「デートをしよう」

「はぁ?」

彼女がそう言ってきたのは、旅行が終わって二日ほど経ち、そろそろ疲れも抜けてきたかという頃だった。

「いやいや、一昨日帰ってきたばっかじゃん、またどっか行くの?」

僕はそう言って、朝ごはんのトーストをかじる。でも今は味よりも、会話の方に意識がいってしまう。

「いーじゃんいーじゃん、せっかくの夏休みなんだし、遊べるだけ遊ぼうよ」

「生憎、僕はそんな毎日のように遊ぶほど活発じゃないんだよ」

「知ってるよ、そんくらい」

「知ってて言ってたの?」

「そうだよ」

まぁ、旅行の疲れも取れてきたし、デートをすること自体は別にやぶさかではない。だけど、それ以上に、懸念があった。

「...それにさ、もし君の知り合いとかいたら...さ」

僕は言いよどみながらも、その一つの気がかりを口にする。

友梨佳には、知り合いが多い。これは僕の想像だけれど、おそらく、彼女の顔と名前を知っている人は、ざっと数百人はいるだろう。

そして、しばらく経った今、彼女の訃報は、きっとその誰もが知っている、そんな状態で彼女が外に出て、彼女と知り合いが出会ってしまったら?出会わずとも、もし、たまたま見かけたりしてしまったら。

――きっとまた、あの時みたいになってしまう。

だけれど彼女は、そんな僕の心配を、まったく気にしない様子で笑って。

「大丈夫大丈夫、ちゃんと対策は考えてるから」

と、言い放った。

いや、対策とかそういう問題なのか?あとなんでこんな自身満々なんだ。

「一応聞くけどさ、対策って何?」

でもまぁ、一応聞いておこう。ものによってはデートもできるかもしれないし。

「スネークのごとく段ボールを被ってだね」

「却下」

うん、期待して損した。ていうか、僕は結構本気で心配してるのに、何でこんな茶化した感じなんだ彼女は、まったく。

「...と言うのは冗談でね、変装だよ変装」

「変装?」

「そうそう」

「変装かぁ...でもさ、今うちにあるものだとあんまり大したことできないよ?ウィッグとか伊達メガネなんかもないし」

そう僕が言うと、彼女はニヤッと、待ってましたとでも言わんばかりに笑みを浮かべた。

「それがね、髪型を変えて帽子をかぶって、サングラスとかをかけると案外印象って変わるものなんだよ」

「へぇ」

そうだったのか、正直人の印象とか全然気にしたことないし、知らなかった。

「じゃあ、やってみてよ」

僕はちょっとした好奇心の赴くまま、友梨佳に変装をしてみるよう促すと、彼女は『よし来た』とでも言わんばかりに「うん」と頷いて、そして。

「どーよこれ、結構印象変わるでしょ」

確かに、だいぶ印象は変わっていた。近くで見たら確かに友梨佳だと分かるけれど、遠目から見れば案外わからないくらいには変装ができていた。

「確かに、だいぶ違う」

これなら、もしやいけるかもしれない。ついそんな風に、期待してしまう。

「じゃあ、行っちゃう?お忍びデート」

僕は少し考えた、たまたま彼女を知る誰かに会ったりしてバレるリスクだって、考えないほど僕は馬鹿じゃない、だけれど。

「行こう」

それでも、行きたかった。その気持ちには、どうしても抗うことができなかった。


「てかさ、どこに行くの?」

朝食を食べ終えて、後片付けをしている時、僕はふと思い出した。

そういえば、デートに行くってことだけ決めてて、他の事を何も決めてなかった。

まぁでも、そんな遠出をするような気分じゃないし、あんまり遠くもない適当なところかな。

彼女はその辺どうなんだろうか。

「ん?そりゃあ...」

彼女は少しだけ上を向き、考え込むようなしぐさをして、それから冗談っぽく。

「...やっぱり、あとでのお楽しみってことで」

「ええ?」

なんだそれ、今まであったっけこんなシステム。

僕がそうあっけにとられていると、彼女は続けて。

「まぁまぁ大丈夫、ちゃんと考えてあるから」

「...なんか心配なんだけど、教えてよ」

「大丈夫大丈夫、私に任せなさい」

結局、押し切られてしまった。一応抵抗はしてみたものの、結局それものらりくらりと躱されてしまい、僕は行先を知れないことになってしまった。

マジでどこなんだろう。それが気がかりすぎて、いまいちそれからのことは頭に入ってこなかった、だけど、友梨佳が何をしても言わなさそうだったので、今日は彼女の好きにさせてみよう、とも思った。

