それからまたタクシーに乗って、ビーチへ移動した。

ビーチは夏休みシーズンということもあり、やっぱり多くの人でごった返していた。これほど人が多いとパラソルとか借りれるかどうか不安だけど、僕らはとりあえず着替えてくることにした。

もしパラソルが借りれなくても、まぁまんとかなるだろう。と思いながら僕は着替えた。

ささっと着替えて外に出て、その辺で待っていると、女子更衣室の方向から友梨佳が走ってくるのが見えた。楽しそうな足取りだった。

「おまたせ、どうよ私のこの破壊力」

友梨佳はどや顔をしながら、僕にその水着姿を見せつけてくる。白い砂浜と、透き通るような彼女の体には黒い水着がよく映えて、彼女が動くたびに、からかうようにフリルがひらり、と揺れる。はっきりと見える体のラインからは、彼女の体が良い感じに締まった健康的な体躯をしているということが、はっきりと見て取れた。

なんだろう、すごい良いし、なんというか。

かわいい。

気を抜けば、つい目を奪われてしまいそうなほどに。

「蓮?何ジロジロ見てんのさ、いやらしいよ」

そう言われて、僕はハッと気づく。

つい、見すぎてしまっていた。思ったより水着姿がよくて、つい。

「ごめんごめん」

そう謝ると、彼女は胸を手で隠すようなしぐさをしながら、僕をジロリと睨みつけてきた。

「まったく...こんな公衆の面前で、まったくもってけしからん人だよ」

「いやぁ、ごめんってば」

僕は何の反論もできずに、ただただ謝ることしかできなかった。だって、ジロジロ見てたのは僕だし。

「まったくけしからん人だよ...私は」

「お前かい」

つい変なツッコミが出た。

「だって私が魅力的すぎるから、蓮は私に目を奪われちゃったんだから、そりゃあ私のせいだ、私が美人すぎるせいでっ...」

「うぬぼれるんじゃない」

「ひどいっ!」

まぁこんな事を言っているが、魅力的なのは否定しない。

「でさ、蓮はどう思うのさ、この水着」

と、彼女は僕にその姿を見せびらかすように、一歩近づいてきた。肌に反射した日差しが少し眩しい。

しかし、どう思うと言われると、僕は返答に困る。ちょっと正直に伝えるのは恥ずかしいし、かといって聞かれて何も答えないのも、それはそれでなんだか嫌だ。

どうしようか、と考えていると、僕の中にちょっとしたいたずら心が湧いてきた。

そうだ、ちょっとふざけて答えてやろう。

「すっごいエロい」

「ぶっ飛ばすよ」

馬鹿みたいなやり取りを終えて、パラソルを借りに海の家に行った。幸いパラソルはギリギリ空きがあった。よかったよかった。

手続きをさっと済まし、僕らは一目散にパラソルの下に入る。日陰にいるだけで、だいぶ暑さは違った。

「ふー、日差しあつー、日焼けしちゃうよ、あ、日焼け止め貸して」

「おけ」

バッグから友梨佳用の日焼け止めを取り出し手渡すと、彼女は全身にそれを余すことなく塗り始めた。僕も日焼けはしたくないので、僕用の日焼け止めを同じように全身に塗る。

二人して日焼け止めを塗っているこの絵面、なかなかシュールかもしれない。お互いの体に塗ればいいものを。

「ふー、完璧完璧、蓮も終わった?」

友梨佳は日焼け止めの蓋をかちっと閉め、バッグに戻す。僕ももう塗り終わっていたので、『終わったよ』と返答したら。

「じゃあ早速泳ぎにいくかー」

と、張り切った様子でぐいっと準備体操を始める。やっぱり、こういうところちゃんとしているな。

まぁ、そんなことはさておき。

「んじゃあ楽しんできて、僕はゆっくり昼寝でもしておくよ」

と、僕はパラソルの下の椅子に腰かけた。すると。

「え?」

「へ?」

友梨佳は信じられない、お前は何を言ってるんだ、などと言いたげなまなざしでこちらを見つめてきた。

うん、まぁ、気持ちは分かる、言いたいこともわかる、でも。

「蓮泳がないの?せっかく海に来たのに?わざわざ?新幹線乗って?3時間くらいかけてここまで来たのに?」

と、問い詰めてきた。

「僕は泳がないんじゃない、泳げないのさ」

「いや知ってるけどさ」

