「いっ...嫌だっ...嫌だ...」

もうわかったはずなのに、もう駄目なはずなのに。

それでも僕は、友梨佳の手に縋るしかなかった。

ぎゅっと、彼女の手を握る。手の中にあるわずかな感触はまるで、彼女がここにいると証明してくれているようで。

それをもっと感じたくて、僕は。

周りなんて気にせずに。

時も場所も顧みず。

彼女の顔なんて見向きもせず。

彼女の感覚が欲しい、ただそれだけの理由で。

僕は友梨佳に、抱き着いた。

彼女は、僕を抱きしめ返してはくれなかった。

けれど、拒絶をすることもなかった。

ただ何もすることなく、受け入れてくれた。

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