けれどもやっぱ気になる。




いまいちモヤモヤしたまま僕は出かける用意をすると、ぱたぱたと化粧をしている彼女に声をかける。

「準備終わったけど、そろそろ行く?」

「うん、行くよ、あ、蓮」

彼女は僕の方を振り向いて、一つ言う。

「免許だけ持ってってね、車乗るから」

「へ?車?」

「うん、今日は運転よろしく」

と、彼女はわざとらしく僕にウィンクをしてきた。いやいや、ていうか。

「君も運転できるでしょ」

「え?ああ、できるけどさ」

彼女はあっけらかんと笑いながら。

「ほら、私今免許持ってないから」

「ああ...」

納得した。そりゃあ確かに、運転はできっこない、警察に捕まったら終わりだ。

「んじゃ、今日は運転よろしこ、場所はちゃんと考えてあるから」

運転させるなら、先に場所くらい言ってほしいものだけど。

まぁ、いいか。

「運転させて場所も決めさせてくれないなんて...なんてひどい野郎だッ」

「何を言おうと無駄無駄無駄無駄....って、それよりさ」

「今日は私の好きにさせてよ、お願い」

と、彼女は懇願するように、上目遣いでそう言った。

まぁ、一応今日は友梨佳の好きにさせようとは思ってたけど。

「まぁ、いいよ」

うん、今日くらいはいいだろう。やっぱりどこに行くかは気になるけども。




ちょっとだけ引っかかりながらも、今日は彼女の好きにさせることにしたので、指示通りに財布に免許が入っていたかを確認しておく。ちなみにこの免許は、大学に入りたてのころに、イニ〇ャルDに憧れて取りにいったやつだ。思えばあの頃は幼稚園より暇だった。

「免許あった?」

化粧を終えた彼女が近寄ってきて、僕の財布をのぞき込む。免許はちゃんとあった。

「あるよ」

「おーけー、じゃあ行こっか」

そうして僕は、彼女に連れられるままに外に出て、そのまま友梨佳の後ろをついて行った。

そして、まず最初にたどり着いたのは、駐車場だった。

「レンタカーは借りといたから、あの水色のやつ」

そう言って彼女は3つある車のうち、彼女は迷うことなく手前の車に近づいて、鍵を開けて助手席に座る。

僕も続いて運転席に座ると、そのまま彼女から鍵を受け取り、エンジンをかける。

「じゃ、ナビ入れとくね」

僕がエンジンをかけたのを見計らったように、彼女は手馴れた様子でナビを操作して、目的地を設定した。当然だけど、僕はここで初めて、どこに向かうかを知った。

「え?ここ?」

「そう、そこ」

彼女が指定した場所は、なんの変哲もない、ただのちょっと近所のカラオケだった。

友梨佳はシートに深く腰掛けると、ニヤニヤと笑って言う。

「ふふーん、じゃあドライブデートとしゃれこもうか、さあレッツゴー」

「いやいやいやいや」

出発をしようと僕を急かす彼女に待ったをかける。とにかく、聞きたいことが山ほどあった。

「待って、ここだったら車じゃなくてよかったじゃん」

てか、よく見ると友梨佳、帽子もグラサンも取ってるし。

変装のくだりすらどっか行ってるじゃん。

彼女はそんな風に焦っている僕を見て、誤魔化すようにヘラヘラと笑っていた。

「え?いやぁ、これには深いわけが」

「じゃあ教えてもらおうか」

彼女は冗談っぽくケラケラ笑いながら、わざとらしい間を置いて。

「...」

間をおいている。

「...」

まだ黙ってる。

「...」

いや、それにしても長くね?

「あのね...」

また一呼吸置いて、彼女はゆっくりと口を開く。

「イニ〇ャルDに憧れて....」

「はったおすぞ」

「ごめんごめん、いやぁ、つい車に乗りたくなっちゃって」

そう僕に伝える彼女の顔は、明るく笑っていて、そして。

薄っぺらかった。

まるで、今考えた適当な言い訳を並べる子供みたいに。

なんだか、薄いというか、雑だったように思えた。

「...そういうもんかね」

「そういうもんだよ」

けれど、それを問いただす勇気は、僕にはなかった。

「...そっか」

僕は、彼女の笑顔に笑顔で返し、そのまま車のエンジンをかける。

鈍いエンジン音と共に、車は発進した。

やっぱりなんだか少し、心には引っかかるものがあったけれど、今は無視しておこう。そう思った。




目的地は家からすぐ近くのカラオケ屋だったので、正直10分もかからず着いて、僕らはさっさとフロントに行って受付を済まし、ドリンクを取って部屋に入る。ちなみに時間は3時間、たっぷりと歌う予定だ。