そう、本当に僕は泳げないのだ。小さいころ市民プールで溺れて以来、僕は浮き輪無しで泳ぐことをあきらめた。

「えー、でもせっかく来たんだしさ、泳ごうよ、浮き輪で浮かんでるだけでもいいからさぁ」

と、彼女は僕の腕をくいくいと引っ張るけれど、僕はその程度では動かない。

「やだ水怖い、僕ほのおタイプだから」

「蓮の見た目と性格はゴーストタイプっぽいけどね...いやそれより、せっかくの海なんだよ?それにここに来るのなんて、これから先ないかもしれないんだからさ、やれることはやっとこうよ」

「...」

これから先、ないかもしれないか。

確かに、そうかもしれない。

だってもしかしたら、もう二度と。

「わかった、泳ぐけど、その代わり浮き輪は使わせてもらうよ」

と、僕は重い腰を上げながらそう言った。

「よし、思い直してくれて何より」

友梨佳はしてやったり、みたいなニヤニヤした笑顔で、浮き輪を取り出した。

浮き輪は空気の詮が二つあったので、二人がかりで膨らませているが、僕ら二人とも運動をあまりする性質ではないので肺活量が乏しく、それなりの時間を食ってしまったが、何とか膨らませることができたので、それを持って海へと向かう。

白く熱く焼けた砂浜を抜けて、水へ一歩足を踏み入れると、ひんやりとした感覚とともに足が波にさらわれるような触感がしたせいで、久々の水に驚いた僕は『うわっ』と情けない声とともに立ちすくんでしまった。

「うはー、きもちー」

そんな僕とは対照的に、友梨佳はきゃっきゃと水と戯れながら、少しづつ深いところへと進んでいっている。早い早い、置いていかないでよ。

「蓮ー!早くー!」

「ちょっ、待ってよ、海なんて十年振りくらいなんだからさ」

すいすいと器用に海を歩いていく友梨佳に対して、僕はぎこちない歩きでゆっくりと追いかける。そして彼女に追いついた頃には、もう僕の足が届かないような所まで来てしまった。ここまで来たら、後は僕にできることと言えば、波に身を任せることだけだ。

「うひゃー!深ーい!」

浮き輪にしがみつき、完全に漂流状態の僕を差し置いて、友梨佳はしばらく僕の周りを泳ぎ回っていた。やがて疲れてきたのか、何か思いついたのかは知らないが、彼女は僕の浮き輪を掴んで。

「蓮も一緒に泳ぐ?」

と、誘ってきたが、ここで変に泳ごうとすると溺れたりして醜態を晒し、彼女に救出されるというシナリオが見えた気がするので、僕の答えはもうすでに決まっている。

「いいよ、僕にはこうやって漂流してる方が性に合ってる」

「クラゲみたいだね、てかお腹減らない?」

言われて、僕はもう胃の中が空っぽなことに気が付いた。

「結構減ってるかも」

まだ昼食には少し早い気がするが、思えば今日は、早朝に食べた駅弁と試食以外何も口にしていない。駅弁は僕にとってはボリュームがあったが、それでもずっと何も食べていないとお腹がすく。ということで少し早めのお昼を食べに海の家へ行くことになった。

その過程で砂浜へ戻るのだが、僕のバタ足では悲しいほどに推進力がなかったために、友梨佳に引っ張ってもらって足のつくところまで連れて行ってもらった。

「ありがと」

「いいってことよ、あの速度じゃ砂浜まで何年かかるか分かったもんじゃないからね」

「そんなかからないよ」

そんなことを喋りながら、財布を取って海の家に向かう。

海の家は、まだお昼には少し早いということで席にはちょうどいい空きがあったので、遠慮なく僕らは座った。

「何にする?やっぱり私は王道を征く焼きそばとラムネかなぁ」

「んー、ラーメンかな、あと僕もラムネにしよ」

「なるほど、じゃあ頼んでこようか」

浮き輪だけをぽつんとテーブルの下に置いておいて、僕らはカウンターへ行き、目的のものを注文した。料理が出てくるまでの間、友梨佳はレジを打っている気の良さそうな、大学生っぽい金髪褐色肌のお兄さんとお喋りをしていて、僕はカウンターの奥の方にある厨房を見つめていた。厨房ではせわしなくおじさんが動いていて、『大変そうだな』なんてつまらない感想を僕は抱いた。