「いやっほーう、カラオケなんて久々だぁ」

「確かに、1か月ぶりくらい?」

僕らはソファにどっかりと座り込んで、一緒になってタブレットをのぞき込む。何から歌おうか。

「まぁとりあえず採点入れようか」

と、僕はタブレットを操作して、採点モードにする。

数分お互いにうんうんと唸っていると、友梨佳はひょいっとタブレットを持ち上げて。

「決めた」

と言いながら、ちょっと前に流行ったアニソンを入れた。このアニメは僕も好きだ。結構前だけど友梨佳と一緒に見た。

「いいセンスだ、じゃあ僕はエンディングにしよう」

「二期のオープニングにしなよ」

「二期なんてなかった、いいね?」

あれの二期はひどいものだった。つまり二期なんてなかった。

そうこうしている間にイントロが終わり、歌が始まったので、僕も曲を入れる。まずはさっき言ったアニメのエンディングから。

それから僕らはしばらく好きなように歌ったり喋ったりして楽しんでいると、なんだか腹が減ってきて、料理を頼んだ。

それからしばらくして料理が運ばれて来た瞬間に歌っていたのは友梨佳だった。かわいそうに。

しかし店員さんが入ってきたときの友梨佳は、言っちゃ悪いけど面白かった。なんか餌取られたハムスターみたいにフリーズしてたし。

「食べよっか」

と、僕がテーブルに料理を並べていると、ちょうど歌い終わった友梨佳は何か悲しそうに僕の方を見て言う。

「...もうお嫁にいけない」

「それ、言い過ぎ」

彼女はマイクを置いて、不機嫌そうにポテトをもそもそと頬張る。ムスッとしながらポテトを食べる姿は、何かハムスターみたいだった。

「しっかし蓮、知ってた?」

ごくんとポテトを飲み込むと、彼女は僕へ問いかける。表情を見てみるに、すっかり機嫌は直ったみたいだった。

「何が?」

「私たちさ、今年で付き合って二年目なの」

「あー、そういえば」

そういえばそうか。僕らが付き合い始めたのって、高3らへんか、懐かしい。

「でもさ、付き合う前から一緒に遊んだりはしてたよね」

「ね、その前までまったく関わりなかったのに」

「まぁ、僕クラスで浮いてたし」

「私それまで蓮のことはほんとに眼中になかったし」

「そんな言う?ひどくない?」

僕がそう言うと、友梨佳はケラケラと笑っていた。失敬な。

「だってさ、映画館で出会う前の蓮とかまったく印象ないんだもん」

「...まぁ、僕基本誰とも喋ってなかったし」

「私も男子とはあんまり喋んなかったし、女子ばっか」

言い終えると、友梨佳は息継ぎをするように、そのままメロンソーダを一口飲んで。

「でも、今こうして付き合ってる」

と、まぁなんとも当たり前の事を言った。

「まぁ、そうだね」

しかしよく考えると、不思議なことだ。

それまで全く接点のなかった僕らが、こうして付き合ってるなんて。

でもまぁ、それだけ気が合ったってことか。

「私、今でも覚えてるんだから」

「何が?」

「蓮が顔真っ赤でさ、たどたどしく『付き合ってください』って言ってきたの」

「うっ」

思い出した。今でさえ思い出すのも恥ずかしくて封印してたのに。

「しかも大学の事話してたら急にだよ、急すぎてさすがにびっくりしたね」

「ううっ」

思い出すだけで恥ずかしい、今になって思うと、何で僕はあんなタイミングで告ったんだよ、ちくしょうめ。

恥ずかしいと同時に、なんだか悔しくなってきた。そう、言われっぱなしってのもなんかあれだ。

「でも、友梨佳だって結局顔赤くして『はい...』って言ってたじゃん」

「うぐ...まぁ、そうだけど」

「それと僕から告ったって言ってるけど、『大学生になっても僕と一緒に居たい』って先に言ったの友梨佳でしょ」

「う...」

「友梨佳が思わせぶりなこと言うから勢いで告っちゃったんだよ僕は」

「いや結局蓮が先走ったんじゃん」

「確かに」

負けた。僕の名誉をなんとか挽回しようとしたのに、ちくしょう。

ていうか、彼女にこの手の議論というかディベートというかなんというか、レスバでは勝ったことがない。いつかぎゃふんと言わせてみたいもんだ。

「てかさ、蓮」

「ん?何?」

話もひと段落し、僕がテーブルに置いてあるチャーハンを食べていると、友梨佳が話しかけてきたので、僕は顔を上げる。