そして、料理はすぐに出てきた。料理を受け取り、席に戻ると僕はさっさと食べ始め、彼女も『いただきます』と言って焼きそばを啜った。

すっかり空っぽになった胃袋に、あっさりした素朴な味のラーメンがやけに沁みて、いつもより美味しいように感じた。それは友梨佳も同じのようで、彼女も『うまいうまい』と言いながら焼きそばを食べていた。

それからしばらく経ってご飯を食べ終わり、またパラソルに戻ってくると、彼女は『泳ぐの飽きたしもういいや』ということでなんとなく持ってきたビーチボールで遊ぶことにした。といっても二人しかいないので大した遊びはできない、なので『地面にボールを落としたら負け』という適当かつ曖昧なルールで対戦することになった。

彼女は自信満々な顔をしながら、バスケのドリブルのようにボールを地面に叩きつけている。

「言い忘れてたけど、先に10回負けたら罰ゲームね」

「は?いやいや聞いてない聞いてない」

「今言った!スタート!」

そう叫んで、友梨佳は僕に向かってレシーブをしてきた。ボールが弧を描いて僕に向かってくる。

あまりに唐突なルールの追加に驚いたのと、生来の運動神経のなさ故に、僕がやっとの思いではじき返したボールは、無残にも地面にぽとりと落ちた。

「よしまず一勝!次は蓮から始めていいよ!」

彼女はすでに勝ち誇ったような笑顔で、僕にボールを渡してくる。上等だ、ここまでやられたらやり返してやる。と意気込み、僕はボールを受け取り、そして彼女に向かって。

「行くよ、僕の本気を見せてやる」

「さぁこい、全部はじき返してあげるよ」

僕は渾身の力を込め、全身全霊でサーブを打った。ボールは宙を舞い、やがて地面に引っ張られ落ちていくそれを、彼女の手がとらえた。

――そしてその後、僕は10-0で負けた。

大学生にもなって未だにクロールができるかすら怪しいほどに運動音痴な僕が、高校時代体育の成績が4だった彼女に勝てるはずもなく、あえなく惨敗した。

「私の勝ちだね、約束通り罰ゲームは受けてもらうよ」

「拒否権は?」

「ないです、ということで罰ゲームは『一回だけ私の命令になんでも従う事』だよ」

「僕の人権がなくなった」

そしてまた僕らはビーチボールで遊んだり、たまにパラソルで休憩したり、海に入ったりしていたり、楽しい時間を過ごしていたら、やがてお互い疲れ果てて、ホテルで休もうという話に落ち着いたので、浮き輪やビーチボールを萎ませたり、パラソルを畳んだりして帰る支度をし。それを終えると海の家の近くにあったシャワーで海水を洗い流して、更衣室で着替えを済ませた。

それから、僕らはその辺の道でタクシーを待っていた。日はまだ沈んではいなかった。

「疲れたー、ねぇ、約束覚えてるよね?」

友梨佳が話しかけてきた。彼女の方を向くとそこはちょうど逆光となっていて、眩しさに目がくらむ。

「約束?何のこと?」

「あれだよ、君が私のいう事なんでも一つ聞くって約束」

そういえばそんなのもあった。思い出さない方がよかったかもしれない。

「あれは約束じゃなくて罰ゲームだよ」

「大して変わんないでしょ、とにかくちゃんとやってよ、多分この旅行中に使うからさ」

「あっタクシー来た」

「おい逃げるな」

たまたま通りかかったタクシーに乗り込み、ホテルの名前を告げるとタクシーは発車した。出発して少しは僕らも軽く雑談をしていたが、やっぱり海遊びの疲れには抗えず、段々瞼が重くなっていって、いつの間にか眠ってしまっていた。

目を覚ましたのはタクシーの運転手さんの『着きましたよ、起きてください』の声だった。霞んでいる目を擦り、未だ窓に頭を預けてすやすやと眠っている友梨佳を起こし、運賃を払い外に出た。まだ頭はぼうっとしていて、半分眠っているような感じだった。

そんな寝ぼけた頭でホテルのロビーに入って、友梨佳が受付の人に話しかけてチェックインをする。受付の人はにこやかな表情のままでカタカタとパソコンを動かすと、なんの滞りもなく、一つのカギが渡された。彼女は『ありがとうございます』とお礼を言い、僕もそれに合わせて会釈をすると、受付の人もお礼を返してくれた。

そして二人でエレベーターに乗り、8階まで行ってカギに書かれた部屋番号の部屋にたどり着くと、躊躇なくカギを開けて中に入る。ちなみに靴は履いたまま入るタイプの部屋らしかった。

「わ、ひろーい」

部屋は少しお高めのお値段なだけあってそこそこ広く、部屋にはツインベッド、ソファ、テーブルと二脚の椅子が置いてあって、窓からは最上階ほどではないだろうけど街が一望できた。

僕は「ふぅ」と息を吐きながらソファの端に腰掛けると、急に体が重くなったように疲れがどっと出てきた。そして僕は思わず。

「疲れたぁ」

と口にしてしまう。すると彼女はそれに反応して。

「確かに疲れたね、ご飯まで少し休憩しよっか」

と言いながら、友梨佳は僕の隣に腰掛けてきた。だけど僕はそれよりも眠い、という気持ちが勝っていた。アラームでもかけて仮眠をしようか迷う。迷っている途中で、友梨佳の方を向くと、彼女寝転がり、ソファのスペースをいっぱいに使って寝ていた。

それなら、僕も寝るか。

スマホのアラームをセットしてポケットに入れ、壁に体を預け、そのままゆっくりと目を閉じる。







アラームの音で目が覚めた。もぞもぞと手を動かしてアラームを止め、そのままスマホで時間を確認すると、ちゃんと予定通りの時間だった。

まだ寝ていたい、という気持ちを抑えるために何とかソファから立ち上がり、大きく伸びをするが、それでも眠い事には変わりなかった。

ふと、友梨佳の方を見ると、近くでアラームが鳴ったというのに未だすやすやと寝ていた。ちょうどいい、新幹線でのお返しをしてやろう。

そう意気込んだはいいものの、大して彼女をびっくりさせるようなアイデアは、この寝ぼけた頭では思い浮かばなかった。まぁ、彼女への意趣返しとしてデコピンでもしてやろう。

親指に中指をひっかけ、友梨佳のおでこに照準を合わせ、力を込めて...離す。

僕の指と彼女のおでこがぶつかり合い、パチン、と音が鳴った。

「ふぎゃ!?」

変な声を上げ、おでこを抑えながら飛び起きる友梨佳に、僕は『あ、おはよう』と声をかけた。彼女は数秒、考え込むように黙っていて、それから。

「...蓮、もしかして私にデコピンした?」

「ご名答、察しが良いね」

「もう!普通に揺さぶって起こすとかなかったの!?」

「でも君だって新幹線で僕をデコピンで起こしてきたじゃん」

「んー、確かに」

友梨佳はすっかり納得したようで、おでこを抑えながらソファから立ち上がり、『今何時?』と聞いてきたので、僕は現在の時刻を答えると、『じゃあ、そろそろご飯食べに行く?』と聞いてきたから、僕は『行く』と答えて、財布やらスマホやらを用意して、外へ行く準備をする。

ホテルから出た僕らは、いい感じの飲食店を探すためにタクシーでまず繁華街へと向かい、適当なところでタクシーを降りた後は歩いて散策することにした。

「色んなお店があるねー、蓮は何食べたい?」

「せっかく来たんだし名物がいいな、何かない?」

「質問を質問で返すのは礼儀に反するってものだよ...まぁ、私も名物がいいな、やっぱり一件目はシンプルにもつ鍋がいいかもね」

「異論はない、じゃあいい感じのもつ鍋屋探そうか」

そうして僕らはまたしばらくふらふらと街を歩いていたら、ちょっと古めで、いい感じのもつ鍋屋が見つかったので、予約なしでも入れるか友梨佳が交渉したところ、入れるらしかったので遠慮なく入店させてもらった。

店の中はテーブル席で鍋をつついている家族連れと、カウンター席に座っている人が3人くらい、そして店主らしき人がカウンター奥の厨房で料理をしていて、従業員の『二名様ご来店でーす』の声に気づくと、『いらっしゃいませ』と声をかけてきた。ぱっと見では、恰幅のいい、気の良さそうなおっちゃんといった感じだった。