その時ちらっと見えたけれど、彼女は料理にあまり口をつけていないようだった。

「なんか、出会う前の話とかしてるとさ、思い出すよね」

「映画館で会った時?」

「そうそう、それ」

「あったね、懐かしい」

僕にとってはその出来事は、結構昔の事ではあるんだけれど、今でも鮮明に覚えている。

きっとあの日、友梨佳と出会ってなかったら、僕は今彼女と付き合っていない、それどころか、関わることすらなかっただろう。そう断言できるほどに強烈で、少し気取った言い方をすると、運命的な出会いだった。

僕がそんな懐かしさに浸っていると、彼女は。

「思い出すなぁ、私が映画終わりに売店であれこれ買ってたら何かぶつかってきて、それが蓮だったんだもん、しかもいっぱいグッズ持ってたし」

そうだそうだ、色々思い出してきた。

「懐かし、あの時は僕めちゃめちゃ焦ってたよ」

「なんでさ」

「絶対ドン引きされて陰で馬鹿にされると思ってたからさ」

「偏見すご、私にそんなイメージ持ってたの?」

「まぁ友梨佳、陽キャだったし、僕みたいなのとは絶対相容れないと思ってたし」

「ふーん...」

すると、友梨佳は何か物思いにふけるみたいに、言葉を選ぶかのように、ちらっと天井の方を見た後、にかっと笑って。

「でも、結局私たち意気投合したよね」

「まぁね、さすがに友梨佳が同士だったとは予想外だった」

「ほらほら、人ってのは案外見た目やらなんやらによらないもんだよ」

彼女は妙に誇らしげにそう言ってきた。

見た目によらないか、まぁ、友梨佳がまさにそうだったし、だったら彼女の言う通りなのかもしれない。

僕がそんなふうに考えていると、彼女は続けて。

「...だからさ」

「蓮も、私以外とつるんでみたら?案外楽しいよ?」

さらりと僕にそう言う彼女の表情は、いつもと同じように優しく笑っていて。それなのにどこか真剣なような感じがして。

僕は、その問いを茶化していいのかが、わからなかった。

「...うーん」

僕は少し、考えてみる。

友梨佳を介さず、彼女以外と、僕がつるむ。

言われてみれば、ここ数年ほとんどしたことがない。というより、僕の人生において、それはあんまり見られなかったイベントだ。

一人でいる時に知り合いと出会って、少し話すことはあれど、プライベートで予定を合わせて遊ぶなんて、そんなのはまったくない。

ていうか正直、別にそんなことしなくてもいいとすら思っている。だって。

彼女以外に、僕とこんなに通じ合える人がいるとは思えないから。

だから、僕の答えは。

「――いや、いいかな」

「別に、友梨佳がいればそれでいいし」

これは間違いなく、僕の本心だった。

そう。僕は友梨佳と一緒に居れれば、特に困ることはない。

彼女は僕を一目見ると、また何かを考えるように、今度は少し俯くと、すぐに顔を上げた。

友梨佳はにやにやと、どこか照れくさそうに、嬉しそうに笑っていた。

「いやぁ、そんなに愛されてるなんて、照れるなぁ」

と、彼女は照れ隠しのようにジュースを一口飲んで、そのままほんの少し目を伏せて、呟いた。

「ほんとに、愛されてる」

かすかに聞こえたその声は、さっきの表情とは裏腹に、どこか哀しげだったような気がした。

なぜか僕は、そんな彼女の言葉に何かを返す気にはなれなくて、間を持たせるように黙々とご飯を食べていると、もうご飯はなくなっていて、そして彼女の方を見てみると、同じくもうすでに食べ終わっていた。

「ごちそうさま、ちょっと食べすぎたぁ」

彼女、そんなにいっぱいご飯食べてたっけ、と思ったけれど、まぁあんまり気にしないことにしよう。

だから、それを指摘する代わりに。

「太るよ」

「やかましい」

ちょっとからかってやった。

それから彼女と一緒に食器を端にやると、さっきまでのシリアスな雰囲気をわざとぶち壊すかのように、にかっと笑いながらタブレットを持ち上げて、曲を入れ始める。

「さーて、歌い直そっか」

「あ、じゃあ次貸して」

「あいよ」

何を歌おうか、まぁ、好きなの片っ端から歌っていこう。

時間はまだたっぷりあるだろうし。



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