僕らは通されたカウンター席に座ると、友梨佳が早速メニューを開いた。

「蓮、どれにする?まずもつ鍋でしょ?あと飲み物はどうする?」

彼女はドリンクメニューを開きながら、僕に問いかけてくる。僕はビールとかはいまいち好きじゃないので、ここは。

「レモンチューハイかな、友梨佳は生?」

念のために言っておくと、僕と友梨佳は二人とも二十歳である。それぞれの料理に合うお酒なんてまだそんなに知らないので、いっつも好きなお酒を頼む。

「もちろん最初は生でしょ、他に何か料理頼む?」

「あー、せっかくだし馬刺しでも頼もうかな」

「おけ」

友梨佳はそう言ってメニューを閉じ、お通しを持ってきた店員さんに注文を言った。それからすぐに飲み物は来たので乾杯をしてから、僕らはお酒を飲んだり、お通しをちまちま食べたりしながら中身のない適当な会話をしていたら、あっと言う間に料理は来た。

「おいしそー、いただきまーす」

「結構量あるね」

ニラとキャベツとモツが大量に入っているその鍋をつつきながら、僕らはまた適当な会話を始める。

「うまーい、これだけで旅行に来た甲斐があったよ」

その言葉を裏付けるように、彼女の顔は幸せそうで、この上ないほどに生き生きと輝いていた。

「そうだね、美味い」

僕もモツを一つ口に放り込むと、トロリとした油の甘みとしみ込んだスープのうま味が合わさって、しみじみとした美味しさを感じる。

それから僕らは鍋をつつきながら喋ったり、彼女が店主と喋ったり(その間、僕は友梨佳を見ながらお酒を飲んでいた)、別のお客さんと話したりしていたら、すぐに鍋はなくなり〆のラーメンへと突入したが、それも僕らにとっては少なめだったのですぐに食べ終わった。

食べ終わった僕らは支払いを終えて店を出る。僕はあまり飲んでなかったのと、もともと酒は強いこともあってそれほど酔っていなかったが、彼女はもう顔が赤くなっていた。

「友梨佳、酔ってる?」

「ふぇ?酔ってない酔ってない、それよりもう一軒行こうよ、次は屋台がいいなぁ」

そんなことを、真っ赤な顔のままぬかしていた。絶対酔ってる。

「ほらあっち、屋台がいっぱいあるよ?行こうよ~」

友梨佳は『早く行こう』とでもいわんばかりに僕の腕をくいくいと引っ張っていた。酔っぱらっているのか、彼女の力がひどく弱いように思った。

まぁ、モツ鍋と馬刺しでは少し食べたりなかったから、屋台に行くのはいいんだけど。

「いいけど、飲みすぎないでよ」

「大丈夫大丈夫」

友梨佳に先導されて、僕らは屋台街へと赴く。そこに足を踏み入れた瞬間、すぐ目の前にあった屋台のおじさんが凄い勢いで『二名様どうぞ!』なんて言ってきたので、僕は怖気づいてしまったが、彼女が『違います大丈夫です』と言ってくれて事なきを得た。

「ねぇねぇ蓮、次は焼き鳥が食べたいんだけどさ、どう?」

周りの喧騒と、ラーメンの匂いに混じって、彼女はそう問いかけてくる。

「いいと思うけど、それよりも屋台の人が怖い」

「わははっ、蓮こういうの苦手だもんね」

それから僕は彼女に連れられて、そのへんにあった飲み屋の屋台バージョンみたいなところに入った。

「まず焼き鳥は頼むでしょ?あと飲み物は何にする?」

「レモンチューハイでいいかな、あとねぎま」

「了解。すいませーん!日本酒とレモンチューハイと、あとかわ4本とねぎま2本とおでんくださーい!」

周りのうるささに負けない勢いで、友梨佳は色んな注文をした。やっぱり、友梨佳はこういう事をするのが得意なんだな、と僕は関心した。

しばらく待っているとまずお酒が出てきて、それからいくつかの料理が一気に出てきた。

「んじゃ、二軒目にかんぱーい!」

「乾杯」

かちん、と僕のジョッキと彼女のおちょこをぶつけ合わせ一斉に飲み、焼き鳥を頬張る。普通のかわとは違うパリッとした触感とたれのしょっぱさに、酸味の効いたレモンチューハイがよく合う。

「ぷはっ、やっぱり焼き鳥美味いね」

グラスから口を離し、僕は友梨佳にそう話しかける。彼女はずいぶんと大げさに首を縦に振りながら。

「そうでしょ!?ほーら!来てよかったじゃん!」

「うん、来てよかったよ」

本当に。

「そうだ、次はホテルで二人っきりで飲もうよ!ここじゃできない話もあるしさぁ!」

「何を話すつもりなのさ」

「積もる話だよ!色々あるの!」

「〆のラーメンとか食べないの?いつもなら行きそうじゃん」

「...今日は気分じゃないの!あ、おでん食べる?」

「え?じゃあ、食べる」

彼女はくいっと日本酒を飲み、おでんの皿を僕に差し出して来たので、それを受け取る。それにしても〆のラーメンすら食べないとは、今日の友梨佳はなんか変である気がする。僕は大根を一口食べながら、そんなことを思っていた。

そして僕らは出された料理とお酒を片付けると、さっと支払いを済まし屋台街から出た。さすがにここまで飲むと、僕も少し酔いが回ってきて、ふわふわとした感覚がする。けど何か楽しいし、もっと行ける、って感じさえある。

そうだ、せっかくの旅行なんだし、もっとやってやろう。

その後酔っぱらい二人でホテル近くのコンビニへと入り、二人してお酒コーナーの前に立つ。今夜はもう、飲めるとこまで飲んでやる。そんな気持ちで。

「僕はほろよいでいっかぁ、友梨佳は?」

「私はぁ、うーむ...むむむ...蓮と同じの」

「りょーかい」

ほろよいを6本ほどかごに入れて、次にいくつかつまみを買った。酔って気が大きくなっているのか、二軒巡った後じゃ食べきれないほどの量のおつまみを買ってしまったが、大して気にしていない。

会計をして店を出ると、クーラーの効いた室内とはまた違った涼しさのある夜風が、僕らの頬を撫でた。僕は酔いが少しだけ覚めた気になったが、それは僕だけらしく、彼女は僕にこつこつと軽く頭突きをしながら、手に指を絡めて何か変な歌を歌いつつ歩いている。

「れーん、早く帰ろうよー」

「今帰ってるとこだってばぁ、我慢しなさい」

「早く早くぅー」

友梨佳に急かされるまま早歩きになると、ホテルには体感ちょっとだけ早く着いた。

「たらいまぁ~」

部屋のドアを開けるやいなや、誰もいない部屋に向かって友梨佳はそう言い放つ。彼女、だいぶ酔ってるな。仕方ないから、ここは僕も乗ってやろう。

「ただいま」

しかし当然といえば当然だけれど、特に何か返事が返ってくるわけでもなかった。

それから買ってきたおつまみやらお酒やらをテーブルの上に置き、2つある椅子を動かし隣り合って座り、友梨佳の乾杯の合図とともに第三次飲み会はスタートした。

二人そろって缶を傾け、お酒を喉に流し込む。すでにアルコールの味はまったく感じなかった。

「ぷっはー!たまにはチューハイもいいもんだねぇ!」

「でしょ?逆に僕はビールを好んで飲む人の気が知れないよ」

「そりゃあなんか...のど越しが良いんだよ!やっぱり蓮はまだまだお子ちゃまだね!」

「なんだと同年代のくせに」

「なんだとお子ちゃまのくせに!」

僕らはわちゃわちゃと食べ、飲み、そして喋っていた。そして床に転がっている空き缶が増え、逆にテーブルの上のお酒が少なくなってきたころにはもう、僕らはすっかり酔いつぶれていた。

「そろそろ寝る...」

「う~...」

僕はおぼつかない足取りでふらふらとベッドに向かって、そのまま仰向けに倒れこむ。駄目だ、飲みすぎた。

もうろうとした意識の中、なんとか靴を脱ぎ、ベッドの端の方で仰向けに大の字みたいになり、寝るための態勢を作る。だけれど、体が熱すぎて寝れそうにない。布団をかぶる気にすらならならず、僕はずっと天井を眺めていた。頭の中が、熱が出た時みたいにくらくらしている。

「れ~ん~...ありゃ?なんで蓮がいるのぉ?」

僕の隣に、正確に言えば横に伸ばした僕の腕の下に、友梨佳が倒れこんできた。もともと一人で寝る用のベッドだから、二人の体が重ならないようにするだけで精一杯だった。

「なんでそっちのベッドに行かないの...」

「こっちが私のベッドだもーん」

彼女は明るく、陽気にそう言い放つ。

体が、熱くてたまらない。

「そんなの決めてないじゃん...」

「今決めたー」

「確かに...確かに?」

何にも頭が回らない。

「ね~ぇ、蓮」

「何?」

「こんなに酔っちゃってさぁ~、んで、ホテルに二人っきりなわけじゃ~ん」

体が、熱い。

「そうだけど...」

「ねぇ、蓮」

友梨佳は、もぞもぞとその顔を僕の耳元まで近づけてきて、そして。

「...しちゃう?」

そっと、ささやいた。声の振動が、吐息が、変にくすぐったくて、鳥肌が立つ。

いくら酔っぱらっているとはいえ、いくら熱に浮かされているとはいえ、その言葉が何を意味しているのかは、すぐにわかった。

「いや...何も準備してきてないし...」

すると、彼女は『んふふふふ』と変な笑い方をして。

「実はね、蓮の家のやつ、こっそり持ってきてたんだぁ」

「...は?」

「使うつもりはなかったんだけどさぁ、いい雰囲気だし、いいかなって」

友梨佳はベッドからむくりと起き上がって、靴も履かないままふらふらと彼女のバッグを漁り、やがて何かを取り出すと、唖然とベッドに座っている僕の目の前に、それを見せてきた。

「じゃ~ん」

開けた形跡のあるその小さな紙箱を持ちながら、ゆっくりと友梨佳は近づいてきて、やがて、ベッドの一番奥の方に座っている僕の隣に、ゆっくりと腰掛ける。

「れ~ん、もう一回だけ聞くよ?」

友梨佳は僕に覆いかぶさり、僕に体重を預けながら、また耳元で囁く。

「...しちゃう?」

友梨佳がそう言った次の瞬間、僕は彼女を突き飛ばしていた。彼女は軽々と僕から引きはがされ、その体はベッドの端に追いやられる。

僕はなにも、友梨佳の誘いを拒絶したとか、嫌だったとか、そういう理由で突き飛ばしたんじゃない。

驚いた、信じられなかった、信じたくなかった。

僕に体を預けたはずの友梨佳に、僕に体重をかけていたはずの彼女に。

――重さが、ほとんど感じられなかったことが。

僕は彼女のその重みを、そこにいるという確かな感触を。

ほとんど、感じられなかった。

まるで、彼女の存在そのものがなくなっていっているかのように。

「え?蓮...?」

「あ...いや...」

「嫌...だった?...ごめんね」

彼女は目を剥いたまま声を震わせて、か細く僕にそう言った。違うんだ。嫌だったわけじゃない。

僕は、君がもういなくなってしまうと、そう思い知らされてるみたいで、怖かったんだ。いや、こんなの言ってしまったら、それこそ。

頭の中で必死に言い訳を考えるけれど、浮かんでくるのは疑念と混乱だけだった。それをした理由は浮かべど、彼女を納得させられて、これ以上何も波風立てない、そんな言い訳は、何も浮かんでこなかった。

いや待て、そもそも僕は単に酔ってるだけで、本当は彼女は、何も変わっていないんじゃないのか?重みがないなんて気のせいで、彼女がもう消えそうに思ったなんてのも、全部僕の思い過ごしで。でも、あの時の友梨佳の感触は、確かに体に残っている。いやでも。

「ごめんね...もう寝るよ、明日もあるしさ」

さっきの事について何も言わず、言い訳を探して黙っていた僕を友梨佳は問い詰めることもせず、彼女は隣のベッドへと移動をする。

違うんだ、待って。

「おやすみ、蓮」

そんな心の叫びも届かず、彼女は布団に潜りこんでしまった。おやすみの挨拶をしたその声は、どこか震えているようで。でも僕にはどうすることもできず、彼女と同じように布団に潜りこみ、そして逃げるように瞼を閉じた。

明日になれば、全部なかったことにならないか。そんな淡い願いを胸に秘めたまま、僕の意識は沈んでいった。

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